旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

松下村塾

2009年07月20日 | 旅 歴史
 山口県萩市船津にある松下村塾です。
 松下村塾というのは松蔭が子供の頃に叔父の玉木文之進が開いていた塾です。文之進が藩から抜擢されたので松蔭の外叔の久保五郎左衛門があとを継ぎました。安政4年(1857)松蔭がそのあとを継いだのでした。
 この時、松蔭は幽囚の身であったのです。嘉永7年(1854)1月、ペリーの2度目の来航の際、金子重之助とともに密航計画を企て野山獄に幽囚されたあとでした。
 高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、前原一誠など、維新の指導者となる人材を教え育てました。門弟がふえたことから8畳の建物から10畳半の二間に増築しています。
 安政5年(1858)年7月には藩から家学教育の許可もでましたが、幕府が勅許なく日米修好通商条約を結んだことで、老中の間部詮勝の暗殺を企て再び投獄されました。安政6年(1859)5月江戸に送られ、安政の大獄により処刑されてしまいました。29歳という若さでした
 この松下村塾は、杉家の物置小屋を改築したもので、質素な小さな建物です。藩が作った学校である明倫館へ入学できないような下級武士の子弟が多く学んだことも有名な話です。

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萩カトリック教会

2009年07月20日 | 旅 歴史
 山口県萩市土原3区にある萩カトリック教会です。
 明治24年(1891)ビリヨン神父によって殉教した浦上キリシタンの墓と祈念碑が建てられました。ビリオン神父は明治22年(1889)に「パリ外国宣教会」から山口に派遣されていたのです。
 明治28年(1895)、萩に赴任されたビリオン神父は、市内平安古の民家を教会して萩カトリック教会初代司祭になりました。
 1965年、ヴイエラ神父が今の聖堂を建て、1994年には三浦神父がキリシタン墓地と祈念碑を改修し、「萩キリシタン殉教者記念公園」と名付けたのでした。

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野山獄跡・岩倉獄跡

2009年07月20日 | 旅 歴史
 今日は山口県萩市古今萩町にある野山獄跡・岩倉獄跡を紹介します。
 安政元年(1854)海外密航に失敗した吉田松陰は野山獄に入れられ、一緒に行動した弟子の金子重輔は隣の岩倉獄に入れられました。
  野山獄は上牢として上級武士を、岩倉獄は下牢として庶民が収容されていたそうです。
 この場所には萩藩藩士野山家と岩倉家の屋敷がありました。道をはさんで建つ両家は、ともに萩大組で禄高は200石取りでした。
 正保2年(1645)、酒に酔った岩倉孫兵衛が、野山六右衛門の家族を切ったため、両家とも取りつぶになりました。屋敷は藩に没収され、牢獄になったのです。
 野山獄跡には十一烈士の碑、岩倉獄には重輔絶命の詩碑と松陰が重輔に与えた詩碑が建てられています。


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