フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月11日(水) 曇り

2006-10-12 03:24:29 | Weblog
  今日は大学に出なくてよい日なので、午後はジムに行こうと考えていたのだが、結局、昼寝の方を優先してしまった。その気になれば、いくらでも寝られるのである。つまりはお疲れ気味なのである。後期が始まったばかりなのにというよりも、始まったばかりだからであろう。エンジンがかかり切っていないのである。授業中は教師の習性で勝手に身体や口が動くので、たぶん学生の目には張り切ってやっているように映っていると思うが、授業の後はグッタリしているのである。授業と授業の合間の時間は貴重なチャージタイムなので、アポなしの面会はすべてお断りしている。悪しからず。
  最近、息子が新しいケータイを購入した(バッテリーの寿命が切れたのである)。ずいぶんとスリムなタイプで、私もこんなのが欲しいなと思った。私はケータイは上着のポケットに入れておくのだが、いま使っている機種はちょっと厚味があるためにポケットの膨らみが気になるのである。そもそも私はポケットに物を入れすぎるところがある。

  左の内ポケット 財布、ボールペンとシャープペン
  右の内ポケット スケジュール帳(能率手帳)とメモ帳(モールスキン)
  左の外ポケット ケータイ、ハンカチ 
  右の外ポケット メモ帳(ロディア)、ティッシュ、キーホルダー
  シャツの胸ポケット 定期券

  日によってはさらに文庫や新書が加わる。女性ならこうしたものはすべてバッグに入れるのであろうが、両手が空いているという解放感は捨てがたいし、バッグをどこかに置き忘れることもない。唯一の難点は上着の型崩れである。サファリコートのような上着なら型くずれの心配はないが、通勤着としては不向きである。というわけで、せめてケータイはスリムで軽量のものにしたいのである。ちょうどケータイ業界は番号ポータビリティの開始時期(10月24日)に照準を合わせて新機種の売り込み合戦が盛んで、各社のカタログを見ているだけも楽しい。もっともわが家はauの家族割に入っているため、他社への乗り換えは認めてもらえない。あくまでもauの機種の中から選ばなくてはならない。私はケータイのメールは受信はしても送信はめったにせず、ケータイで音楽を聴いたりインターネットのサイトを閲覧したりもしないが、散歩のときにスナップ写真をよく撮るのでカメラの性能は重視したい。さて、どれにしようかしら。

          
           いまの愛機。カメラの性能はよいのだが…

  志田未来主演のTVドラマ『14才の母』の初回を観た。14才の女の子が妊娠し、出産を選択するドラマである。年齢別出生率のデータによれば、15才の女の子の出産は1万人に3人ないし4人程度のレアケースである。14才のデータはないが、当然、それ以下であろう。もちろん15才の女の子の妊娠はもっと多いはずである。しかしその多くは中絶を選択していると考えられる。ドラマのテーマは「命の重み」とのことである。正論である。しかし正論はしばしば一人歩きをする。正論の前で異を唱えることを困難にする。異を唱える者を悪者にする。ドラマはこれから正論と異論との間での激しいバトルが展開され、最終的に正論が勝利するのであろう。しかし、と私は思う、そうした結末は誰かをを勇気づけると同時に、誰かを苦しめるであろう。そして前者よりも後者の方がはるかに多いであろう。

10月10日(火) 晴れ

2006-10-11 12:06:43 | Weblog
  飲み薬がなくなったので午前中に近所の整形外科に行く。肩凝りの方はいくらか緩和されたが、右手の痺れの方はあいかわらずである。
  私「キーボードを打っているときはそれほどでないのですが、マウスの操作をしていると痺れてきます。肘を曲げていると痺れるようです。」
  医師「フムフム(カルテに私が言ったことを記入している)」
  私「それから、退屈な会議が延々と続いたりすると痺れてきます」
  医師「フムフム(カルテに私が言ったことを記入している)」
  私「・・・・(冗談を言ったつもりなのだが通じてない)」

  昼から大学へ。2年生の演習のKさん、もう一人のKさん、U君を連れて五郎八に昼食を食べに行く。この3人は夏休みのお薦めの新書4冊を読破した学生である。「頑張りました賞」は五郎八の蕎麦、カフェゴトーのケーキとお茶、コピーカードのいずれかということになっているのだが、3人とも五郎八の蕎麦を希望した。私、Kさん、U君は天せいろ、もう一人のKさんは鴨せいろを注文。私はてっききり3人とも蕎麦好きなのかと思ったが、3人とも蕎麦屋で蕎麦を食べるのは初めてないし数年ぶりなのだそうである。私が蕎麦湯を飲むのを見て、Kさんが「大人ですね~」と言った。50過ぎの男をつかまえて「大人ですね~」はないだろう…。
  午後1時から専修・専攻主任会。今日は難しい議題が山積で、専修・専攻主任会にしては珍しく時間がかかった。午後3時半から現代人間論系運営準備委員会。来年度の時間割の細かい詰めの作業。午後5時半から早稲田祭2006の運営スタッフと公開授業の打合せ。午後9時、帰宅。食事(メインは鱈の野菜あんかけ)の後、風呂に入り、草剛主演の『僕の歩く道』の初回を観る。自閉症の人間を主人公にした作品といえば、ダスティン・ホフマン主演の映画『レインマン』(1988年)が真っ先に思い浮かぶが、草の演技はホフマンと比べるとエキセントリックな感じが抑え気味である。
  一文の文芸専修を卒業してテレビ局で働いているSさんから久しぶりのメールが届いた。今度、海外の支局に赴任することになり、それを機に結婚することを決めたそうだ。ライフコース論の用語を使って言えば、職業経歴上の移行と家族経歴上の移行のシンクロナイゼーションである。たぶん彼女の人生の転機となることだろう。ただしいまはそれがどういう転機になるのかはわからない。転機とは回想的な出来事であるから。人間にとって重要なことは出来事の名称(転勤とか結婚とか)ではなく、その出来事に付与される意味である。われわれは意味の世界に生き、意味を求めて生きている。これから彼女の前に展開される風景がどのようなものであれ、それを見つめる生き生きとしたまなざしを失わないで歩いていく限りは、人生は素晴らしいと思えるはずだ。おめでとう。そしてグッドラック。

10月9日(月) 快晴

2006-10-10 03:05:07 | Weblog
  昼近くまで寝ていた(ねだめカンタービレ)。朝食兼昼食は中村屋のあんまん、肉まん、ピザまん。一番好きなのはあんまんで、本当は、あんまん→肉まん→あんまん、という組み合わせがベストである(いくら好きでも、あんまん→あんまん→あんまん、は飽きる)。肉まんは以前の方が美味しかった。いつからか濃い味付けになって私好みではなくなった。薄目の味付けで、それに辛子醤油を付けて食べるとちょうどよい塩梅だったのだが、家でふかして食べるのではなく、ファストフードとしてコンビニでふかしたものを買ってその場で食べる客が増えたせいで味付けが濃くなったのではないかと想像する。格差社会ということで、下層社会への関心が高まっている昨今だが、階層の高さと味付けの濃さは反比例の関係にあるのではないかと思われる。
  夕方、散歩に出る。有隣堂でボールペンの替芯を一本購入。最近は多色ボールペンを愛用しているので、色によってインクの減り方に差が出る。一本の芯がインク切れになったからといって、本体を買い換えるのはもったいない。替芯は展示されておらず、レジで言って購入するのであるが、手ぶらでレジに行き、店員の「?」という表情を見てから、ジャケットの内ポケットに差したボールペンを取り出し、「これの赤の替芯が欲しいのですが」と言う(最初からボールペンを手に持ってレジへ行ったのでは、そのボールペンを購入するのだと勘違いされる恐れがある)。店員はボールペンを受け取り、赤の芯を外し、奥へ行ってカタログで型番を確認し、該当する替芯をもってきて、「これでよろしいでしょうか」と言う。私が「はい」と答えると、新しい替芯をボールペンにセットしてくれた。本を購入するよりもだいぶ手間がかかる。これで支払いは84円であるから、ちょっと申し訳ないような気分になる。ちなみに生協文学部店では替芯も他の商品と同じように展示されているので気を遣わなくてすむ。一般の文具店でそうしていないのは、型番を間違って購入するトラブルを防ぐためであろうが、あるいは替芯ではなく、本体を買い換えさせようとする陰謀かもしれない。
  今週から秋のドラマが順次スタートする。初回をチェックするドラマを一覧表にしてみた。いや~、仕事(ポピュラーカルチャー研究)とはいえ大変である。もっとも初回でほとんどの作品は「観るに値しない」という烙印を押されるのであるが…。事実、今夏のTVドラマは全滅であった。TVドラマと卒論には厳しい私なのである。

  月 のだめカンタービレ(フジ)
  火 役者魂!(フジ)/僕の歩く道(フジ)
  水 14才の母(日本)
  木 だめんず・うぉ~か~(朝日)/Dr.コトー診療所2006(フジ)
  金 家族(朝日)/セーラー服と機関銃(TBS)
  土 たったひとつの恋(日本)
  日 鉄板少女アカネ!!(TBS)

10月8日(日) 晴れ

2006-10-09 03:06:08 | Weblog
  午後、娘の大学の演劇研究部の公演「コモンセンス・クライシス」(於.川崎H&Bシアター)を妻と一緒に見物に行く。例によって起承転結のはっきりしたストーリー不在の不条理劇なのであるが、今回はこれまでのものよりもわかりやすく、かつ楽しく観ることができた。わかりやすかった理由は、舞台設定が近未来やどこかわからぬ山の中とかではなく、現代の日本で、小泉首相(らしき人物)や金正日(らしき人物)、援助交際をしている少女や怪しげな宗教団体といったわれわれにとってお馴染みの人物や社会現象が盛り込まれているからである。つまり不条理劇ではあるがシュールではなく、リアリティが担保されているのである。また、楽しく観ることができた理由は、演出がサービス精神に富んでいたからである。台詞のやりとりに緩急をもたせたり、歌や踊りやショートコントを随所に採り入れたり、一人二役・三役の場合のキャラクターの組み合わせに意外性をもたせたり…、そうした工夫が細部にわたって見てとれた。ただ、わかりやすく、楽しく観ることができた反面、不条理劇の不条理さ(不気味さといってもいい)は薄くなり、不条理劇よりも風刺劇の色彩が濃くなっていたように思う。もちろん風刺劇でもいいのだが、風刺劇であるならば、ただ政治問題や社会問題を漫画的に描くだけではなくて、その問題についての一歩踏み込んだ考察が必要だと思う。表層的におちょくってクスクス笑いを誘うだけでなく、問題の本質的な部分に鋭くメスを入れてほしいと思う。そのとき観客は笑いながら背筋にヒヤリとしたものを感じるであろう。最後に、舞台全体のことを離れて言えば、娘の演技はようやくあまりハラハラせずに観ていられる水準になってきた(しかし、今日もそうだったが、援交少女とか、金正日らしき人物の歌舞組の一人とか、毎度、エロ可愛い系の役が多いのはなぜだろう…)
  劇場から川崎駅に戻る途中の商店街(新川橋通り)には数軒のちゃんとした古本屋があり、そこで先日出たばかりのジェイ・ルービン『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』(新潮社)を入手できた。3000円が2100円である。収穫、収穫。他に西島健男『民族問題とは何か』(朝日選書、1992年)、関川夏央『貧民夜想会』(双葉社、1986年)、朝日新聞社編『わが思索 わが風土』(1972年)を各100円で購入。妻が「3冊で300円?!」と驚いていたが、ちゃんとした古本屋にも「百円均一」のコーナーというのが大抵あって、そこは「百円ショップ」の元祖みたいなものなのだ。しかも初めから100円で販売することを前提に作られた安物が並んでいるわけではないのだ。川崎に来る楽しみがまた一つ増えた。

10月7日(土) 晴れ

2006-10-08 00:21:52 | Weblog
  秋晴れの気持のよい一日だった。2限(社会学基礎講義B)と3限(社会学研究10)の授業を終えて、やれやれという気分で研究室のリクライニングチェアーに体を沈めていると、後期最初の一週間分の疲れがドッと押し寄せてきた。夏休みから後期へのギアの切り替えはなかなかに骨が折れる。とくに金曜6限の「現代人の精神構造」は後期から立ち上げた授業で、受講生も400人と多く、場所も初めて使う38号館AV教室ということで、気疲れがした。ところで、この授業は真面目な学生が多く履修しているのだろうか、授業前に「発熱のため初回の授業をお休みさせていただきます。申し訳ありません」とか、授業後に「昨日はかくかくしかじかの理由で授業を休みました。申し訳ありません」とメールを送ってくる学生たちがいる。もしかして演習規模の授業だと勘違いしているのではないだろうか。普通、400人の授業でそういうことはしないでしょ。しなくて構いませんから。欠席者がみんなこの真似をし始めたら大変なことになりますので。どうぞひっそりと休んでください。

          
              スロープの途中で見上げた秋空