島根県益田市染羽にある医光寺です。
医光寺は貞治元年(1363)創建の崇観寺(すうかんじ)が前身です。益田宗兼(ますだむねかね)が建立した塔頭でしたが、本寺の崇観寺が衰廃したため宗兼が医光寺と合併させたのです。
現在の諸堂宇は、享保14年(1729)の大火後に再建された建物です。竜宮造といわれる総門は益田城の大手門でした。関ケ原の戦い後、ここに移し、承応年間(1652-55)黄檗宗寺院特有の竜宮造に改築したものです。この門は県の文化財に指定されています。
益田氏最盛期の15代益田兼尭(かねたか)が、大内氏の山口に逗留していた雪舟を、崇観寺へ招聘しました。周防(山口県)の雲谷庵を出た雪舟は崇観寺にとどまり、後第5世住職となったのです。
本堂の裏には鶴をかたどった池に亀島を浮かべた武家様式庭園があります。須弥山石からは枯滝石組を作っている構図が雪舟の水墨画を思わせます。雪舟が文明年間(1469~86)に造ったとされています。
雪舟が崇観寺の住職になっている時、万福寺の庭園も作庭しました。医光寺が力強い武家様式の庭園に対し、万福寺は寺院様式といわれています。両庭とも国の史跡及び名勝に指定されています。
雪舟の代表作「花鳥図屏風」はここで描かれたといわれています。また医光寺には雪舟灰塚があります。雪舟を荼毘に付した時の塚だといわれています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
医光寺は貞治元年(1363)創建の崇観寺(すうかんじ)が前身です。益田宗兼(ますだむねかね)が建立した塔頭でしたが、本寺の崇観寺が衰廃したため宗兼が医光寺と合併させたのです。
現在の諸堂宇は、享保14年(1729)の大火後に再建された建物です。竜宮造といわれる総門は益田城の大手門でした。関ケ原の戦い後、ここに移し、承応年間(1652-55)黄檗宗寺院特有の竜宮造に改築したものです。この門は県の文化財に指定されています。
益田氏最盛期の15代益田兼尭(かねたか)が、大内氏の山口に逗留していた雪舟を、崇観寺へ招聘しました。周防(山口県)の雲谷庵を出た雪舟は崇観寺にとどまり、後第5世住職となったのです。
本堂の裏には鶴をかたどった池に亀島を浮かべた武家様式庭園があります。須弥山石からは枯滝石組を作っている構図が雪舟の水墨画を思わせます。雪舟が文明年間(1469~86)に造ったとされています。
雪舟が崇観寺の住職になっている時、万福寺の庭園も作庭しました。医光寺が力強い武家様式の庭園に対し、万福寺は寺院様式といわれています。両庭とも国の史跡及び名勝に指定されています。
雪舟の代表作「花鳥図屏風」はここで描かれたといわれています。また医光寺には雪舟灰塚があります。雪舟を荼毘に付した時の塚だといわれています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/