午後、昼飯を取りがてら散歩に出る。蕎麦を食べたかったが、木曜日で「やぶ久」は定休日のため、「満月」に行く。場所が駅に近い分、「やぶ久」よりも値段の設定はいくらか高目である。天ざる(1500円)を注文。蕎麦つゆが天つゆを兼ねている蕎麦屋が多いが、「満月」ではちゃんと別々の器で出てくるので、蕎麦つゆが天ぷらの油で汚れることがない。もちろん蕎麦つゆは冷たく、天つゆは温かい。蕎麦湯も熱かった(蕎麦湯がぬるいと本当にがっかりする)。天ぷらは数が多く、1つ1つの天ぷらも大きい。これで1500円は高いとは言えないだろう。
「満月」を出て、そのまま床屋に行く。「理髪一番」というチェーン店で、席は7つあり、平日の昼間に行けば、たいてい待たずにやってもらえる。今日もそうだった。年輩の職人が多く、仕事が丁寧な印象を受ける。これで料金2400円は安い。なんだか申し訳ない気がするくらいだ。もちろん安いだけならもっと安い店もあるが、それで技術やサービスが落ちては意味がない。
散髪を終えて、商店街を散歩する。蒲田駅西口には3本の商店街が平行して走っている。一番道幅が広いのはサンライズ商店街。私がよく行くシャノアールはここにある。数年前まで古書店としては大きな店構えの「書林大黒」があって、散歩の途中で必ず立ち寄ったものだが、いまではどこにでもあるようなドラッグストアーになっている。真っ当な古本屋が街から一軒なくなることの文化的損失は計り知れない。
サンライズ蒲田
いまは何か別の名前になったらしいが(誰もその名前を知らない)、昔は蒲田銀座と呼ばれたその商店街は人通りが少ない。昔からの個人経営の小さな洋品屋が多いが、いまの時代、誰もそういう店で服など買わない。もし私が商店会長なら、あれこれのお総菜を売る店(もちろん自家製のものを店頭販売する)を目玉にして商店街の復興を目指すだろう。生活感と活気が商店街には何よりも大切だ。
蒲田銀座
蒲田銀座は奥まで行くと、途中からアーケードがなくなる。その先には昭和30年代の面影を残した飲食店街がある。安くて旨い鰻屋の寿々木や、私の中学時代のクラス担任だったH先生が学校を辞めて板前になった釜飯屋もここにある。
レトロな食堂街
東急池上線と多摩川線(昔の目蒲線)の高架線沿いにあるのが、正式な名称は知らないが、くいだおれ横丁である。もっとも食堂が多いのは途中までで、その先は飲み屋街になっている。夕暮れ前のこの時刻は、これから開店という店が多く、人通りはまばらだ。夜になると活気が出るのかどうか、酒飲みでない私は知らない。赤い服を着た小さな女の子が父親に手を引かれて歩いていた。
くいだおれ横丁
「満月」を出て、そのまま床屋に行く。「理髪一番」というチェーン店で、席は7つあり、平日の昼間に行けば、たいてい待たずにやってもらえる。今日もそうだった。年輩の職人が多く、仕事が丁寧な印象を受ける。これで料金2400円は安い。なんだか申し訳ない気がするくらいだ。もちろん安いだけならもっと安い店もあるが、それで技術やサービスが落ちては意味がない。
散髪を終えて、商店街を散歩する。蒲田駅西口には3本の商店街が平行して走っている。一番道幅が広いのはサンライズ商店街。私がよく行くシャノアールはここにある。数年前まで古書店としては大きな店構えの「書林大黒」があって、散歩の途中で必ず立ち寄ったものだが、いまではどこにでもあるようなドラッグストアーになっている。真っ当な古本屋が街から一軒なくなることの文化的損失は計り知れない。
サンライズ蒲田
いまは何か別の名前になったらしいが(誰もその名前を知らない)、昔は蒲田銀座と呼ばれたその商店街は人通りが少ない。昔からの個人経営の小さな洋品屋が多いが、いまの時代、誰もそういう店で服など買わない。もし私が商店会長なら、あれこれのお総菜を売る店(もちろん自家製のものを店頭販売する)を目玉にして商店街の復興を目指すだろう。生活感と活気が商店街には何よりも大切だ。
蒲田銀座
蒲田銀座は奥まで行くと、途中からアーケードがなくなる。その先には昭和30年代の面影を残した飲食店街がある。安くて旨い鰻屋の寿々木や、私の中学時代のクラス担任だったH先生が学校を辞めて板前になった釜飯屋もここにある。
レトロな食堂街
東急池上線と多摩川線(昔の目蒲線)の高架線沿いにあるのが、正式な名称は知らないが、くいだおれ横丁である。もっとも食堂が多いのは途中までで、その先は飲み屋街になっている。夕暮れ前のこの時刻は、これから開店という店が多く、人通りはまばらだ。夜になると活気が出るのかどうか、酒飲みでない私は知らない。赤い服を着た小さな女の子が父親に手を引かれて歩いていた。
くいだおれ横丁