京都府京都市山科区小野御霊町にある随心院です。
伏見の欣浄寺に住んでいた深草少将が小野小町の元に百日通った所が、この随心院の場所です。今の「小町化粧の井戸」の辺りだそうです。
この地に語り伝えられる百夜通(ももよがよい)の話は悲哀にみちています。深草少将は小町を慕って、小野の里に雨の夜も雪の夜も通い続けました。九十九日目の夜、降る雪と発病により最後の一夜を前に世を去ったのです。
夢にしか会えない人を思い、多くの夢の歌を残し、後世六歌仙の第一人者と評され、小倉百人一首の「花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふるながめせしまに」 と歌いました。哀愁に富み、情熱的な歌は、華やかな盛艶時代を想い、人生のはかなさを歌っています。
小野小町の屋敷後に残る井戸で小町が朝夕この水で化粧をこらしたと「都名所図絵」に記されています
文塚があります。本堂裏の竹やぶの中にあり、深草少将をはじめ当時の貴公子たちから小町に寄せられた千束の手紙を埋めたところと伝えられています。五つの球体を重ねたユニークな形の石塔です。
萱葺の屋根の下に年代ものの直径1mほどの榧(かや)の木の幹が横たわっています。
深草少将が百夜通いの折に小野小町のところに日ごと榧(かや)の実を置いてきました。99夜目に、後1夜残して亡くなってしまいます。
小町は後に供養のため、榧の実を小野の里に蒔きました。この幹が成長したその榧の木だそうです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
伏見の欣浄寺に住んでいた深草少将が小野小町の元に百日通った所が、この随心院の場所です。今の「小町化粧の井戸」の辺りだそうです。
この地に語り伝えられる百夜通(ももよがよい)の話は悲哀にみちています。深草少将は小町を慕って、小野の里に雨の夜も雪の夜も通い続けました。九十九日目の夜、降る雪と発病により最後の一夜を前に世を去ったのです。
夢にしか会えない人を思い、多くの夢の歌を残し、後世六歌仙の第一人者と評され、小倉百人一首の「花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふるながめせしまに」 と歌いました。哀愁に富み、情熱的な歌は、華やかな盛艶時代を想い、人生のはかなさを歌っています。
小野小町の屋敷後に残る井戸で小町が朝夕この水で化粧をこらしたと「都名所図絵」に記されています
文塚があります。本堂裏の竹やぶの中にあり、深草少将をはじめ当時の貴公子たちから小町に寄せられた千束の手紙を埋めたところと伝えられています。五つの球体を重ねたユニークな形の石塔です。
萱葺の屋根の下に年代ものの直径1mほどの榧(かや)の木の幹が横たわっています。
深草少将が百夜通いの折に小野小町のところに日ごと榧(かや)の実を置いてきました。99夜目に、後1夜残して亡くなってしまいます。
小町は後に供養のため、榧の実を小野の里に蒔きました。この幹が成長したその榧の木だそうです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
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