フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月21日(土) 晴れ

2006-10-22 03:11:20 | Weblog
  いつもの土曜日なら2限と3限に講義が入っていて大学へ出るのだが、今日は創立記念日で、大学は休みである。久しぶりの休日の土曜日。午前10時頃に起きて、昨夜更新せずに寝てしまったフィールドノートの更新をしてから、朝昼兼用の食事(目玉焼き、ソーセージ炒め、御飯、大根の味噌汁)。それから昼寝(まだ寝るか)。昼寝から覚めて、散歩に出る。くまざわ書店で本を2冊購入。

  エドマンド・リーチ『聖書の構造分析』(紀伊國屋書店)
  海堂尊『ナイチンゲールの沈黙』(宝島社)

  前者は復刊(原書は1984年。邦訳はその翌年)。後者は『チームバチスタの栄光』の著者の第2作。これから11月初旬にかけては原稿書きに明け暮れる予定なので、読むのは早稲田祭明けになるだろう。ルノアールで持参した清水幾太郎『倫理学ノート』を読む。諸般の事情から、『社会学年誌』に寄稿する「清水幾太郎における『庶民』のゆくえ」を5章立てから6章立てに変更することになったので、修正版の設計図を頭に描きながら読む。大丈夫、納期までには間に合うはずだ。
  夜、『たったひとつの恋』の2回目の放送を観る。見切るべきか、見続けるか、悩ましいところだ。大きな階層差(男<女)とヒロインの病気(病名はわからないが「再発」するタイプのものらしい)。よく言えば恋愛ドラマの王道を行く、悪く言えばコテコテの脚本と演出の作品である。横浜中華街のお祭りの夜、二人が初めて手をつなぐ場面があった。ぎこちなく一途な恋愛。不覚にも胸がキュンとしたのは、妻と初めて手をつないだときのことを思い出したからである。初心忘るべからず。

10月20日(金) 晴れたり曇ったり

2006-10-21 11:44:20 | Weblog
  昼から大学へ。3限の社会学演習ⅡBでは是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』の一部を観て、ライフストーリー・インタビュー調査の特性について考える。また、ICレコーダーを各班に一台貸与し、操作の仕方を学習。4限の大学院の演習では80年代の「バブル文化」についてディスカッション。5限の時間に現代人間論系の会合。みんなの空き時間を探し出すのに苦労したが、ようやく会合をもてた。
  6限の「現代人の精神構造」(第3回)は山田真茂留先生の担当(テーマは「現代人と宗教」)。前の会合が長引いて、30分ほど経過してから教室に顔を出す。38号館AV教室は音響と空調に問題がある。スピーカーの配置が悪いため、教室の最後部のエリアではマイクの声がよく聞こえない。空調システムがちゃんと作動していないため400人近くも受講生がいると教室が蒸し暑い。また、ホワイトボードに字を書くときは極太の、それも新品のマーカーを使用しないと、後ろの方は字が見えない。教室の最後部で学生の立場に身をおいてみると、そうしたことが教壇にいるときよりもよくわかる。懸案だった出席カードの件は、配布も回収も授業中にTAのI君にやってもらったところ、授業後の学生の退出がきわめてスムーズだった。授業後、山田先生の研究室でアクエリアスを飲みながら反省会。山田先生は早稲田大学に来られる前は立教大学におられたのだが、早稲田大学生(少なくとも文学部生)の授業中の私語の少なさは感動的だと言われた。これは他の先生方からもしばしば聞く話である。考えられる要因は2つ。第一に、学生の質が高いこと。第二に、友人同士が固まって座るという傾向が少ないこと(一人では私語は成立しない)。「現代人の精神構造」のキーワードは「個人化」であるが、授業中の学生たちの空間配置がまさにその「個人化」状況を示しているのである。ところで、今日の授業で山田先生は5枚のプリントを配ったが、それは今日の授業で使用するプリントだけでなく、次回の授業で使用するプリントも含まれていた。ここは私と山田先生の意見の分かれるところで、それをやると、次回、多くの学生はプリントを忘れてくる(だからプリントの配布は当日使用する分だけにした方がよい)と私なら考えるわけだが、どちらの予測が正しいかは来週の授業で明らかになる。山田先生、何か賭けましょうか?
  夕食はTAのI君と五郎八で。私が天せいろ、I君がただのせいろ(これはI君が純粋に蕎麦好きであるためで、私に遠慮をしたわけではない)。
  9時半、帰宅。メールをチェックし、すぐに返信の必要なもの数件に返信をしてから、風呂に入る。今夜は竹之内豊主演の『家族』の初回の放送があったのだが、それの最後と『セーラー服と機関銃』の最初が9分ほど重なっていたため、『セーラー服と機関銃』のビデオ録画を優先し、『家族』の方は録画をしなかった。TVドラマの初回を通常の放送時間よりも長めのものにする手法は最近よく使われるが、そういうことを安易にやるとかえって墓穴を掘るのである。『セーラー服と機関銃』は映画とは違う展開であることが今夜の2回目の放送で明らかになった。だから書くけれど、実は、映画では目高組の組員たちは一人また一人と殺されていくのである。テレビでは組員たちは痛めつけられはしても殺されるまではいかないようだ(ですよね?)。もの足りないような、ホッとしたような、中途半端な気分。映画で薬師丸ひろ子が対抗する組の事務所に乗り込んで機関銃をぶっ放すシーンは、そういう経緯があってのことである。同じシーンは、当然、テレビでもあるわけだが、それに至る経緯が違うとなると、どれだけ観る者の共感を得られるだろうか。耐えに耐えた主人公が最後に爆発するというのは任侠映画のパターンだが、そこにはたいてい「組長の死」(殺害)という事件が契機になっている。『セーラー服と機関銃』では主人公自身が組長なので、映画では「組長の死」の機能的代替物が「父親の死」(殺害)と「組員の死」(殺害)である。テレビでは「組員の死」は描かれないとすると(ですよね?)、「父親の死」がより一層強調され、シマ(縄張り)の中の住人たちが受ける被害が繰り返し描かれることになるのだろうか。そして組員たちが女子高生の組長とういものを受容していくプロセスが重視されるのだろうか。つまりは『セーラー服と機関銃』は家族の喪失と再生(地域共同体やヤクザの組は疑似家族である)の物語ということになるのだろうか。
  明日は大学の創立記念日。翌日の授業のことを考えなくてもいい金曜日というものは久しぶりである。これが週末気分というものか。

10月19日(木) 晴れ

2006-10-20 03:31:07 | Weblog
  昨日の手帳の話の続きを少々。携帯する手帳はスケジュール帳(能率手帳)だけではない。私はスケジュール帳とは別に2種類のメモ帳(モールスキンの無地タイプ、ロディアのNo.11)を上着のポケットに入れている。モールスキンには保存しておく種類のメモ(何か思いついたこと)、ロディアには破棄されることを想定したメモ(たとえばその日のToDoリスト)を書き込む。能率手帳にもスケジュール欄+メモ欄の他に罫線の入ったノートとして使える頁が30頁ほど付いているのだが、私はこの部分は、あれこれのことをランダムに書き込むいわゆるメモ帳ではなく(そうするためには30頁では全然不足である)、演習の学生の名簿や、グループ研究のグループごとのメンバーや、授業の進行状況や、自分の研究者番号や科研費の課題番号といったよく参照するデータを書き込んだ(あるいは貼り付けた)資料集として使っている。ちなみに昨日と今日の「手帳の話」はモールスキンに書き留めたメモを元にして書いている。

      
              ロディア(左)とモールスキン(右)

  午後から大学へ。午後3時から一文の卒論演習。報告者の人数の関係で、いつもより1時間半ほど早めの開始。今年度の私の卒論指導学生は20名で、原則として毎回3名報告なので、全員の報告が終わるまでに7回(7週)を必要とする。卒論の提出は12月中旬で、演習は11月末までしかやらないから、後期に各自が報告する機会は1回しかない。非常に貴重な1回なのだ。報告をする学生も緊張するであろうが、コメントをする私も緊張する。問題点を的確に指摘し、且つ、締切までの期間の中で達成可能なアドバイスをしなければならない。つまりは1回勝負なのだ。
  「ごんべえ」でカレー南蛮うどんを食べてから、7限の基礎演習に臨む。後期のグループ研究のグループ決めを行う。ギデンズ『社会学』の中から各自の一番関心のあるテーマを申告してもらった上で、人気の上位7つの章を取り上げることに決め、それぞれの章を担当する7つのグループを決める。ちなみにその7つの章は以下の通り。

  15章 マスメディアとコミュニケーション様式
  9章 エスニシティ、人種、移民
  7章 家族
  16章 教育
  17章 宗教
  11章 貧困、福祉、社会的排除
  10章 階級、社会成層、不平等

  政治、犯罪、労働、政治、都市、身体、人口といったテーマは不人気であった。編成されたばかりのグループごとに集まってもらって、今後の研究の進め方について相談。なかなかに活気はある。ただし活気があるからと言って必ずしもグループ研究の質の高さが保証されるわけではない。すべてはこれからである。
  10時半、帰宅。風呂を浴び、『Dr.コトー診療所』の第2回の放送を観る。『だめんず・うぉ~か~』は切り捨てる。藤原紀香と山田優は好きだが、このドラマの中で彼女たちが演じているようなタイプの女性は好きではない。

10月18日(水) 晴れ

2006-10-19 01:59:39 | Weblog
  午前、現代人間論系の会合の件で、電話やらメールやら。電話もメールもつながらない人がいて、なかなか埒があかない。午後、久しぶりにジムへ行く。だいぶ筋力が落ちている。最低でも週1回、できれば2回、通いたいものである。
  ジムの帰りにくまざわ書店に寄る。来年の手帳がたくさん並んでいる。私はスケジュール帳は大学から支給される能率手帳(早稲田大学仕様)をずっと使っている(学生時代も生協製の能率手帳タイプの学生手帳を使っていた)。毎年違う手帳を使っている人もいるようだが、過去の手帳は本棚に並べ、必要があってたまに見返すことがあるので、同じ規格のもので揃っていた方が機能的であるし、実際、使い勝手も悪くない手帳だと思っている。最近はバーティカル・タイプ(曜日が横、時間が縦)のものが流行のようだが、見開き2頁で1週間という通常のタイプの場合、紙面の大部分をスケジュール欄が占め、メモ欄が小さいのが私には不満である。標準的な能率手帳は左頁がスケジュール欄(曜日が縦、時間が横)、右頁がメモ欄となっている。つまりスケジュール欄とメモ欄の比率は1:1である。たとえばスケジュール欄に「社会学研究10」と書いてあれば、その授業で使用する資料(統計データやビデオやMDなど)がメモ欄に書いてある。スケジュール欄に「基礎演習ワーキング」と書いてあれば、その会合までにやっておかなくてはならない作業がメモ欄に書いてある。だからメモ欄は十分に大きくなくてはならない。メモ欄が小さいと、どうしてもスケジュール欄にメモが侵入することになり、イベント名と付帯情報が混在して見にくいし、空き時間を空白によって直感的に認識するとができなくなる(スケジュール帳の重要な機能の一つは空き時間の表示である)。メモ欄の十分に大きいバーティカル・タイプの手帳もあるが、それは手帳そのもののサイズが大きいので、女性がバックに入れて持ち歩くには適していても、男性の上着の内ポケットには収まらない。

      
                ずっとこれでやってきました

  このフィールドノートをよくご覧いただいている方は、私が高橋書店製の「リシェル3」という手帳(バーティカル・タイプ)を購入したことを覚えているであろう(9月28日)。一体、あれは何なのかと。あれはバックアップ用なのである。手帳は常時携帯する(定位置は上着の右の内ポケット)ものなので、紛失する可能性がある。財布は紛失しても経済的損失だけで済むが、手帳を紛失するとたちまち途方に暮れることになる。だからバックアップ用の手帳が必要なのである。バックアップ用の手帳は外には持って出ず、自宅の書斎の机の上に置いておく。バックアップ用の手帳は携帯する手帳と同じものである必要はない。むしろ同じものでないほうがよい(間違うから)。また、バックアップ用の手帳は毎年同じ製品である必要もない。あれこれ違ったタイプの手帳、新しく売り出される手帳を購入して使ってみるのはなかなか楽しいものである。
  夜、昨日録画しておいた松たか子主演『役者魂!』の初回を観る。松たか子と藤田まことという組み合わせに一抹の不安があったのだが、まったく違和感はなかった。脚本は『さよなら、小津先生』の君塚良一。演出のテンポもよい。なお、『14才の母』は見切りました。『女王の教室』のときの志田未来は、暗く思い詰めた表情と明るく可愛い表情のコントラストが魅力だったが、今回のドラマでは前者ばかりのようで、見ていて辛くなる。

10月17日(火) 晴れ

2006-10-18 02:15:50 | Weblog
  会議の一日。11時から社会学専修の教室会議。「たかはし」の二重弁当を食べながら、来年度の時間割の詰めや卒論指導の割振り作業。自分が担当することに決まった学生の卒論計画書に目を通す。いまの3年生は、2年次の演習も3年次の調査実習も私は担当していないので(大教室での講義のみ)、名前を見ても学生の顔が浮かんでこない。12月5日の仮指導が初対面となる学生がほとんどだ。テーマはさまざまであるが、これは毎度のことだ。途中で教室会議を抜け出して、教員ロビーで思想宗教系専修と社会人間系専修の主任と三者会談。12時半から社会人間系専修委員会。来年度の時間割の確認作業。担当者がちゃんと決まっていない科目がいくつかある。だめじゃん。午後2時から教授会。ど~せ今日も長いんだろうな~と思っていたら、意外や意外、午後5時半に終わった。一堂唖然。そして自然に起こる拍手。やればできるじゃん。昨日一日がかりで作成した現代人間論系の時間割資料を、コピーをとってから、事務所に提出する。
  生協文学部店で、柴田元幸・沼野充義・藤井省三・四方田犬彦編『A Wild Haruki Chase 世界は村上春樹をどう読むか』(文藝春秋)を購入。今年3月に東京・神戸・札幌で開催された「国際シンポジウム&ワークショップ 春樹をめぐる冒険-世界は村上文学をどう読むか」の全記録。ごんべえで夕食(カツ丼)。あゆみブックスで、熊野純彦『西洋哲学史』(岩波新書)、すが(糸ヘンに圭)秀美『1968年』(ちくま新書)、渋井哲也『ウェブ恋愛』(ちくま新書)を購入。シャノアールで読書。蒲田に着いてから、くまわざ書店で、村上護『種田山頭火』(ミネルヴァ書房)を購入。9時ちょっと前に帰宅。
  『僕の歩く道』の第2回の放送を観る。主人公の周りに配置された人々の困惑と蔑視のまなざしが、毎回少しずつ友好的なものに変わっていく過程が描かれるわけだが、ポイントはベテラン飼育係の古賀(小日向文世)と兄夫婦の子どもの幸太郎(須賀健太)の二人がいつどこで変わるかだ。二人が職場と家庭におけるキーパーソンに間違いない。録画した『役者魂!』の初回は明日観ることにしよう。私は映画もTVドラマも2本続けて観ることをしない主義である。