旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

大岡家老門・多胡家老門

2009年07月22日 | 旅 歴史
 島根県鹿足郡津和野町後田殿町にある大岡家老門・多胡家老門です。
 大岡家老門は、かつて津和野藩の家老を務めた大岡家の門です。かつては、津和野町役場でしたが、現在は津和野町役場津和野庁舎になっています。津和野町役場は日原町に移転したためです。
 多胡家老門は県文化財に指定されています。多胡家は、津和野藩の筆頭家老職を藩主亀井家11代にわたり務めました。
表門は、薬医門で養老館と同じく一度は焼失し、その後再建されています。
 構造、意匠とも簡素な造りですが、威厳のある江戸時代中期の武家屋敷門の建築様式を今に伝えています。

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森鴎外記念館

2009年07月22日 | 旅 歴史
 今日は島根県鹿足郡津和野町町田にある森鴎外記念館を紹介します。
 森鴎外記念館は平成7年(1995)4月にオープンしました。津和野町出身の森鴎外の生涯を映像や著書、直筆原稿などを使ってわかりやすく紹介しています。
 夏目漱石とともに、「明治の文豪」と称される森鴎外は文久2年(1862)1月19日に津和野の藩主の御典医の家に生まれました。10才で父に伴われて上京したのでこの場所にいたのは短期間でしたが、死ぬ間際に「石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」という遺言を残したので愛着があったのでしょう。
 明治14年(1881)東京大学医学部卒業後、軍医の道を進み、明治17年(1884)から21年(1888)までドイツヘ留学し教養と見識を深めました。
 ドイツ留学後発表された「舞姫」や「即興詩人」の翻訳は鴎外の名声を高めました。日清、日露戦争に従軍し、明治40年(1907)軍医総監陸軍省医務局長に就任し、軍医としで最高の地位(中将宮相当)官につきました。
 明治42年(1909)雑誌「スパル」の創刊を契機に再ぴ文作活動に力を入れ、「半日」「ヰタ・セクスアリス」「雁」「青年」等を発表し、小説家として確固たる地位を築きました。
 鴎外には作家と軍医という二つの人生がありました。明治天皇崩御、乃木殉死を契機に歴史小説も手掛け、晩年には史伝文学という新しい分野を開いていきました。大正11年(1922)7月9日、60歳の生涯を終えました。
 国指定史跡に指定されている森鴎外の旧宅が森鴎外記念館の南側に隣接し、鴎外旧宅を展示物の一部として取り込んでいます。


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