8時半、起床。
チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
食事をしながら『古カフェ系はるさんの休日』(録画)を観る。今回訪問したのは栃木県さくら市喜連川にある「HAYAKIKAZE cafe」(番組内では店名は出ない)。「喜連川」(きつれがわ)は昔話に由来する「キツネ川」が変化したもので、当地には喜連川という川はないということを知って驚いた。
今朝の新聞でチャットGTPのことが一面に載っていた。レポートや卒論の代筆というのは昔からあるが、それが人間でなくAIがやってくれる時代になった。それもかなりいい出来のレポートや論文を書いてくれるらしい。将棋や囲碁やチェスの名人にAIが勝つ時代だ。何ら不思議ではない。ただ、代筆かどうかは本人に口頭試問をすればすぐにわかってしまう。しかし、卒論ならまだしも、履修者の多い科目のレポートでは口頭試問なんてできない。チャットGTPで書かれたものかをチェックするソフトというのもあるらしいが、そういうイタチごっこはさておいて、AIの普及によって人間がものを考えるといことの意味は一体どこにあるのかという問題と我々は直面することになった。この新聞記事だってAIが書いているのかもしれないのだ。
実はこのブログもチャットGTPを使って書いている。私はその日とった写真を素材として提供するだけで、あとはチャットGTPがこれまでの「フィールドノート」のテキストを解析して、「私」ならこんな文章を書くだろうと推論して書いているのである。・・・という告白を私がする日もそのうち来るかもしれんない。その時、はたしてブログの読者はこれからも読み続けてくれるだろうか。いや、大丈夫、ブログの読者も実はすでにAIなのである、というオチを星新一なら用意しているだろう。ピート・シガーが1955年に作った反戦歌「花はどこへ行った」は、PPMやジョーン・バエズなど多くのフォークシンガーにカバーされた。いま、「人はどこへ行った」と歌われる時代がやってきた。
昨日のブログを書いてアップする。
2時を回った頃、昼食を食べに出る。今日は専門学校(日本工学院)の入学式。先日のは大学(東京工科大学)の入学式だったようである。桜に代わってハナミズキが新入生を迎えている。
わずかに残った桜並木の桜もいよいよ最期のときを迎えている。
花びらが散るのではなく、花托のところから落ちているものが多いのは、鳥がついばんでいるのかしら。それとも最後に残った花たちはこうやって落花するのだろうか。
多摩川線に乗って一つ目の矢口渡で下車。
「燈日」に顔を出す。2人掛けのテーブルとカウンター席は埋まっていて、6人掛けのテーブルに案内される。端の席に先客がいて、その対角線上の席に座る。
鰺の竜田揚げ香味ネギソースの定食を注文する。小鉢は水菜のおひたしとヒジキの煮物。
香味ネギソースは揚げ物に本当に合う。
ごちそうさまでした。
食後にココア風味のパンナコッタとアイスカフェラテ。
矢口渡駅のホームのラックに置いてあった神奈川近代文学館での「小津安二郎展」(4月1日ー5月28日)のパンフレットに目を通す。今年は生誕120年、没後60年か。
滞在時間は1時間ちょっと。
間もなく午後4時になろうとしている。西日が強い。
「リヨン モアール」で朝食用の食パンを二斤買う。
帰宅して最初にしたのは食パンを冷凍庫にいれること。
一枚一枚袋に入れて一階の冷蔵庫の冷凍室に入れる。
それから『山下達郎のサンデー・ソングブック』をタイムフリーで聴く。講義原稿でも書くかとチラッと考えたが、日曜日だし、実質的に春休み最後の一日なので、達郎のトークとオールディーズソングに耳を傾けることにした。2曲目にかかったメイソン・ウィリアムズ『クラシカル・ガス』がかっこよかった。5曲目にかかったナンシー・シナトラ『ライク・アイ・ドゥー』は邦題『レモンのキス』でザ・ピーナツが歌っていた。キュートだ。
そうこうしているうちに夜になる。南の空(電柱の上のちょっと左)に火星が光っている。明るい恒星もいくつかあるはずだが、写真には写らない。
西の空には金星が光っている。
夕食はポトフ、めかぶ、ごはん。
こはんは終盤、ふりかけ(のりたま)をかけて食べる。ポトフはごはんのおかずとしては味がぼんやりしているように思う。これはいま名古屋にいる息子と同意見。
今日は『どうする家康』が統一地方選の開票速報のため放送がない。食事をしながら『モヤモヤさまぁ~ず2』(録画)を観る。押上をぶらぶら。
チャイの毛玉取りをやってから書斎に移動。椅子の横の本棚から長田弘『一日の終わりの詩集』(みすず書房)を手に取る。
「惜別」という詩が目にとまった。
四十年、会うことがなかった。
四十一年目に、風の噂に聞いた、
きみは死んだと。――人は本当に死ぬ。
どこで、どんなふうに、生き急ぎ、
どんな死を、君は死んだのか、何も知らない。
知っているのは、きれいな微笑の少年だ。
四十年前までの、快活な一人の少年だ。
十五歳のきみは、百メートルを12秒4で走った。
十六歳。きみは月に一どずつ、きちんと
フランスとドイツの、同年齢の二人の少女に、
文通の長い長い手紙を書きづづけた。
十七歳。君は沈丁花の匂いの広がる、
とてもばかげた、感傷的な物語を書く。
だが、十八歳の君が捕まえられたのは、
シド・チャリシーの脚だ。この世で
信じられるのは何だ? 君は、断じた。
美しい脚と、美しい旋律だけだ。――
きみではない。きみとともに死んだのは、
何者でもなかった、一人の、夢見る少年だ。
もうこれからは、ただ惜別の人生を覚えねばならない。
風呂から出て、『桑田佳祐のやさしい夜遊び』をタイムフリーで聴きながら今日の日記を付ける。
1時、就寝。