旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

平岡八幡宮

2009年10月04日 | 旅 歴史
 京都府京都市右京区梅ヶ畑宮の口町にある平岡八幡宮です。
 大同4年(809年)、弘法大師により創建された京都最古の八幡宮で、高雄山神護寺の守護神とされています。応永14年(1407)に焼失しましたが、直ちに足利義満により再建されました。現建物は文政9年に修復されたものです。
 内陣天井は極彩色の花絵44面が描かれ、「花の天井」とよばれています。正面の鴨居には熨斗袋が描かれこれが熨斗の習慣の初めといわれています。御神木は樹齢600年とも800年ともいわれている15mのツブラシイの木です。



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仁和寺

2009年10月04日 | 旅 歴史
 今日は京都市右京区御室大内にある仁和寺を紹介します。
 仁和2年(886)、第58代光孝天皇の勅願によって建設に着手されました。先帝の菩提を弔い、仏法の興隆を図るため「西山御願寺」(にしやまごがんじ)と称する一寺の建立を発願されたことが始まりです。
 しかし、天皇はその工事なかばにして崩御せられ、次の宇多天皇によって仁和寺は仁和4年(888)、年号を寺号として創建されました。以来、明治維新まで30代、約1000年にわたり皇子皇孫が仁和寺の門跡(住職)に就任し、門跡寺院の第一として隆盛を極めました。
 平安時代の中期から鎌倉時代にかけて皇室の尊崇と貴族の庇護を受けた仁和寺は、大きく栄えることになりました。法親王入寺ごとに御堂が新設されて堂舎僧坊は増加し、寺域も拡大して東は紙屋川辺から西は広沢池にまで及んだそうです。
  一時の仁和寺は子院も含めて64を数えるという大伽藍で壮観を極めました。しかし、元永2年(1119)と仁平3年(1153)の大火で大打撃を受けました。鎌倉時代も後半を迎える頃になると、貴族に替わって武家が台頭し、仏教も禅宗の方が盛んになり、真言宗はかつての栄光を失っていきました。
 そして、応仁元年(1467)に始まった応仁の乱によって、仁和寺は一山ことごとく焼失するという悲運に見舞われたのです。応仁の乱が始まった翌年、当時仁和寺は西軍の一拠点となっており、東軍の焼き討ちに遭い、わずか一夜にしてことごとく焼失することとなったのです。
 その後、21世覚深法親王の時、徳川三代将軍家光によって20余万両の寄進と、京都御所の紫宸殿、清涼殿などを移築して、やっと再建されるところとなりました。当時御所に存在しなかった二王門や五重塔は、その当時新築されたものだそうです。 
 明治20年(1887)の火災で本坊の多くを焼失し、大正2年(1913)現在の姿になりました。それでも仁和寺の広大な境内は御室御所跡として史跡に指定され、伽藍の建造物は、その多くが国宝や重要文化財に指定されています。そして千年以上の歴史と、多くの文化財を所有する仁和寺は、平成6年(1994)ユネスコの世界文化遺産に登録されたのです。




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