旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

我が郷土_上田

2009年10月12日 | Weblog
我が郷土_上田
このプログは上田の旅と歴史が出発になっています。

旅と歴史のブログをご覧いただき誠にありがとうございます。
コメントをお寄せいただいた雪だるまさん、メタポおじさん、他各位 ありがとうございます。
現在京都の寺社を中心に紹介させていただいています。滋賀県、三重県と順番に紹介し近畿地方を編集中です。
忙しい中、編集しておりますので誤字脱字などあろうかと思います。また紹介した記事が間違いでおかしいと感じられた箇所もあるかもしれません。
そのような場合はぜひコメントに載せていただきたいと思います。
私個人へ直接連絡したい場合は ogino@ueda.ne.jp  までお寄せください。

今後ともよろしくお願い申し上げます。



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清涼寺

2009年10月12日 | 旅 歴史

 今日は京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町にある清涼寺を紹介します。
 「嵯峨の釈迦堂さん」の愛称で親しまれる浄土宗の寺です。浄土宗の元祖法然上人が、24歳の時に人々を救う仏教を求めて、同寺の釈尊像の前に7日間籠ったという由緒ある寺院なのです。
 仁王門から入った広い境内の参道正面に本堂があります。正面ひさし上に隠元筆の「栴壇瑞像(せんだんずいぞう)」の大額があります。みほとけは栴檀の香木を刻んだ生身の仏とされることからきています。
 他に阿弥陀堂、一切経蔵、薬師寺、宝物館、弁天堂、狂言堂、聖徳太子殿、鐘楼、豊臣秀頼公首塚、多宝塔など多くの堂塔が建ちならんでいます。
 清涼寺の起源である棲霞観(せいかかん)は、源融が嵯峨天皇から仙洞(嵯峨院)の地所の一部を別荘として賜り、寺として建立したもので、寛平7年(895)、融の死後、遺族がこの地に御堂を建てたのが阿弥陀堂の始まりといわれています。
 清涼寺は、平安貴族の源融の山荘地で、融の死後、寺に改め、棲霞寺とされたそうです。のちの寛和元年(985)、宋より帰朝した東大寺の僧然(ちょうねん)が持ち帰った釈迦如来を、その境内に一宇を建てて安置したそうです。
 然(ちょうねん)は清涼寺を創建しようとしていましたが果たさず亡くなりました。その後弟子の盛算がその志を継いで釈迦堂を建てたのが始まりとされています。
 棲霞寺は華厳宗でしたが、浄土信仰の振興につれて清凉寺の方が高名となり、現在、棲霞寺は阿弥陀堂にのみ名残をとどめています。
 本尊は国宝の木造釈迦如来立像でインド、中国、日本と三国伝来の釈迦如来といわれています。37歳のお釈迦様の生き姿をそのまま写したものであるということです。
 昭和39年(1964)には像内納入品が発見されて国宝に指定されています。本堂左に薬師堂、その前に鐘楼があります。梵鐘は室町時代のものです。
 秀頼公首塚は昭和55年(1980)に大阪城の三の丸から出土した豊臣秀頼の首を昭和58年(1983)に納めたものだそうです。首に介錯の跡があったといわれています。




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