旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

等持院

2009年10月07日 | 旅 歴史
 京都市北区等持院北町にある等持院です。
 足利尊氏は暦応2年(1341)現在の御池/柳馬場付近に等持寺を建立し夢窓疎石を迎えて開山しました。その後、等持院の別院として北等持寺をこの地に建立しました。
 尊氏の没後ここで葬儀を行いました。北等持寺は等持院と改名し、天竜寺末として夢窓門流相承の臨済宗天龍寺派の禅寺となりました。
 以後足利歴代将軍の廟所となって毎年7月15日に将軍が参詣する足利家の菩提寺となりました。応仁の乱で本寺が焼失後はこちらの等持院が本寺となったのです。
 方丈は後水尾天皇の元和2年(1616)に福島正則が妙心寺塔頭の方丈として建立した物を文政元年(1818)ここに移転再建したものです。廊下は鶯張り、襖絵は狩野興次のものです。
 霊光殿には弘法大師作と伝わる地蔵尊を本尊として、足利歴代の将軍13人の木像や石清水八幡宮豊蔵坊から遷した徳川家康の木造が祀られています。
 足利尊氏の墓もあり、京都で紅葉が一番早く色づくことでも知られています。文久2年(1863)尊王攘夷派の浪士が尊氏ら木像3体の首を抜き取って三条河原にさらしたという事件もありました。
 東庭は夢窓疎石の作庭といい、心字池を配した閑寂な庭。西庭には茶室清漣亭(せいれんてい)がひっそりと姿を見せ季節の花が彩りを添えます。この茶室は義政好みといわれ、上段一畳を貴人床、そこに坐して眺める庭の美しさは格別です。
 芙蓉池は天竜寺の曹源池とともに夢窓国師の名作の一つです。池全体が蓮形の形をなしていて中の島は蓬莱島です。


等持院撮影所跡
 1921年、マキノ省三が等持院境内に建設した京都唯一の寺内撮影所です。 マキノキネマは先駆的な時代劇映画を送りだすとともに、後の日本映画を支える人材を育成しました。 



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金閣寺(鹿苑寺)

2009年10月07日 | 旅 歴史
 今日は京都市北区金閣寺町にある金閣寺(鹿苑寺)を紹介します。
 鹿苑寺(ろくおんじ)と言う臨済宗の禅寺です。
 お釈迦様のお骨をまつった舎利殿(金閣)が特に有名なため、金閣寺とよばれています。この地は、鎌倉時代に西園寺公経の別荘北山第が在りましたが、足利三代将軍義満(よしみつ)が大変気に入り、応永四年(1397年)に西園寺家から譲り受け、山荘北山殿を造りました。
 金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に現したと言われ、後小松天皇をお招きしたり、又、中国との貿易を盛んにして文化の発展に努力した所で、この時代の文化を特に北山文化と言います。 
 義満の死後、遺言通り夢窓国師を開山(初代の住職)とし義満の法号鹿苑院殿から二字をとり、鹿苑寺と名づけられました。
 二層と三層は漆の上から純金の箔が張ってあります。屋根は椹の薄い板を何枚も重ねたこけら葺きです。屋根の上には中国で縁起がよいといわれる鳳凰が輝いています。  
 一層は寝殿造、二層は武家造、三層は中国風の禅宗仏殿造で、3つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建築物です。
  金閣寺の庭園
 鏡湖池には大小の島々、奇岩名石が配されています。北方の山々西の衣笠山などを借景としたこの庭園は、室町期の代表的な傑作です。        




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