フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月25日(月) 曇り

2014-08-26 12:44:27 | Weblog

8時、起床。

目玉焼き、ハム、サラダ(トマトとレタス)、トースト、牛乳の朝食兼昼食。

8月も4週目、最後の週である。小学校を基準にか考えると8月の終わりは夏休みの終わりなのであるが、大学を基準に考えると8月の終わりは夏休みの中間地点なのである。まだまだ続く夏休み(世間の皆さま、申し訳ございません)。ただ、語感としては、「夏休み」は季節外れの言葉になっていく。「去りゆく夏を惜しむ休み」というのが一番しっくりくる。

今日もしっかり惜しもう。

夕方、ジムへ行く。今日は曇り空の一日。夏もそろそろ終わりかと思うと、あの炎天も懐かしい。もう猛暑日になることはないのだろうか。

ジムでは筋トレ1セットとクロストレーナー50分(738キロカロリーを消費)。

夕食は秋刀魚。今シーズン初である。初物だけに一尾400円もしたそうだ。「たかはし」ではそろそろ秋刀魚の刺身(一本造り)が食べられることだろう。

私にとっての秋の三大味覚は、秋刀魚の塩焼き、カキフライ、松茸ご飯である。早くも最初の1つをクリアーしたわけだ。

デザートは葡萄。秋は果物も美味しい。

「去りゆく夏を惜しむ休み」が必ずしも切ないだけのものではないのは、美味しいものがたくさんあるからだろう。


8月24日(日) 曇り

2014-08-25 14:39:32 | Weblog

7時半、起床。

昨日、食べ過ぎたので(「永楽」の炒飯)、今日の朝食は抜く。

昼食はソーメンをリクエストしたら、「できたわよ~!」と呼ばれて行ったら、蕎麦だった。「あの~、ソーメンをリクエストしたのですが・・・」と私がやんわりと(作っていただいている立場なので)異議申し立てをすると、「同じようなものでしょ」と妻。いや、いや、いや、いや・・・・ソーメンと蕎麦は違うでしょ。似て非なるものでしょ。こちらはすっかりソーメンの気分で、♪ソーメン、ソーメンとソーメン節を口ずさみながら、書斎からリビングダイニングルームへとやってきたわけですよ。ひんやり、さっぱりのあのソーメンをこれから食べるのだと。ところがテーブルの上にはソーメンではなく蕎麦が置かれていたと。いや、蕎麦は嫌いではありませんよ。むしろ好きですよ。でも、そういう問題ではないんです。いったんソーメンに向いていたこの心と体を、急ブレーキをかけて、ハンドルを切って、蕎麦方向に向けないとならないわけですよ。それを強いられるわけですよ。これ、けっこうなストレスです。「はい、はい、わかりました」と妻、「早く食べないと、蕎麦、のびるわよ」。「はい、いただきます」と私。

夕方、散歩に出る。

「テラスドルチェ」でコーヒーを飲みながら読書。

ふと、財布を忘れたのではないか、鞄の中をみてみたところ、やっぱり忘れていた。

家に電話して妻に出てきてもらう。

出てきてもらったついでに、少し時間は早いが(まだ5時半)、「Zoot」で夕食を食べて帰ることにした。妻はここのつけ麺がお気に入りなのである。

私は魚介系のスープはそれほど好きではないので、鶏ガラスープの塩ラーメン(味玉付)を注文。

帰りにくまざわ書店に寄って(妻も)、本を3冊購入。

大内裕和、武信三恵子『「全身〇活」時代 就活・婚活・保活からみる社会論』(青土社)

南田勝也『オルタナティブロックの社会学』(花伝社)

ジェーン・スー『貴様はいつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎)

早めに夕食を食べると、夜の時間がたっぷりとある。

『おやじの背中』第7話「よろしくな、親父」(山田太一脚本)を観る。おなじみの(ただし後述の一点を除いて)山田太一ワールドである。都市で暮らす人びとが「変わった大人の男」の唐突な行動によって深く結びついていくというストーリーは山田作品にはしばしば登場する。たとえば『早春スケッチブック』(1983年)で山崎努が演じた沢田竜彦などは「変わった大人の男」の代表だろう。彼の言動によって望月家の人々の平穏だった日常は徹底的に攪乱される。しかし、攪乱されながらも、破滅に至ることはなく、望月家の人々は自分の人生や自分の家族と正面から向き合って、再生を図っていくのである。「変わった大人の男」はありきたりの日常、諦めてしまったような日常、自分を無理矢理納得させてしまっているような日常が再生するためのカンフル剤として機能する。「大人の男と若者との間の心の交流」というテーマも山田太一の作品にはしばしばみられる。今回と同じ渡辺謙が主演した(共演は玉木宏)『星ひとつの夜』(2007年)もそうであった。1人の人間として他者の生き方に関心をもつということ、そういう関心があるということを相手に言葉で伝えるといこと、当初、相手は気持ち悪がるが、それが他意のない相手の本当の気持ちなのだ理解することで、そんなふうに他者と出会えたことを一種の奇跡のようなものとして受けとめられるようになる。今回のドラマでは「大人の男と若者」が最初に出合ったのは若者が働くコンビニであったが、山田は『深夜にようこそ』(1986年)でコンビニを都市に住む孤独な人々が集うオアシスのようなものとして描いたことがある。今回のドラマで、新味だったのは、渡辺謙と余喜美子が演じる中年の男女の間での性愛の描写である。いったん断った見合い相手である男から「あなたを諦められない」と言い寄られて、女の気持ちが大きく傾くシーンで、女はたんに男の一途な思い、誠実な人柄にだけ惹かれたわけではなくて、その男の身体に強く惹かれるのである。自分にとって最後の恋愛のチャンスのみならず、同時に性愛の最後のチャンスであることを、女は自分でも驚くほどの正直さで男に対して言葉にするのである。おそらく、「大人の男と若者の間の心の交流」を描くときに、若者が男であるという設定に山田がこだわるのは、若者を女に設定してしまうと、性愛の存在を排除することができなくなり、年齢差のある恋愛ドラマになってしまうからであろう(もちろん大人の男と若い男という設定でも性愛の存在の可能性はあるわけだが、TVドラマではそれが主題になることはあまりないし、今回のドラマでも、男は若者の母親に性愛を感じているという設定になっている)。

ああ、もう一つ新味な点があった。若者を演じる東出昌大が渡辺謙よりも長身で、渡辺謙の背の高さが目立たなかったことである。


8月23日(土) 晴れのち雨、再び晴れ

2014-08-24 09:31:12 | Weblog

8時、起床。

トースト、サラダ(トマトとレタス)、牛乳の朝食。

11時半に蒲田駅でMさん(論系ゼミ2期生)と待ち合わせ、「まやんち」へ行く。

Mさんはこの10月に結婚式を挙げる(入籍はすでに今年の3月に済ませている)。私は披露宴でスピーチを頼まれているので、取材を兼ねて今日会うことになったのである。。一昨日、神楽坂の「トンボロ」で会ったSさん(論系ゼミ1期生)も一年前の9月に結婚式を挙げたのだが、そのときも「まやんち」で会って結婚までの経緯などを聴いてスピーチの準備をした。「まやんち」はそういうおめでたい面談の場所なのである。

Sさんのときも今回もちょうどピーチメルバの季節だったので、「まやんち」で会うことにしたという事情もある。店に入ると、店主のますみさんが、「先日は申し訳ありませんでした」と言った。昨日のことを言っているのだとすぐにわかったが、昨日を先日というところに、この数日の忙しさがうかがえる。実際、われわれは開店10分後に着いたのだが、すでに店内はほとんど満席状態であった。

野菜サンド(Mさんは玉ねぎ抜き)、紅茶(私は東方美人、Mさんは春摘みのダージリン)、そしてピーチメルバを注文する。

この細切りの人参が美味しいとMさん。そうでしょう、そうでしょう。スライスしたアボカドとの相性がよくて、ふんわりとした食感。

さて、ピーチメルバである。私は今期5食目、Mさんは初めてである。

初めて「まやんち」のピーチメルバを食べる人がどういう反応をするか、Mさんはその典型例である。

まず、見た目の美しさにうっとりする。ピーチメルバを一切れ口に運ぶ。コンポートした桃の甘さとラズベリーソースの甘酸っぱさにうっとりし、それが続いて口に運ぶアイスクリームと渾然一体になって、至福の瞬間が訪れる。「こ、これは!お、美味しい!」と思わず口に出てしまう。そして自ずと笑みがこぼれるのである。

 

 

かくしてMさんはピーチメルバを食べる前とは別の人間になり、ポスト・ピーチメルバ的人生を生きることになったのである。

Mさん、いつまでもお幸せに。

写真を撮っていて気付いたのだが、Mさんは首を左にかしげる癖がある。それはチャーミングな仕草ではあるのだが、結婚式のとき、とくに結婚の誓いを述べる場面では出さないように気を付けよう。

神父「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

Mさん(首を左にかしげる)

神父(えっ?迷っているの?!)

Mさん「はい、誓います」

神父(ハラハラさせないで)

・・・となるといけないから。もし、結婚式のときにこの癖が出てしまった場合は、誤解を解くために、私がスピーチの中で「あれはMさんの癖なのです」と説明させてもらいます。というわけで、スピーチの材料を一ついただきました。

ところで、私とMさんが話をしているときに、私の背後から「お話し中、失礼いたします」と話しかけてきた女性がいた。お店のスタッフの方かと思って振り返ると、見覚えのある顔である。去年の秋、私の演習を履修していた学生である。「先生のブログを読んで、今日、まやんちさんへ初めて来てみました。本当はこの後、phono kafeさんも梯子したかったのですが、ちょうど夏休みなのですね」という。私のブログに登場するカフェや食堂に行ってみましたという話はたまに学生から聞くが、実際に現場で話しかけられたのは初めてである。もしかしたら、これまで話しかけられないだけで、馴染みの店に行ったときにブログの読者(学生とは限るまい)と遭遇していたことは一度や二度でなかったのかもしれない・・・。いつどこで誰に見られているかわからないから、ちゃんとしていなくちゃな、と思った。私と学生とのやりとりを聴いていた隣のテーブルの客が笑っていた。

「まやんち」を1時過ぎに出て、これから横浜に行くMさんとは蒲田駅で別れた。

私は恵比寿の東京都写真美術館へ。9月24日から2年間の大規模改修工事に入ることになっている。休館まであと1か月だ。

今日は2つの展示会を観た。報道写真家・岡田義彦の回顧展「岡田明彦の写真 生きること死ぬことのすべて」と、清里フォトミュージアムの開館20周年を記念した展示会「原点を、永遠に。」。

ちょうど2階のラウンジで「原点を、永遠に。」関連のトークイベントが行われていた。 

休館までにもう一度か二度は訪れると思うので(友の会の観覧ポイントも未消化のまま溜まっていることでもあるし)、展示会の感想はいずれそのときにでも。

ミュジアムショップで本を購入。

シャーロット・コットン『現代写真論 コンテンポラリーアートとしての写真のゆくえ』(晶文社)

ロズウェル・アンジェ『まなざしのエクササイズ ポートレイト写真を撮るための批評と実践』(フィルムアート社)

ショプの奥にある喫茶コーナーで一服。

美術館を出たのは4時頃。

小腹が空いたので、大井町で途中下車。

禁断のゾーンへ足を踏み入れる。

「永楽」に吸い込まれるように入ってしまう。

「永楽」を訪れるのは二度目。最初のときは評判のラーメンを注文した。そのとき、そばにいた客が注文していた炒飯が気になっていた。

これがその炒飯である。基本が大盛りである。型にギュッとに押し込んでも入りきらなかった炒飯が皿にあふれている。ちょうど、居酒屋で升酒を注文したときに、升から溢れた酒を皿で受けとめて、一緒に客に出すあの感じに似ている。まず、あふれた分を食べ、次に本体に取りかかる。ギュッと固まっているので、ほぐして食べることになるのだが、ほぐすと量が増えてそのボリュームに圧倒される。メニューに半炒飯というのはないが、小腹を満たすには半炒飯で十分である。フードファイターになった気分で完食。しかし、この時間に食べてしまって、夕食が入るだろうか心配になる。

ご馳走様でしたと店を出て、店の外観を写真に撮ろうとしていたら、店員さんが出てきて、私に何か言う。忘れ物でもしたのだろうかと思ったら、「お代がまだです」とのこと。完食したことに満足して、支払いを済ませた気になっていのだった。ごめん、ごめん。所作がのんびりしていたからよかったものの、これが店を出て足早に立ち去ろうとしていたら、間違いなく食い逃げと思われたであろう。

夕飯は8時。今日はオムレツ。

あの炒飯を食べてから3時間半後であるが、完食する。でも、デザートはパス。


8月22日(金) 晴れ

2014-08-23 10:53:09 | Weblog

7時半、起床。

目玉焼き、ハム、サラダ(トマトとレタス)、トースト、リンゴジュースの朝食。

妻が自宅で開いている講習会の生徒さんからガラス製の箸置きをいただいた。メダカや風鈴など夏らしい絵柄である。神楽坂の「丸岡陶苑」で買われたものとのこと。

今日は夕方にジムに行く予定なので、ジム帰りに「まやんち」に寄ってピーチメルバを食べようと開店前に予約の電話を入れたところ、店主のますみさんが出て、申し訳なさそうに、今日は昨日までにいただいた予約の分しか作っておらず、店頭のメニューにはピーチメルバは「品切れ」となっているのですと言われた。ガーン!そうか、昨日のうちに予約をしておかなくてはならなかったか。ますみさんが言うのは、そろそろ桃そのものの入荷が減って来ていて、予約された方の分を作るので精一杯のようである。わかりました。今日は諦めます。電話を切って、しょんぼりする。

昼食は冷やし中華。

夕方、ジムへ行く。

一瞬、「チョキ、パー、グー」に見える。

このラーメン店はけっこう有名らしい(早稲田も蒲田もラーメン激戦区として知られているが、私はそれほどラーメンに情熱を感じないので、数軒のラーメン屋しか知らない)。この店は基本的に大盛りなのだろうか。「ラーメンだい!」と威張っている感じがする。

環八の歩道橋の上から横断歩道を渡る人たちを撮る。

スタート。

 

左下から斜め御横断しようとする男性が登場。

何台かの自転車も斜め横断。定番的ルートのようである。

 この辺りが横断のピークだろうか。交錯する人々。交錯する人生。

 終盤にさしかかって、ここでまた斜め横断の男性が登場。

みんなが渡り終わろうかというころ、左下から女性がまさかの斜め横断で登場。

 その堂々とした斜め横断に自転車が追従する。

そしてみんな渡り終わった。

定点観測撮影、おしまい。

ジムでは筋トレ1セットとクロストレーナー50分(730キロカロリーを消費)。

トレーニングを終えて、ジムの入っているビルの1階にある「銀だこ」でクリームソーダを買い食いする。舗道に置かれたベンチで食べる。これがなかなか美味しかった。かき氷とソーダ水のソフトクリームをミックスした感じでシャキシャキとして爽やかな味わい。「まやんち」のピーチメルバは食べられなかったが、新しい食感に出会えた。

 夕食は焼肉と肉じゃが。どっちも牛肉ですけど、好きだからよしとしよう。

「ピーチメルバが食べられなかった可哀そうなあなたのために・・・」と妻が桃を剥いてくれた。


8月22日(金) 晴れ

2014-08-22 14:59:32 | Weblog

7時半、起床。

ハムトースト、サラダ(鶏のササミ、トマト、レタス)、牛乳の朝食。

 

8月上旬にドイツに旅立ったKさんから「ドイツ通信」というタイトルのメールが届く。ドイツに着いたその日から想定外の事態に遭遇しているようである。なかなか大変そうだ。おまけにかの地の気候は、最初の1週間は爽やかな日々だったが、夏はあっというまに終わり、いまは日本の11月くらいの気候で、最低気温は10度を下回っているという。東京の猛暑がうらやましいですと書いてあった。

つらくなったら、とりあえず泣こうか。そして、「やれやれ」と言いながら、笑ってみよう。それができたら大丈夫。

昼過ぎに家を出て、大学へ。

駅へ向かう途中、「そば新」で昼食を食べる。天玉うどん。店内の冷水器の水があまり冷たくない。みんながひっきりなしに冷水を飲もうとするから、冷却が追いつかないのだ。今日も猛暑日。

電車の中で鞄から本を取りだそうとして、書斎の机の上に忘れて来たことに気づく。今日、大学の図書館に返却すべき本である。忘れないようにと昨日のブログにも書いたのに、忘れてしまった。もーしょーがない人ね、猛暑日だけに。「やれやれ」と笑ってみる。

神楽坂で途中下車して「梅花亭」でおやつを購入。

超絶技巧的に細かい仕事が施されたお菓子があった。値札はない。「これは何ですか?」と女将さんに尋ねたら、どこかの品評会に出していたもので、展示が終わって、すぐにつぶしてしまうのはもったいなので、こうして店先に出しているのですとのこと。そうか、観賞用で、食用ではないのか。

大学に着いて、新しい教員ラウンジ(33号館低層棟2F)に郵便物を受け取りに行く。ドアを開けると受付があって、その奥に教員ラウンジがあって、されにその奥に教材印刷室がある。

ラウンジはオープンな雰囲気だ。

廊下を隔てて、教員ラウンジの向かいに教員ラウンジ別室がある。

こちらはテーブルとテーブルの間に衝立があったりして、相談室みたいである。

3時から他大学の教員との勉強会(5時まで)。

5時過ぎに来客。お土産にいただいたゼリーをいただく。

こちらで用意した「梅花亭」の麩饅頭とみたらし団子。和洋ダブルのスイーツタイム。

卒業生のSさん(論系ゼミ一期生)と7時過ぎに神楽坂で会う。

木曜日は「SKIPA」は定休日だが、「夜トンボロ」はやっている。

メニューに梅ソーダがある。「SKIPA」の梅ソーダと同じものかとおもったら、「トンボロ」のマダム(宙太さんのお母様)が独自に作っているものとのこと。なるほど、「SKIPA」のものより甘さが控えめで、若干のアルコールが入っている。スッキリした味わい。

梅は入っていないが、リクエストしたら、もってきてくださった。

カウンター席に座って、ときに「ダルビッシュ君」を交えて、おしゃべりをする。

クロックムッシュ、ピザ、ソーセージ、ピクルスなどを摘まむ。

 

 

Sさんは長かった髪が短くなり、結婚前に前の会社(阪神電鉄)で「清盛ガール」(大河ドラマ「平清盛」とタイアップして、阪神電鉄沿線の平清盛ゆかりの土地をレポートしていた)を務めていたときの髪型に近くなっていた。

スパゲティミートソースを注文。専門店のシェフ直伝の茹で加減である。

 食後のコーヒーはSさんがAブレンド(香りの酸味)、私がBブレンド(コクと苦味)を注文。同時に注文されて、客に出すときに間違わないようにするために、Aブレンドの皿にはイチゴ柄のスプーンを、Bブレンドの皿にはそうでない柄のスプーンを置くのだそうである。

「香りがあってコクもある」というブレンドはできないのですかと私が尋ねたところ、ダルビッシュ君は「う~ん」と考え込み、「すみません。今度マスター(宙太さんのお父様)に聞いておきますと答えた。

Sさんは「colorful box」という名前のブログをやっている。やってはいるのだが、めったに更新されない。今年に入ってからの更新状況は、1月が1回、2月が1回、3月が1回、4月が1回、5月が1回、6月が1回・・・と、まるで月刊ブログ状態だったが、7月は更新がなく、8月もつい先日まで更新がなかった。「更新されたかな」とのぞきに行くたびに空振りで、これでは「カラフル・ボックス」ではなく、「空振るボックス」ではないかとメールを出した(Sさんはそのメールを会社のビルのエレベーターの中で読んで思わず吹きだしたそうである)。更新が滞っている理由は、①怠惰、②多忙、③多幸(新婚ボケ)、④(もしかして)悪阻がひどい、のいずれですかと質問したら、基本的に①ですと返信があった。では、久しぶりに会いましょうかということになったのである。

Sさんはこういう場合の対応は早い人で(思い立ったが吉日)、このメールのやりとりがあってから2日後の今日、彼女の仕事終わりに会うことになったのであるが、この2日間でブログが2回更新された。これまでのペースを考えたら、怒涛の更新といっていい。進撃のブログといってもいい。1つは旦那さんと「サマーソニック2014」に行った話。もう1つは彼女が目ざす「理想の女性」についての話だった。後者から一部を引用する。

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今の私の理想は、かっこいい女性になること。
 
私にとってのかっこいいとは、
 
芯を持っていること。
ブレない。
でも柔軟性があって。
自分に自信がある。
けど決して傲慢ではなく、気配りができ、人に優しい。
いつも余裕がある。
トレンドを追いすぎるわけではなく、キメすぎているわけでもないけど、身なりがキチンとしていて、お洒落。
仕事ができる。
自立・自律している。
ユーモアがある。
姿勢がきれい。
 
内面から外見からバラバラだけど。
こんな女性になりたい。
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なるほどね。
 
女性からみてかっこいい女性は、男性からみてもかっこいい。同時に、これってとくに女性に限らずかっこいい男性としてもほぼそのまま通用するものではないだろうか。つまりはかっこいい大人ということである。
 
「トンボロ」には9時半ごろまで滞在。私たちのいる間、他に客はいなかったので、貸切状態であった。2月と8月は飲食店は景気がよろしくないと昔からいうけれど、確かにそういうことってあるようである。
 
「夜トンボロ」、穴場ですよ。