フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月6日(金) 風雨

2006-10-07 01:57:49 | Weblog
  朝から強めの雨と風。午前10時半から有楽町の生命保険文化センターで中学生作文コンクールの最終審査会。最優秀賞の文部科学大臣奨励賞は私が推した作品ではなかったが、私が二番目によいと思った作品であったので、まずまず納得。審査が終わり、3限の授業があるので、お昼に出たお弁当(浅草今半のすき焼き弁当だった)を高校生の早弁並のスピードで平らげて(もっとゆっくり賞味したかった…)、一足お先に失礼する。
  3限の社会学演習ⅡBは、後期の授業計画について説明。さまざまなカテゴリーの人たちへのインタビューを通して、現代人の「人生の物語」について考えたい。前期と同じくグループに分かれて研究を進め、その成果を合宿(12月20~22日、鴨川セミナーハウス)で発表してもらう。なお、留学から帰ったS君が今日からクラスの一員となり、クラスは総勢34名となった。
  4限の大学院の演習は、当面の報告者および文献を決めた後、私が戦後日本の社会変動の一視角(人口学的変数への着目)についての講義。
  5限の空き時間はこの後の「現代人の精神構造」の授業の準備(最終チェック)。なにしろ38号館AV教室(文学部で一番大きな教室)で授業をするのは初めてなので、各種の器機の扱い方について授業の開始直前にスタッフの方からレクチャーを受ける。教壇周辺のスイッチやレバーやボタンの数が半端ではなく、まるで飛行機のコックピットにいるような気分であった。自動車の運転免許さえ持っていない私にはしんどかったが、まぁ、何とかやっていけそうである。実際に一番困ったのは出席カードの配布と回収であった。時間がかかる、かかる…。全部の回収が終わらないうちに次の授業のスタッフの方がやってきて準備を始めたので焦った。来週は何か工夫しなければ…。授業そのものは400人近い学生を前にしてもとくに緊張するというようなことはなかった。これでも昔々は無口な文学青年だったのだが…。
  授業を終え、研究室にいると、社会科学部の大学院生のS君がやってくる。早稲田社会学会の入会申し込みの推薦人の欄に私の署名と捺印をもらいに来たのだ。彼の専門関心は清水幾太郎研究。希少種である。むろん推薦人を引き受ける。ごんべえで一緒に夕飯(カツ丼)を食べてから、家路に着く。
  夜、明日の授業(社会学基礎講義Bと社会学研究10)の準備。今日は早めに寝るとしよう。とはいってもすでに午前2時である。

10月5日(木) 曇り一時雨

2006-10-06 02:36:11 | Weblog
  午前中から大学へ。地下鉄の早稲田駅を出てすぐのところにある100円ショップで老眼鏡を購入。度が何段階かに分かれており、またデザインもいくつかあった。一番軽い度(+1.00)で、一昔前のデザイン(レンズが小さめでない)のものにする。掛けてみると、確かに近くの小さな文字が裸眼で見るよりはっきり見える。だが、100円の眼鏡に文句をいうのも気が引けるが、私は左右の眼で度が違うので、左は+1.50、右は+1.00のレンズという組み合わせがあると一番よい。また、私は顔が大きいので、フレームの横幅も大小があるとありがたい。それにしても、パッと見た限り、これが100円にはとても見えない。

          
                   100円老眼鏡

  午後11時から新学部の基礎演習のガイドブックの打合せ。昼飯は「すず金」の鰻重と朝から決めていた。一軒家だったのをビルに建て替えて、ようやく先月中旬から営業を再開したのだ。間口は狭く、奥行きのある、文字どおり鰻の寝床のような店内は、以前に比べて席の数が倍増したのではなかろうか。暖簾をくぐったのが午後1時だったので、お目当ての1500円の鰻重は売り切れで、少し小振りの1200円の鰻重を注文する。価格据え置きとはなんと良心的なと思ったが、実は、吸い物が肝吸いではなくなった。肝吸いは100円で別途注文しなくてはならない。故に実質的に100円の値上げである。まぁ、そのくらいはしかたないか…。久しぶりで食べた「すず金」の鰻重の味は以前と少しも変わっていなかった。
  午後3時半から研究室で二文のT君の卒論指導。午後4時半から第4会議室で一文の卒論演習(出席19名、欠席1名)。全員に現時点で考えている章節構成を提示してもらい、ひとつひとつコメントを述べる。これからはインプット(文献を読む)からアウトプット(原稿を書く)へ徐々に重心の移動を行っていかなければならない。そのとき、暫定的であっても、全体の完成したイメージは常に持っていなければならない。時間の関係で今日は半分の人数しかできなかった。残りは来週。
  文カフェで夕食(かき揚げうどん、おはぎ)をとってから、7限の基礎演習に臨む。夏休みが明けて、イメージチェンジを図ったと思える学生がチラホラ目に付く。1年生のクラスならではの光景である。

10月4日(水) 曇り

2006-10-05 02:45:40 | Weblog
  午前、父の遺産相続の手続を委託している銀行の担当者と税理士が自宅に来て、説明を受ける。5月に父が亡くなって、あれこれの儀礼や手続きになんとなく気忙しい思いをしてきたが、ようやく一区切りが付きそうである。
  昼寝の後、区役所に印鑑証明を取りにいきがてら、散歩に出る。くまざわ書店で以下の本を購入し、一つ下の階のルノアールで読む。

  荒川洋治『世に出ないことば』(みすず書房)
  アダム・フィリップス『ダーウィンのミミズ、フロイトの悪夢』(みすず書房)
  橘木俊詔『格差社会』(岩波新書)
  小池真理子『恋』(新潮文庫)
  ズザンネ・ロート『24時間ですっきり!ぐちゃぐちゃデスクのシンプル整理術』(技術評論社)

  「老眼がすすんだ。小さい文字が見えない。読書もつらかった。
  ある日、知人のSさんが小さな、めがねをかけていた。ためしにかけさせてもらったら、ぼくの眼にあう。とても見える。Sさんはそれをぼくにくれるという。百円の店で買ったもので、家に同じようなものが一二、三本あると。それならと、いただいた。そのめがねはその日から、ぼくのめがめになった。
  本を読むときだけ、かけるのだ。これで読書が戻った。これまで中途で引き返した長編小説もどんどん読んだ。こんなに本を読んでいいのだろうかと思うのだが、とにかくはかどる。文庫で『夜明け前』全四冊も読んだ。この長編に登場する集落、あるいは地勢を、現在の地図でたしかめる。地名には、いまもあるものと失われたものがあるが、そんな明暗も、光陰も、めがねがあるから味わえる。感じとれる。」(荒川洋治『世に出ないことば』12頁)

  老眼鏡の威力ってそんなに凄いのか。私は眼鏡を掛けていない。すごく眼がいいわけではない。近視も乱視も老眼もある。でも、いずれも眼鏡をかけるほどのものではない(と少なくとも自分では思っていて)、眼鏡なしでやっているのだが、これほど眼鏡ひとつで世界が変わるのであれば、試してみようかという気持になってくる。明日、大学に行く途中に100円ショップに寄り道だ。
  夜、「現代人の精神構造」(金曜6限)の授業の準備。総合講座(複数の教員でチームを組んでする授業)のコーディネーターは久しぶりだ。たんに自分が何をしゃべるかではなく、他の教員にどうやって襷をつなげるか、つなげてもらうか(どうやって講義としての一貫性を醸し出すか)が一番のポイントである。

          
                      講義メモ

10月3日(火) 曇り

2006-10-04 02:20:06 | Weblog
  昼から大学へ。五郎八で昼食(天せいろ)をとり、生協文学部店で柴崎友香『その街の今は』(新潮社)と季刊『at』5号を購入する。穴八幡神社の境内で「早稲田青空古本市祭」(1日~6日)を開催中だが、覗いている時間がない。午後1時からカリキュラム委員会。その後、午後3時から入試関連の委員会。これが延々と続いて、終了したのが午後7時近く。研究室に戻ると、ドアの前で二文の卒業生のOさんと院生のI君が待っていた。実は委員会は2時間ほどで終わるだろうと踏んでいたので、午後5時に面会の約束をしていたのである。実に2時間も待たせてしまったことになる。まったくもって申し訳ない。二人がそれぞれお土産にもってきてくれたケーキと栗きんとんで長時間の会議の疲れを癒してから、焼き肉屋「紅華」に行く。他大学の大学院の受験を考えているOさんに私とI君からアドバイスをしたが、あれこれ言い過ぎたかもしれない。午後11時、帰宅。風呂に入る前にメールのチェクをし、急ぎのメールを何通か書いていたら、後から帰宅した娘が風呂に入り、自分が最後だと勘違いして風呂の栓を抜いてしまった。気づいたときは手遅れで、しかたなくシャワーを浴びる。ああ、たっぷりとお湯を張った湯船に身体を浸したかった…。

10月2日(月) 曇り、夕方に雨

2006-10-03 03:44:27 | Weblog
  生命保険文化センター主催の中学生作文コンクール(第44回)の最終候補作品35編を読み、採点結果をファックスで事務局に送る。今回は、私の中では、最高賞(文部科学大臣奨励賞)はこれで決まりという作品があった。審査員は私を含めて6名で、今度の金曜日の午前中に最終審査会が開かれるのだが、はたして他の審査員も私と同じ作品を推すだろうか。
  生命保険といえば、私の生命保険の掛け金は毎月5万円ほどである。それなりの額である。これが他のことに回せたら…とたまに考える。しかし生命保険をテーマにした中学生たちの作文を読んでいると、生命保険の掛け金がもったいないものに見えるというのは幸せなことなのだと改めて思う。万一のことは無いに越したことはない。しかし万一のことというのは、私の年齢では、1万分の1よりも大きな確率で起こるのである。そのとき妻は一時金として600万円、そして以後10年間に渡って毎月20万円を受け取れることになっている。妻は専業主婦だが、わが家は持ち家ゆえ家賃の心配はないので、月20万円+何らかのパートタイム労働の賃金でなんとかやっていけるだろう(もちろん多少の蓄えもある)。…そういうふうに考えて、万一のときの心配をそれほどせずにすむというのが生命保険の一番の効用ではないだろうか。
  夕方、散歩に出る。有隣堂で以下の3冊を購入。

  丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士『文学全集を立ちあげる』(文藝春秋)
  嵐山光三郎『昭和出版残侠伝』(筑摩書房)
  関川夏央『女流 林芙美子と有吉佐和子』(集英社)

  カフェ・ド・クリエで『文学全集を立ちあげる』を読む。私は学生の頃、「百人一首」の向こうを張って「百人一句」というものを編んだことがある。これは採ろう、これは捨てよう、あれこれ悩みながら楽しんだ。それを「世界文学全集」と「日本文学全集」でやってみましたというのが本書である。要するに3人がそれぞれの文学論・文学観を語っているわけで、サロン的会話の見本のようなものである。