旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

旧萩藩御船倉

2009年07月18日 | Weblog
 山口県萩市東浜崎町にある旧萩藩御船倉です。
 御船倉は藩主の御座船(ござぶね)を繋ぎ留めておいた場所です。慶長13年(1608)萩城築城後、まもなく造られたとみられます。
 間口8.8m、高さ8.8m、奥行き27mの大きな建物です。両側と奥を玄武岩で覆わせ、立派な屋根を葺き、前面はお城のような頑丈そうな木製扉です。
 もとは大船倉を中央にして小船倉が左右にあったそうです。明治初期に壊されてしまい、現在は中央の大船倉だけが残っています。
 この浜崎には、 御船倉という役所が置かれていたそうです。御船倉は萩藩主の乗る 船を格納するだけではなく、 浜崎宰判(さいはん) という行政区域を治める代官所でもあったのです。



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旧萩藩御船倉

2009年07月18日 | 旅 歴史
 山口県萩市東浜崎町にある旧萩藩御船倉です。
 御船倉は藩主の御座船(ござぶね)を繋ぎ留めておいた場所です。慶長13年(1608)萩城築城後、まもなく造られたとみられます。
 間口8.8m、高さ8.8m、奥行き27mの大きな建物です。両側と奥を玄武岩で覆わせ、立派な屋根を葺き、前面はお城のような頑丈そうな木製扉です。
 もとは大船倉を中央にして小船倉が左右にあったそうです。明治初期に壊されてしまい、現在は中央の大船倉だけが残っています。
 この浜崎には、 御船倉という役所が置かれていたそうです。御船倉は萩藩主の乗る 船を格納するだけではなく、 浜崎宰判(さいはん) という行政区域を治める代官所でもあったのです。



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熊谷家住宅

2009年07月18日 | 旅 歴史
 今日は山口県萩市大字今魚店にある熊谷家住宅を紹介します。
 熊谷家住宅は明和5年(1768)に新築されたものと伝えられ、広大な屋敷に 主屋のほか離れ座敷、土蔵など10数棟が建ち並んでいます。
 萩藩7代藩主毛利重就は藩の財政立て直しのため宝暦4年(1754)城下の商人の中 から熊谷五右衛門芳充を抜擢して所帯方御用達としました。
 芳充はよく その期待にこたえて活躍し、大阪御用達であった鴻池や加島屋と同格の上方町人格に置かれるようほどになりました。後には市中大年寄にも任ぜられたそうです。
 4代目の五右衛門義比は文化に造詣が深く、学者や文人墨客に経済的援助を惜しまなかったそうです。シーボルトとも親交があり、シーボルト愛用のピアノがこの蔵の中にあります。

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