旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

随心院

2009年10月20日 | 旅 歴史
 京都府京都市山科区小野御霊町にある随心院です。
 伏見の欣浄寺に住んでいた深草少将が小野小町の元に百日通った所が、この随心院の場所です。今の「小町化粧の井戸」の辺りだそうです。 
 この地に語り伝えられる百夜通(ももよがよい)の話は悲哀にみちています。深草少将は小町を慕って、小野の里に雨の夜も雪の夜も通い続けました。九十九日目の夜、降る雪と発病により最後の一夜を前に世を去ったのです。
 夢にしか会えない人を思い、多くの夢の歌を残し、後世六歌仙の第一人者と評され、小倉百人一首の「花の色はうつりにけりな  いたづらにわが身世にふるながめせしまに」 と歌いました。哀愁に富み、情熱的な歌は、華やかな盛艶時代を想い、人生のはかなさを歌っています。
  小野小町の屋敷後に残る井戸で小町が朝夕この水で化粧をこらしたと「都名所図絵」に記されています
 文塚があります。本堂裏の竹やぶの中にあり、深草少将をはじめ当時の貴公子たちから小町に寄せられた千束の手紙を埋めたところと伝えられています。五つの球体を重ねたユニークな形の石塔です。
  萱葺の屋根の下に年代ものの直径1mほどの榧(かや)の木の幹が横たわっています。
 深草少将が百夜通いの折に小野小町のところに日ごと榧(かや)の実を置いてきました。99夜目に、後1夜残して亡くなってしまいます。
 小町は後に供養のため、榧の実を小野の里に蒔きました。この幹が成長したその榧の木だそうです。




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勧修寺

2009年10月20日 | 旅 歴史
 今日は京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町にある勧修寺(かじゅうじ)を紹介します。
 勧修寺は真言宗山階派の大本山です。昌泰三年(900年)、醍醐天皇は生母の菩提を弔うため、生母の里であった寺を御願寺と定め、外祖父藤原高藤の諡号をとって、勧修寺と号されました。本堂は江戸時代に霊元天皇より仮内侍所を賜って造られたとされ、千手観音像を祀っています。
 天皇家、藤原家の帰依のもと、代々の法親王が相次いで入寺され、門跡寺院として繁栄しましたが、まもなく衰え、徳川氏の時代、寺領寄進などにより再興されました。
 庭園は氷室池を中心として、まわりの山々の景色も取り入れた池泉回遊式庭園です。平安時代には、この池に張る氷の厚さでその年の農作物の豊凶が占われたそうです
 寝殿作り風の宸殿や、江戸初期書院作りの典型とされる書院(重文)は元禄10年(1697)に、明正天皇の旧殿を外賜されたものです。前庭には水戸光圀が寄進したという、背が低く大きな笠を乗せた「勧修寺形」の灯籠があり、針状の葉をもつ樹齢750年のハイビャクシンが広がります。



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