雨が降ったり、止んだり、ときには陽が射したり、それに応じて、ベランダの洗濯物を取り込んだり、また干したりと忙しい一日だった(夜には雷まで鳴った)。
乱れ雲
夕方、「日本の古本屋」のサイトで注文した『諸君!』1973年3月号が沙羅書房(岩手県)から届いたので、それを持って散歩に出る。蒲田の3つの駅ビルは、一昨日がパリオ、昨日がサンカマタ、今日が東急プラザと順番で休館にしている。有隣堂(サンカマタ6F)で、以下の本を購入。
田村泰次郎『肉体の悪魔/失われた男』(講談社文芸文庫)
相沢幸越『品位のある資本主義』(平凡社新書)
中野雅至『格差社会の結末』(ソフトバンク新書)
文春新書編集部編『論争 格差社会』(文春新書)
おなじフロアーにある「カフェ・ド・クリエ」で持参した『諸君!』を読む。お目当ては清水幾太郎の「天皇論」だ。1969年3月に20年間勤めた学習院大学を辞めてフリーの学者になった清水が、保守の論客として本格的に論壇に再デビューを果たしたときの記念碑的論文だ。もちろん私はすでにこの論文を読んでいる。ただし、1980年に出版された清水の評論集『戦後を疑う』(講談社)の中の一篇として。内容は同じである。
しかし、これは『漱石とその時代』を書いた江藤淳から学んだ方法なのだが、研究対象としているテキストを初出のときの形態で読むことは大事なことだ。漱石の小説の多くは新聞の連載小説であるが、江藤は保管されている当時の新聞をめくって漱石の小説を読んだのである。同じ小説でも、そうやって読むのと、漱石全集や文庫本で読むのとは何かが違うはずである。ストーリーは同じでも、活字、振り仮名、レイアウト、挿絵は違う。その日その日の新聞記事も目に飛び込んでくる。それと小説とが一種の化学反応を起こすこともあるかもしれない。つまりはできる限り同時代の読者の目で漱石の小説を読もうとしたのだ。『漱石とその時代』はそうやって書かれたのである。
『諸君!』1973年3月号の表紙には、二重橋のイラストと、そして大きな活字で「清水幾太郎 天皇論」と印刷されている。これは、今日、雑誌の実物を手にするまで知らなかったことである。清水の論文がこの号の目玉であったことがわかる。「清水幾太郎」と「天皇論」という2つの記号の組み合わせは、すでにそれだけでセンセーショナルだったのだ。グラビアは「東欧の優等生-ドイツ民主共和国」というタイトルで、ブランデンブルグ門を見つめる市民や、生誕百年を記念して立てられた巨大なレーニン像(映画『グッバイ・レーニン』の中で解体されてヘリコプターで運ばれていたやつだ)の前に集まる群衆などの写真が載っている。目次を見ると、佐瀬昌盛「共産党戦術 東欧の教えてくれるもの」というタイトルの論文があって、「共産党政権下の複数政党制の実体をはたしてご存じなのか。社共両党にあえて質問したい」というリード文が付いている。この号が出る2ヶ月前、1972年12月の総選挙で日本共産党は大躍進(14→38議席)をしている。こうした左翼政党の台頭への危機感が背景にあったことは間違いない。
ちなみに1973年3月、私は高校を卒業し、早稲田大学への入学を目前に控えていた。清水幾太郎という名前の人物のことはまだ何も知らなかった。
レモンスカッシュを注文したら、炭酸水とレモン半分とレモン絞り器を渡された。
乱れ雲
夕方、「日本の古本屋」のサイトで注文した『諸君!』1973年3月号が沙羅書房(岩手県)から届いたので、それを持って散歩に出る。蒲田の3つの駅ビルは、一昨日がパリオ、昨日がサンカマタ、今日が東急プラザと順番で休館にしている。有隣堂(サンカマタ6F)で、以下の本を購入。
田村泰次郎『肉体の悪魔/失われた男』(講談社文芸文庫)
相沢幸越『品位のある資本主義』(平凡社新書)
中野雅至『格差社会の結末』(ソフトバンク新書)
文春新書編集部編『論争 格差社会』(文春新書)
おなじフロアーにある「カフェ・ド・クリエ」で持参した『諸君!』を読む。お目当ては清水幾太郎の「天皇論」だ。1969年3月に20年間勤めた学習院大学を辞めてフリーの学者になった清水が、保守の論客として本格的に論壇に再デビューを果たしたときの記念碑的論文だ。もちろん私はすでにこの論文を読んでいる。ただし、1980年に出版された清水の評論集『戦後を疑う』(講談社)の中の一篇として。内容は同じである。
しかし、これは『漱石とその時代』を書いた江藤淳から学んだ方法なのだが、研究対象としているテキストを初出のときの形態で読むことは大事なことだ。漱石の小説の多くは新聞の連載小説であるが、江藤は保管されている当時の新聞をめくって漱石の小説を読んだのである。同じ小説でも、そうやって読むのと、漱石全集や文庫本で読むのとは何かが違うはずである。ストーリーは同じでも、活字、振り仮名、レイアウト、挿絵は違う。その日その日の新聞記事も目に飛び込んでくる。それと小説とが一種の化学反応を起こすこともあるかもしれない。つまりはできる限り同時代の読者の目で漱石の小説を読もうとしたのだ。『漱石とその時代』はそうやって書かれたのである。
『諸君!』1973年3月号の表紙には、二重橋のイラストと、そして大きな活字で「清水幾太郎 天皇論」と印刷されている。これは、今日、雑誌の実物を手にするまで知らなかったことである。清水の論文がこの号の目玉であったことがわかる。「清水幾太郎」と「天皇論」という2つの記号の組み合わせは、すでにそれだけでセンセーショナルだったのだ。グラビアは「東欧の優等生-ドイツ民主共和国」というタイトルで、ブランデンブルグ門を見つめる市民や、生誕百年を記念して立てられた巨大なレーニン像(映画『グッバイ・レーニン』の中で解体されてヘリコプターで運ばれていたやつだ)の前に集まる群衆などの写真が載っている。目次を見ると、佐瀬昌盛「共産党戦術 東欧の教えてくれるもの」というタイトルの論文があって、「共産党政権下の複数政党制の実体をはたしてご存じなのか。社共両党にあえて質問したい」というリード文が付いている。この号が出る2ヶ月前、1972年12月の総選挙で日本共産党は大躍進(14→38議席)をしている。こうした左翼政党の台頭への危機感が背景にあったことは間違いない。
ちなみに1973年3月、私は高校を卒業し、早稲田大学への入学を目前に控えていた。清水幾太郎という名前の人物のことはまだ何も知らなかった。
レモンスカッシュを注文したら、炭酸水とレモン半分とレモン絞り器を渡された。