旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

津和野町郷土館

2009年07月21日 | 旅 歴史
 島根県鹿足郡津和野町森村にある津和野町郷土館です。
 津和野町郷土館は大正10年(1921)、当時、島根県唯一の郷土歴史博物館として設立されました。津和野の縄文時代から現代までの歴史資料約千点を展示しています。藩校養老館の教科書や武芸書、津和野の生んだ偉人たちに関する資料,藩政資料、乙女峠のキリシタン殉教関係資料など貴重な資料を所蔵しています。
 文久2年(1862)に津田真道、榎本武揚らとともにオランダ留学した西周(にしあまね)がオランダで買い求めたという顕微鏡などもあります。西周は森鴎外と同じ医者の家系で大政奉還前後においては、徳川慶喜の政治顧問をつとめました。


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松陰幽囚ノ旧宅

2009年07月21日 | 旅 歴史
 山口県萩市大字椿東にある松陰幽囚ノ旧宅(しょういんゆうしゅうのきゅうたく)を取りあげてみます。
 安政2年(1855)吉田松陰は保釈されて父親の預かりとなり一年半、この杉家の4畳半の幽囚室で講義を始めたそうです。その後松下村塾で一年間教え高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋などを育てました。
 吉田松陰は文政13年(1830)長州藩の下級武士の杉百合之助の二男として萩の松本村に生まれました。松陰には、他家に養子に行き家督を継いでいた長州藩の兵学師範(山鹿流兵学)であった吉田大助と松下村塾を興した玉木文之進という二人の叔父がいました。大助に跡継ぎがなかったため吉田家へ養子に入りました。大助が急死したため6歳にして吉田家の家督を継ぎ、藩校明倫館の兵学師範になる宿命を背負ったのです。
 山鹿流免許皆伝であった玉木文之進の厳しい教育で11歳の時に、藩主毛利敬親の前で山鹿流「武教全書」を講義し天童と言われたのでした。
 嘉永7年(1854)1月、ペリーの2度目の来航の際、金子重之助とともに密航計画を企て野山獄に幽囚、その後この幽囚室と松下村塾で講義を続けました。老中の間部詮勝の暗殺を企てたことで捕らえられ、江戸に送られ帰らぬ人となりました。

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松陰神社

2009年07月21日 | 旅 歴史
 今日は山口県萩市椿東松本にある松陰神社を紹介します。
 松陰神社は、維新の原動力となった幕末の思想家で教育者でもあった吉田松陰を祭神とする神社です。現在の朱塗りの本殿は昭和30年(1955)に建てられたものです。
 明治23年(1890)松陰の実家である杉家の邸内に松陰の実兄の杉民治が土蔵造りの小祠を建て、松陰の遺言により愛用していた赤間硯と松陰の書簡とを神体として祀りました。
 明治40年(1907)松下村塾出身の伊藤博文と野村靖が中心となって神社創建を請願し、萩城内にあった鎮守の宮崎八幡の拝殿を移築して土蔵造りの本殿に増築させ、県社に列格しました。
 創建当時の土蔵造りの旧社殿は「松門神社」として、松陰の門人であった人々の霊を祀っています。
 松陰神社は萩市で学問の神として最も尊敬を集める神社であり、正月には多くの初詣客が訪れます。

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