あなたの好きな珈琲はなんですか。
うっかりそんな質問に答えてしまったのです。
そして、うかつにもそれは相手が珈琲通で好きな珈琲が
あることにも気がつかず。
そうです。私は珈琲好きですが、そんな質問は愚問だとずっと
思っていました。珈琲好きなら珈琲の単品で何をのむったらもう
決まっています。聞くまでもないのです。しかし、世の中まだそう
じゃなかった。
私に私が相当珈琲好きで、味にもうるさいと知っていながら珈琲は
何を飲むんですかと聞くほうがおかしいと思っている事を相手は
知らないのです。そんなばかな。
私のプログだからこう告白してしまいますが、別にこれを聞かれたから
私に対して失礼だとか、珈琲通に失礼になるということではありませんから
ご注意を。
ただ、世の中もしかしたら味も何もかも私が標準である事が常識として
通じない世の中に変わってしまったのかという一抹の不安がふとその人と
の会話で沸いたのです。その人は、うちではモカが一番飲まれますと
言ったのです。あなた、モカって単品で飲むんですか。それってよっぽど
いい豆をいつも一週間くらいで使いきるくらい頻繁に飲むんじゃないと
最初と最後でかなり味に差が出るし日常飲むストレートじゃないよ。
しかも、その人は一番味が平均的だというのです。へえなんか私の味の
記憶がとても刺激される言葉でした。
モカなんかストレートでおいしいと感じられるほど淹れるのがうまいか
豆が良いか、一番平均的な味がするコーヒーと感じられる感性とは。
凄い気になりました。それに、モカの特長とはなんだ。思い出してみると
一番最初に飲んだストレートが中学の時に飲んだモカです。そしてその
まずさに愕然としたものです。サイフォンの機械を買いそれについてきたのが
モカだったような気がします。その後色々試してインスタントよりうまい
コーヒーが意外と見つからず、ブルーマウンテンならそんなことはないの
だろうと他の豆より3倍は高い豆を買い試してみました。それはインスタントの
ネスカフェとたいして変わらない味でした。
コーヒー屋さんで売っている豆で値段相当の味が出ている豆なんてそう
ないんだという事がその時わかりました。そして、サイフォン式はひとりで
飲むには効率が悪いと知り、以降ドリップ式に落ち着きます。それも紙の
ろ紙だとどうしても紙の味が出てしまいそれが悩みの種でした。高校性になり
良く行く喫茶店ができそのマスターにその悩みを打ち明けますと、紙を
ぬらしてはだめだと教わりました。これは画期的な出来事でした。
後は細口のお湯指しさえあれば、誰でもプロの味です。
でもモカが一番コーヒーの平均的な味と答える人がいるようにまだ家庭で
本当に豆の真の力を引き出している人がどれだけいるかです。私はその人の
おかげでいつも飲むブラジル以外のストレートを飲んでみる気になりました
ので、それはそれで良い機会でした。気がついてみれば、もう何年もブラジル
以外のストレートは飲んでいません。その間にモカの味が変わったのかも
しれません。
モカ・マタリ
苦味と酸味とくに酸味を持つ豆。
これが私のモカのイメージです。単品では飲めません。
そして、コロンビアやグァテマラなんかだとインスタントのそれも味の素の
ブレンディやマキシムの味を思い出してしまいこれも単品では飲めません。
ブラジル
イメージから味からとにかく中庸。
味が思考を邪魔しないとてもすばらしいコーヒー。
香りだけでブラジルとわかる。
さて今回でかけてモカを飲んだのは、モカだけで3種類あるコーヒー豆を
炭火で焙煎している専門店です。ただし最近多い炭焼きコーヒーでは
ありません。自家焙煎のお店です。日によっては店の中が炭臭い事が
ありますが、コーヒーが炭焼きコーヒーのように苦いだけのことはありません。
モカだけで三種類ある。私はこれですでに間違いを犯したのかもしれません。
モカ・マタリとは西南アジア産でブランドはひとつです。
今日飲んだモカはアフリカ産です。
多分あの人は、モカ・マタリの事を指していると思われます。
今回の珈琲も酸味に特徴があるもののモカ独特の酸味という感じでは
ありません。甘みとこくがあり、さわやかな朝のイメージが漂う。
モカなんかとても単品では飲めないという観念は捨てた方がいいのかも。
でも酸味はする。
ただ、酸味だけで言えばキリマンジェロの方が強いかも。
今日の珈琲もおいしくいただきました。
下手なブレンドを飲むならブラジルです。
それは変わりません。好みのブラジルを好みの焙煎加減で供給して
くれる店はそうありません。ということは私が言っているブラジルだよ
というものとその人が珈琲に求める味が違うことはもちろん、個人の嗜好
なのでどうしようもないのです。
ただ、モカが一番珈琲らしいとか平均的という観念は改めてもらいたい。
私にはいい機会と世間の人は皆そんなものなのだと言う認識といろいろ
考えさせられる事件ではありました。
うっかりそんな質問に答えてしまったのです。
そして、うかつにもそれは相手が珈琲通で好きな珈琲が
あることにも気がつかず。
そうです。私は珈琲好きですが、そんな質問は愚問だとずっと
思っていました。珈琲好きなら珈琲の単品で何をのむったらもう
決まっています。聞くまでもないのです。しかし、世の中まだそう
じゃなかった。
私に私が相当珈琲好きで、味にもうるさいと知っていながら珈琲は
何を飲むんですかと聞くほうがおかしいと思っている事を相手は
知らないのです。そんなばかな。
私のプログだからこう告白してしまいますが、別にこれを聞かれたから
私に対して失礼だとか、珈琲通に失礼になるということではありませんから
ご注意を。
ただ、世の中もしかしたら味も何もかも私が標準である事が常識として
通じない世の中に変わってしまったのかという一抹の不安がふとその人と
の会話で沸いたのです。その人は、うちではモカが一番飲まれますと
言ったのです。あなた、モカって単品で飲むんですか。それってよっぽど
いい豆をいつも一週間くらいで使いきるくらい頻繁に飲むんじゃないと
最初と最後でかなり味に差が出るし日常飲むストレートじゃないよ。
しかも、その人は一番味が平均的だというのです。へえなんか私の味の
記憶がとても刺激される言葉でした。
モカなんかストレートでおいしいと感じられるほど淹れるのがうまいか
豆が良いか、一番平均的な味がするコーヒーと感じられる感性とは。
凄い気になりました。それに、モカの特長とはなんだ。思い出してみると
一番最初に飲んだストレートが中学の時に飲んだモカです。そしてその
まずさに愕然としたものです。サイフォンの機械を買いそれについてきたのが
モカだったような気がします。その後色々試してインスタントよりうまい
コーヒーが意外と見つからず、ブルーマウンテンならそんなことはないの
だろうと他の豆より3倍は高い豆を買い試してみました。それはインスタントの
ネスカフェとたいして変わらない味でした。
コーヒー屋さんで売っている豆で値段相当の味が出ている豆なんてそう
ないんだという事がその時わかりました。そして、サイフォン式はひとりで
飲むには効率が悪いと知り、以降ドリップ式に落ち着きます。それも紙の
ろ紙だとどうしても紙の味が出てしまいそれが悩みの種でした。高校性になり
良く行く喫茶店ができそのマスターにその悩みを打ち明けますと、紙を
ぬらしてはだめだと教わりました。これは画期的な出来事でした。
後は細口のお湯指しさえあれば、誰でもプロの味です。
でもモカが一番コーヒーの平均的な味と答える人がいるようにまだ家庭で
本当に豆の真の力を引き出している人がどれだけいるかです。私はその人の
おかげでいつも飲むブラジル以外のストレートを飲んでみる気になりました
ので、それはそれで良い機会でした。気がついてみれば、もう何年もブラジル
以外のストレートは飲んでいません。その間にモカの味が変わったのかも
しれません。
モカ・マタリ
苦味と酸味とくに酸味を持つ豆。
これが私のモカのイメージです。単品では飲めません。
そして、コロンビアやグァテマラなんかだとインスタントのそれも味の素の
ブレンディやマキシムの味を思い出してしまいこれも単品では飲めません。
ブラジル
イメージから味からとにかく中庸。
味が思考を邪魔しないとてもすばらしいコーヒー。
香りだけでブラジルとわかる。
さて今回でかけてモカを飲んだのは、モカだけで3種類あるコーヒー豆を
炭火で焙煎している専門店です。ただし最近多い炭焼きコーヒーでは
ありません。自家焙煎のお店です。日によっては店の中が炭臭い事が
ありますが、コーヒーが炭焼きコーヒーのように苦いだけのことはありません。
モカだけで三種類ある。私はこれですでに間違いを犯したのかもしれません。
モカ・マタリとは西南アジア産でブランドはひとつです。
今日飲んだモカはアフリカ産です。
多分あの人は、モカ・マタリの事を指していると思われます。
今回の珈琲も酸味に特徴があるもののモカ独特の酸味という感じでは
ありません。甘みとこくがあり、さわやかな朝のイメージが漂う。
モカなんかとても単品では飲めないという観念は捨てた方がいいのかも。
でも酸味はする。
ただ、酸味だけで言えばキリマンジェロの方が強いかも。
今日の珈琲もおいしくいただきました。
下手なブレンドを飲むならブラジルです。
それは変わりません。好みのブラジルを好みの焙煎加減で供給して
くれる店はそうありません。ということは私が言っているブラジルだよ
というものとその人が珈琲に求める味が違うことはもちろん、個人の嗜好
なのでどうしようもないのです。
ただ、モカが一番珈琲らしいとか平均的という観念は改めてもらいたい。
私にはいい機会と世間の人は皆そんなものなのだと言う認識といろいろ
考えさせられる事件ではありました。