旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

功山寺

2009年07月08日 | 旅 歴史
 山口県下関市長府川端にある功山寺を取り上げてみます。
 金山功山寺は元応2年(1320)に創建された曹洞宗のお寺です。国宝に指定されている仏殿は嘉暦2年(1320)に建てられた鎌倉期のもので、わが国最古の唐様禅宗式建築です。
 礎石と柱の間には木製の基盤が入り上下部分が細くなるちまき形の柱です。花頭窓と呼ばれる特殊な窓があります。
 功山寺は当初は臨済宗で金山長福寺というお寺でした。足利氏、厚東氏などによって保護され、大内氏が周防、長門を統一するとますます篤く保護されました。
 弘治3年(1557)主君であった大内義隆を攻め滅ぼした陶晴賢は、大友義鎮(宗麟)の弟晴英を大内義長と改名させ大内家の当主にさせました。厳島で晴賢を破った毛利元就は、義長を攻めました。
 敗れた義長は、わずかな近従と長福寺に入り、自刃したのでした。6歳になる陶晴賢の末子鶴寿丸も義長とともに果てたのでした。
 慶長7年(1602)長府5万石の藩祖として入封した毛利秀元(元就の孫になります)が荒廃した堂宇を修営しました。その時に曹洞宗に転宗したそうです。
 二代藩主光広が、秀元の霊位をこの寺に安置し、長府毛利家の菩提寺となりました。慶安3年(1650)秀元の法号の智門寺殿功山玄誉大居士にちなんで功山寺と改められました。
 文久3年(1863)の政変で都を追われた討幕派の三条実美はじめ5人の公卿が功山寺にひそんでいました。奇兵隊の結成させたことで有名な高杉晋作は藩論回復のため、遊撃隊士などわずか80人ばかりの同志をひきいてこの功山寺で決起したのです。
 晋作は私兵でない証とするため、匿われていた5人の公卿にあいさつしたのち挙兵しました。次々と同士が集まり、ついには討幕の藩論を確定させたのでした。



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木戸神社

2009年07月08日 | 旅 歴史
 今日は山口県山口市糸米にある木戸神社を紹介します。
 木戸神社は吉田松陰のもとで学んだ木戸孝允(桂小五郎)を祀った神社です。孝允は萩に生まれ、幕末には新生日本のために活躍しました。薩長連合を図って明治新政府を樹立させ、内閣顧問を初め多くの要職について内外の政務に参与しました。明治10年(1877)に京都で病没しました。45歳の人生でした。
 孝允は死を前にこの地にあった本宅山林などを地区民に与えて子弟育英の資とするよう言い残しました。 人々は大変感謝し、孝允旧宅の地に祠を建立し、明治19年(1886)には孝允を讃える「木戸公恩徳碑」を建てました。この祠を中心として木戸神社が創建され孝允の霊を祀ったのです。


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