フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月5日(土) 晴れ

2006-08-06 02:27:10 | Weblog
  今日もまた暑い一日だった。私の書斎は2階の西側にあるため、午後は日射しがきつい。遮光カーテンを下ろして冷房を入れれば快適に仕事はできるが、まだ仕事はアウトプット(原稿執筆)の段階ではなく、インプット(読書や映画鑑賞)の段階なので、書斎に籠もる必要はなく、居間や喫茶店でも仕事はできる。それになにより夏休みに入ったばかりなので、「今日も暑いな~」と夏の暑さを十分に堪能したい。
  というわけで、午後は居間にモバイルPCを持って移動し、TSUTAYAでレンタルした加山雄三主演『銀座の若大将』(1962年)のDVDを観た。1961年にスタートしたプログラムピクチャー「若大将シリーズ」の2作目である。育ちが良くて、明朗快活、ハンサムで、スポーツ万能で、楽器や歌もセミプロ級で、もちろん女の子にはモテモテの京南大学4年生の田沼雄一を主人公にしたこのシリーズは、石原裕次郎や小林旭のアウトローもの(抵抗する青春)、吉永小百合と浜田光夫コンビの純情もの(清く貧しく美しい青春)と、相互補完的に組み合わさって、高度成長期前半における「青春の正三角形」を構成していた、というのが私の仮説である。
  体制への組み込まれという軸から観ると、石原裕次郎・小林旭は体制の周辺ないし外部に位置し、吉永小百合・浜田光夫コンビと加山雄三は体制の内部に位置する。社会階層という軸から観ると、加山雄三は中産階級に位置し、吉永小百合・浜田光夫コンビは下層階級に位置する(石原裕次郎と小林旭は作品によって階層間を上下する)。60年安保闘争を境にして、日本の社会は政治の季節(安保反対)から経済の季節(所得倍増)に移行し、人々は職場(企業)と家庭(核家族)を2つの重心とする楕円的生活構造の内部に組み込まれていった。貧しさはしだいに社会生活の表面から姿を消していき、アウトローもまた社会の表舞台から姿を消していった。こうした時代の趨勢の中で、石原裕次郎と小林旭、そして吉永小百合・浜田光夫のコンビが反時代的ないし時代批判的なアイドルであったことはいうまでもない。彼らがアイドルたりえたのは、人々の心の中に、自分たちが飼い慣らされた鶏や豚になっていくこと、それも嬉々としてそうなっていくことへの、忸怩たる思いがあったからであろう。
  他方、加山雄三は時代のベクトルの上に存在するアイドルであった。当時、大学進学率はまだ低く、恋とスポーツと音楽から構成される「明るく楽しい大学生活」は「夢のハワイ」のようなものであった(シリーズ第4作「ハワイの若大将」1963年は、その意味で、二重に観客のあこがれを刺激したことだろう)。観客には子どもが多かった。なぜなら若大将シリーズは怪獣ものと同時上映されることが多かったからだ。小学生だった私も、ゴジラやモスラやキングギドラを観に行って、そのついでに加山雄三と出会ったのである。小学生は、忸怩たる思いとは無縁であったから、加山雄三を成長のモデルとすることに何のためらいもなかった。加山雄三は大衆教育社会の促進要因の一つとなった。「明るく楽しい大学生活」という幻想が打ち砕かれるのは、60年代末の大学紛争を待たねばならなかった。
  途中で、DVDを一時停止状態にして、コンビニにアイスクリームを買いに行った。アスファルトの上の影も暑そう(熱そう?)であった。

          
                      影の男