旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

嵐山公園

2009年10月15日 | 旅 歴史
 京都市西京区嵐山上河原町にある嵐山公園です。
 嵐山は、標高375メートルの山で国の史跡・名勝に指定されています。もとは、対岸の小倉山と併せて小倉山と呼ばれていたそうです。
 「小倉山峯のもみぢ葉心あれば・・・」の歌でも知られるように古くから桜と紅葉の名所として有名なところです。
 山頂には、嵐山城の跡があり、通称元禄山の山頂から南へ少し下がった尾根に、礎石がわずかに残っています。
 管領細川政元の家臣で山城国守護代の香西元長がここを本拠とし、永正4年(1507年)6月に政元を暗殺したときも、ここから京都へ打って出て都の支配権を握りました。
 しかし8月の百々橋の合戦で敗れ討死しました。この知らせが嵯峨野に伝わると、日頃香西の酷使に甘んじていた農民が蜂起して嵐山城へ乱入し、留守居の武士を皆殺しにしたということです。
 村岡局(むらおかのつぼね)の座像です。村岡局は本名を津崎矩子(つざきのりこ)といい大覚寺門跡諸大夫の妹です。近衛家に仕えて村岡局と称しました。朝政を預かる近衛忠熙の信任が厚く、僧月照や西郷隆盛などとも親交を持っていました。
 安政の大獄で捕らえられましたが、30日の押しこめの後許されて京都へ帰り、直指庵(じきしあん)を再興し、ここで87才の生涯を終えました。江戸へ送られる道中で次の有名な和歌を詠みました。
 嬉しさを何に喩へむ 駿河なる富士の高嶺を 近く見つれば
 角倉了以(すみのくらりょうい)の像です。京都の豪商で金融業を営み、常寂光寺でも登場しました。慶長16年には鴨川に沿って二条から伏見に至る高瀬川を掘り、京都大坂間の物資運送に役立てました。




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常寂光寺

2009年10月15日 | 旅 歴史
 今日は京都市右京区嵯峨小倉山小倉町にある常寂光寺を紹介します。
 百人一首で知られる小倉山の中腹にある常寂光寺は日蓮宗の寺です。藤原定家の山荘、時雨亭があったところだそうです。
 茅葺きの仁王門が印象的です。そこをくぐると急な石段が山の斜面に沿って本堂へと続いています。
 江戸初期の商人で、熱心な日蓮信者であった角倉了以が可愛がっていた僧日禎(にってい)の隠居所として建てたものを、その門弟の日詔が寺に改めたそうです。
小早川秀秋らが堂宇の建立に寄与しました。そして2世の日詔(につしょう)はさらに整備したそうです。
 日蓮宗不受不施派本圀寺16世日禎は、豊臣秀吉の東山大仏の開眼千僧供養に出仕を拒否、この地に隠居したのでした。
 隠居所を寺に改め、土地が常寂光土の感があるとして「常寂光寺」としたそうです。
 本圀寺から移築された仁王門は南北朝時代の藁葺きの門で、京都屈指の紅葉の名所です。
 仁王門に至る参道わきに藤原定家の時雨亭跡碑があります。 
 坂を上った正面には伏見城の一部といわれる本堂があります。
 その上の多宝塔は元和6年(1620)の建立で、釈迦如来と多宝如来の両如来を本尊にしているので、並尊院という霊元天皇の勅額を掲げています。
 この多宝塔は国の重要文化財に指定されています。京の町衆辻藤兵衛尉の寄進したものだそうです。
 さらに上に行くと歌仙祠があります。定家、家隆、家康の木像が祀られています。




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