フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月26日(木) 晴れのち曇り

2006-10-27 02:29:08 | Weblog
  午後から大学へ。3時から二文のKさんの卒論指導。4時半から一文の卒論演習。今日は風邪で休みますと連絡してきた学生が4人もいた。数日前の冷え込みでやられたのだろうか。演習は7時に終了。五郎八に夕食を食べに行く。天せいろを注文。女将さんが「お忙しそうですね」と訊いてきたので、「そうでもありません」と答える。10月の1週と2週は、金曜6限の「現代人の精神構造」の担当回で、週に3つ大教室での講義があったのでせわしなかったが、しばらくは他の先生の担当回が続くので、1つ講義の準備が減っただけでだいぶ違う。それと、前期に比べると、後期は時間の経つのが速い。前期は夏休みが遠く感じたが、後期は冬休みが近く感じる。秋の陽はつるべ落としというが、そうした日々の集積である後期もまたあっという間に過ぎていくのである。来週はもう11月だ。
  7限の基礎演習では毎回授業の前半に「グローバリゼーション」をテーマに数人の学生が発表をして、それを元にしてディスカッションを行っているのだが、みんなよく発言をする。発言することへの心理的ハードルが低いのである。このハードルの高低は年度ごとに違うのだが、今年度のクラスは歴代の基礎演習のクラスの中でも一、二を争うハードルの低さである。私が「では、この辺で」と適当なところで終了を宣言しないといつまでもディスカッションが終わらない感じなのである。いや、今日などは、私が「では、この辺で」と言っているのに、「もう少しだけ」とか言って止めないのである。半ば呆れ半ば感心する。授業の後半はグループ発表へ向けてのグループワーク。これもまた授業時間が終わっても、教室に残って続けているグループが多い。では、お先に失礼。
  10時半、帰宅。メールをチェックし、一風呂浴びて、録画しておいた『Dr.コトー診療所2006』の3回目を観る。一話完結の物語と、コトーと星野彩佳の物語、原剛利・剛洋親子の物語という2つの継続する物語から構成されているが、いささか物語が過剰ではないだろうか。詰め込みすぎではないだろうか。観る側は息が継げない感じだ。最終回までホッとした気分にはさせてもらえそうもない。

10月25日(水) 晴れ

2006-10-26 02:02:04 | Weblog
  よいお天気だったらしいが、生憎、私は都内某所で半日缶詰だった。待ち時間が長いであろうことを見越して、本を3冊とノートパソコンを持参したが、結局、ノートパソコンは不要だった(本は3冊目の途中まで読んだ)。もしたまたま左隣の席に座った上品な女性と読書やスポーツやボールペンをめぐる社交的会話を交わさかったら、予定通り、本を3冊読破し、原稿の草稿くらいは書けたであろうが、それでは人生の彩りが失われてしまうだろう。活字のない人生は考えられないが、活字に埋もれてはならない。昼食は出前のロースカツサンドで、わが家に帰っての夕食は豚シャブだった。ぶーぶー(不満を述べているわけではありません)。もし明日の朝食に豚汁が出たら、ぶーぶーぶーのポンだ。
  深夜、昨日録画しておいた『役者魂!』の2回目を観る。数年前、松たか子は『HERO』で木村拓哉演じる検事付きの調査官の役を好演した。あれは「シャーロック・ホームズ」におけるワトソンのような役だった。主人公に最も近い脇役にして物語の語り手。今回、松たか子が演じるシェークスピア俳優付きのマネージャーの役は、そのときのスタイルを踏襲しつつ、実は主役というポジションだ。月のような太陽。松たか子の実力をもってすれば十分にこなせる役所だが、もしもシェークピア俳優の役が藤田まことでなく田村正和だったら、視聴率はもう少しあがるだろう(松と田村の組み合わせは8年前に『じんべえ』で実現してしまっているので新味には欠けるけれど)。来週も観よう。

10月24日(火) 曇りのち雨

2006-10-25 01:15:12 | Weblog
  昼から大学へ。スロープで、2限の授業(社会統計学)を終えて帰られるところの稲葉先生と遭遇。しばし立ち話。研究室でコンビニのおにぎり3個(梅干・鮭・昆布)をそそくさと食べて、午後1時からの新学部基礎演習ワーキングに臨む。基礎演習の担当教員(約60名)に対して12月初旬に実施するインストラクションに向けて、演習の具体的なイメージを固めていく。イメージが曖昧では担当教員を困惑させるが、かといって固めすぎては担当教員の自由度を奪うことになる。最適な均衡点をどの辺りに置くか。これが一番難しいところだ。会合は1時間半ほどで終わる。生協文学部店で以下の本を購入。

  坪内祐三『「近代日本文学」の誕生』(PHP新書)
  中野麻美『労働ダンピング』(岩波新書)
  大庭健『善と悪』(岩波新書)
  マイケル・スミス『道徳の中心問題』(ナカニシヤ出版)
  児美川孝一郎『若者とアイデンティティ』(法政大学出版局)
  アンソニー・パグデン『民族と帝国』(ランダムハウス講談社)
  イアン・ブルマ『近代日本の誕生』(ランダムハウス講談社)
  ウォーラーステイン『入門世界システム分析』(藤原書店)
  平野謙・小田切秀雄・山本健吉編『現代日本文学論争史』全3巻(未来社)

  午後3時から卒論関連の相談を一件。1時間半ほど。なぜか他の教員が指導している学生である。それから研究費の領収書の整理や現代人間論系の時間割の調整作業などをして、6時に大学を出る。
  蒲田に着いて、無印良品で来年度のカレンダーを2点購入。1つは「メモボードカレンダー」。月めくりのカレンダーの下にメモボード(ペン付き)が付いている。「今夜は夕食いりません」などの伝言メモを書くのに便利ではないかと。もう1つは「ポケット付壁掛けカレンダー」。月めくりのカレンダーの下にポケットが2つ付いている。請求書(振り込み用紙)や招待状や転居通知といった郵便類をとりあえず入れておくのにいいのではないかと。帰宅して妻に見せたところ、それほど感心してもらえなかった。今夜の『僕の歩く道』の中で、学校から96点のテストを持って帰った男の子が、母親からケアレスミスによる4失点を叱責される場面があったが、あんな感じ(ってどんな感じだ?)。男の子は母親に、夫は妻に、こうしてロマンを剥奪されていくのである。

10月23日(月) 雨

2006-10-24 00:00:19 | Weblog
  快晴の日の多い10月だったが、昨日から続く雨で秋も一気に深まった感じがする。これからは一雨ごとに寒くなっていくのだろう。野良猫たちにとっては厳しい季節がやってくる。

  肌寒し石に雨降る夜の音  叟柳

  秋のTVドラマ、初回の放送を終えた時点で生き残ったのは以下の作品。意外に多い。なにしろ夏は全滅だったから。ただし生存確定は「僕の歩く道」と「Dr.コトー診療所2006」の2作のみ。これは信用のあるシリーズもので、書類選考の時点で生存が約束されていた。他の作品は暫定的生存。今夜、「のだめカンタービレ」の2回目を観て、来週も観ようと思った。生存確定。新作では第一号である。初回を観たときは千秋役はオダギリ・ジョーが適役に思えたが、2回目を観て、玉木宏ははまり役だと認識を改めた。今回の課題曲はベートーベンのヴァイオリン・ソナタ5番「春」だった。次回は何か楽しみだ。

  月 のだめカンタービレ(フジ)
  火 役者魂!(フジ)/僕の歩く道(フジ)
  水 
  木 Dr.コトー診療所2006(フジ)
  金 セーラー服と機関銃(TBS)
  土 たったひとつの恋(日本)
  日

  さて、今夜はフィールドノートの更新をいつもより早めに済ませた。夕食の後に仮眠もとった。これから明け近く方までひたすら原稿書きだ。 

10月22日(日) 曇りのち雨

2006-10-23 01:47:48 | Weblog
  お十夜法要のため母と妻と3人で鶯谷の菩提寺(泰寿院)に行く。講話や百万遍念仏のほかに毎回趣向を凝らしたアトラクションが用意されているのだが、今回はアルパ(インディアンハープ)の生演奏だった。志賀昭裕さんの見事なテクニックと軽妙なトークを大いに楽しんだが、途中、ヒヤヒヤしたのは、私の前の最前列の席に陣取っていたご老人が演奏中に舟を漕ぎ始めたとき。目の前で居眠りをされては志賀さんもやりにくかろう。まして背もたれも肘掛けもない小さな椅子からご老人が転げ落ちたりしたら目も当てられない。だが、こういう事態には慣れているのであろう、志賀さんは2曲目の演奏の後に、「アルパの音色は眠気を誘うんです。この間なんか、後ろで伴奏をしているギタリストが眠っちゃいましたから」と言ってみんなを笑わせた。その後もその老人は舟を漕ぎ続けていたが、一曲終わるたびにハタと目が覚めて、一生懸命に拍手をしていた。
  居眠りといえば、早稲田大学文学部には私語をする学生は少ないが、居眠りをする学生は少なくない。私語は他人の迷惑になるが、居眠りは迷惑にならないからいいだろうと考えているとしたら、それはとんだ心得違いである。人が話をしているときに居眠りをするのは失礼なことなのである。大教室で私が居眠りを注意しないのは、居眠りを許容しているからではなく、居眠りをしている学生に注意をしても耳に入らないからである。その代わり、その学生に災いが降りかかりますようにと念じているのである。授業の後に、自動販売機で飲物を買っておつりが出てこなかったり、電車の中で居眠りをして下車すべき駅を乗り過ごしたり、録画予約したはずのTVドラマが録れていなかったりしたら、たぶんそのせいです。