京都市宇治市宇治山田にある宇治神社です。
宇治橋東詰の上流、朱色の朝霧橋たもとの鳥居をくぐると、応神天皇の皇子で、宇治十帖の八宮(はちのみや)のモデルとも言われている「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の邸宅跡と考えられている宇治神社があります。皇子の亡くなった後、邸宅跡にその霊を祭ったのが宇治神社の起こりといわれています。
古くは離宮明神・離宮八幡とも呼ばれ、明治維新までは、離宮下社と呼ばれていました。明治維新までは宇治神社とその東奥に位置する宇治上(うじかみ)神社は一対の関係でした。
本殿は三間社流造り桧皮葺きの社殿で、鎌倉時代初期の建築です。内殿には菟道稚郎子の木造等身大坐像がお祀りしてあります。いずれも国の重要文化財に指定されています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
宇治橋東詰の上流、朱色の朝霧橋たもとの鳥居をくぐると、応神天皇の皇子で、宇治十帖の八宮(はちのみや)のモデルとも言われている「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の邸宅跡と考えられている宇治神社があります。皇子の亡くなった後、邸宅跡にその霊を祭ったのが宇治神社の起こりといわれています。
古くは離宮明神・離宮八幡とも呼ばれ、明治維新までは、離宮下社と呼ばれていました。明治維新までは宇治神社とその東奥に位置する宇治上(うじかみ)神社は一対の関係でした。
本殿は三間社流造り桧皮葺きの社殿で、鎌倉時代初期の建築です。内殿には菟道稚郎子の木造等身大坐像がお祀りしてあります。いずれも国の重要文化財に指定されています。
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