King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

チェンバロ

2007年07月21日 23時14分20秒 | 日々のこと
最近の車の中の音楽は、バッハの平均律です。
昔聞いたバッハのトッカータとフーガ二短調は、印象に
残るパイプオルガンでしかもコンピューターにより編集された
デジタル音のものが特に印象に残り、それ以来バッハというの
パイプオルガンの人だと思っていました。

その後、グレングールドのゴールドベルク変奏曲などで
バッハを聞きますが、バッハというより彼のピアノの方が独特で
興味があり、なぜにこのCDはピアノなのかとは一度も思わず、
ただただ聞いていました。そして、いつしかピアノはベートーベンの
ピアノソナタになり、月光や情熱などが繰り返しいつも頭の中に
あります。
しかし、何も頭に残したくないときとか何も考えないでいたい時に
バッハのチェンバロがとても心地よいのです。

本の中ではよく翻訳本の訳としてハープシコードとして出てきますが、
ちっともパイプオルガンとピアノと別に区別もなく、古い録音だから
こういう音として聞いていましたが、ピアノ曲を聞けば聞くほど
このハープシコードでないとだめなときというのがあります。
眠れぬときとか、頭が変に興奮したときとか、頭が疲れすぎたときに
ゴールドベルク変奏曲は、ハープシコードで弾いてもらいたいのです。
グレングールドのピアノはその違いを楽しみたい時に暑かった午後でも
水出しの珈琲とともにいただきたいと思います。

そんなわけで、今日はバッハの平均律で過ごしました。
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