旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

萩城址

2009年07月13日 | 旅 歴史
 山口県萩市堀内にある萩城址を取りあげます。
 萩城は毛利輝元が慶長9年(1604)に築城に着手し、4年後の同13年(1608)に完成させた平山城です。指月城(しづきじょう)よばれ、城跡は国の史跡に指定されています。
 慶長5年(1600)、西軍の総大将であった輝元は関ヶ原の戦いに敗れ自国に逃げ帰りました。その結果中国地方8ヶ国の領地を削られ120万5千石から、周防、長門(現在の山口県)2か国のみの36万9千石に減封されてしまいました。
 周防、長門に入った輝元は、関ヶ原の敗戦の責任をとって家督を嫡男の秀就に譲りました。秀就は幼かったため実権は輝元が握ったままでした。居城を築くため徳川幕府に山口、萩、防府の3ヶ所を候補として申請しました。
 外様大名の毛利氏の勢力を削ぐため、幕府からは山陰の過疎地であった萩に許可を出したようです。以後約250年間、防長両国の政治の中心になり、明治維新には歴史的な重要拠点にもなったのでした。
 萩城は日本海に張り出した指月山の詰の丸と、その山麓に梯郭式に本丸・二の丸・三の丸を配し三重の堀を巡らした平山城です。
 外堀の内に三の丸、中堀の内が二の丸、内堀の内に本丸が設けられていたわけです。本丸には、天守閣、本丸御殿、櫓が、二の丸には櫓12棟が立ち並んでいました。
 明治7年(1874)前年に発布された廃城令により天守や櫓などの建物が破却されてしまいました。本丸には高さ14、5mの五層の天守閣がありましたが、今はその台座のみが残っているだけです。
 志都岐山神社前の庭池に架かる石橋は万歳橋と呼ばれ、藩校明倫館の聖廟前のはん水中央に架けられていた橋でした。江戸時代の藩校の貴重な遺構として、萩市の文化財に指定されています。
 現在は指月公園として整備され、旧城の入り口には旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(国の重要文化財)が往時の姿を偲ばせてくれます。


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山口県立萩美術館・浦上記念館

2009年07月13日 | 旅 歴史
 今日は山口県萩市平安古にある 山口県立萩美術館・浦上記念館を紹介します。
 山口県立萩美術館・浦上記念館は萩出身の実業家、浦上敏朗氏のコレクションの寄贈を機に開館した美術館です。
 萩の町並みを連想させる横長の平面や土塀を暗示する石の造形で、古い面影のある近代的な建物に仕上げています。
 歌川広重の「東海道五十三次」をはじめ、安藤広重、葛飾北斎、歌川国芳、喜多川歌麿らの浮世絵約5000点を収蔵しています。また中国や朝鮮の陶磁器や青銅器類など500点も収蔵展示しています。

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