午前8時、起床。TVのニュースでは「台風一過の青空」という常套句を使っているが、自宅の二階のベランダから見上げる青空はそれほどすっきりとはしていない。しかし暑い一日になることだけは間違いない。朝食(ハムトーストと牛乳)の後、原稿書き。昼食(にしんうどん)の後、昼寝。
夕方、散歩に出る。TSUTAYAで加山雄三主演『フレッシュマン若大将』(1969年)のDVDを借りる。1961年の『大学の若大将』から8年、ついに若大将は大学を卒業し企業(日東自動車)に就職したのである。
有隣堂で海堂尊『チーム・バチスタの栄光』(宝島社)を購入し、シャノアールで読む。帯に「第4回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作」と印刷されている。なるほど、劇画的なタッチの小説で、エンターテイメント性は非常に高い。TVドラマ『医龍』を毎回面白く観ていたので、それとの相乗効果もあると思うが、とても新人の書いたものとは思えない。45歳の勤務医とのことだが、ホントかよと思ってしまう。
シャノアールへの階段
夕食はサーモンのソテーのクリームソース添え、タコと水菜とレタスのサラダ、、ミネストローネ、御飯。夕刊の訃報欄に、バン・アレン帯を発見した物理学者ジェームズ・バン・アレン(91歳)の名前があった。そしてその隣に、革マル派最高幹部の黒田寛一の死(今年6月26日)が確認されたという記事が載っていた。享年78歳。
食後、『フレッシュマン若大将』を観る。つくづく「若大将シリーズ」は一つ前の『リオの若大将』(1968年)で終止符を打っておくべきだったと感じる。「社会人編」は蛇足であった。恋と音楽(バンド活動)とスポーツ(競技スポーツ)という三位一体が、ここでは崩れてしまっている。恋はあるが、相手役は星由里子から酒井和歌子に代わってしまった。スポーツはあるが、それは競技スポーツではなく、デートの場面でスケート場が使われるに過ぎない。音楽はあるが、バンド活動ではなく、ところどころで童謡や演歌のような歌を口ずさむだけである。競技スポーツの機能的等価物は他社との営業合戦である。大学時代の若大将は人からものを頼まれるとイヤと言えない性格で、それが彼をさまざまな困難に直面させたのだが、今回、彼を動かすのは会社の要請である。新人研修の場面で、上司が若大将たちフレッシュマンに「研修は、これまで自由気ままに生きてきた君たちを、会社の規律に一日も早く慣れさせるためのものだ」と言っていたが、まさにこの作品は、若大将が長い長いモラトリアムを終えて、企業社会に組み込まれていく過程を描いているのである。誰がそんなものを観たいと言ったのだろう。ちなみに『フレッシュマン若大将』の公開は1969年1月1日。東大安田講堂の攻防戦は同月18日である。学生たちの反乱の終焉と「若大将シリーズ社会人編」のスタートのシンクロナイズは偶然なのであろうか。
夕方、散歩に出る。TSUTAYAで加山雄三主演『フレッシュマン若大将』(1969年)のDVDを借りる。1961年の『大学の若大将』から8年、ついに若大将は大学を卒業し企業(日東自動車)に就職したのである。
有隣堂で海堂尊『チーム・バチスタの栄光』(宝島社)を購入し、シャノアールで読む。帯に「第4回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作」と印刷されている。なるほど、劇画的なタッチの小説で、エンターテイメント性は非常に高い。TVドラマ『医龍』を毎回面白く観ていたので、それとの相乗効果もあると思うが、とても新人の書いたものとは思えない。45歳の勤務医とのことだが、ホントかよと思ってしまう。
シャノアールへの階段
夕食はサーモンのソテーのクリームソース添え、タコと水菜とレタスのサラダ、、ミネストローネ、御飯。夕刊の訃報欄に、バン・アレン帯を発見した物理学者ジェームズ・バン・アレン(91歳)の名前があった。そしてその隣に、革マル派最高幹部の黒田寛一の死(今年6月26日)が確認されたという記事が載っていた。享年78歳。
食後、『フレッシュマン若大将』を観る。つくづく「若大将シリーズ」は一つ前の『リオの若大将』(1968年)で終止符を打っておくべきだったと感じる。「社会人編」は蛇足であった。恋と音楽(バンド活動)とスポーツ(競技スポーツ)という三位一体が、ここでは崩れてしまっている。恋はあるが、相手役は星由里子から酒井和歌子に代わってしまった。スポーツはあるが、それは競技スポーツではなく、デートの場面でスケート場が使われるに過ぎない。音楽はあるが、バンド活動ではなく、ところどころで童謡や演歌のような歌を口ずさむだけである。競技スポーツの機能的等価物は他社との営業合戦である。大学時代の若大将は人からものを頼まれるとイヤと言えない性格で、それが彼をさまざまな困難に直面させたのだが、今回、彼を動かすのは会社の要請である。新人研修の場面で、上司が若大将たちフレッシュマンに「研修は、これまで自由気ままに生きてきた君たちを、会社の規律に一日も早く慣れさせるためのものだ」と言っていたが、まさにこの作品は、若大将が長い長いモラトリアムを終えて、企業社会に組み込まれていく過程を描いているのである。誰がそんなものを観たいと言ったのだろう。ちなみに『フレッシュマン若大将』の公開は1969年1月1日。東大安田講堂の攻防戦は同月18日である。学生たちの反乱の終焉と「若大将シリーズ社会人編」のスタートのシンクロナイズは偶然なのであろうか。