『ねむれ巴里』金子光晴
よいよパリに向かう金子光晴。
彼の口上は益々絶好調です。
そもそもこの本が書かれたのは、実際の巴里に旅をした頃から
はるか後のことらしいです。
それも戦前の巴里であり、書かれたのは昭和後期ということ
ですから、何もいまさらということになるのですが、それが
実にみずみずしい文化論になっているから今も読まれている
のでしょう。
先日、『骸骨ビルの庭』をやっとの思いで読み終わりましたが、
私には、箪笥の奥にある古い出し物をつなげてまた一儲けのような
古臭く陳腐な物語に思えてなりませんでした。
それが世の中的には、何かの賞などをとっていてこれはかつて
ベストセラー作家とか大出版社の大作家ともなるとただ単行本を
出したということにならずにとにかく何でも売れるうちに売って
しまうという身も蓋もないことが今でも起きているんだなあという
感じを受けました。
この本のようになんの脈絡もなくいまだに本の魅力と文化として
残る例もありますが、こういう貴重な体験と世間を見る見本として
必要な物のような気がしてなりませんでした。
最近は、学校を卒業し一度も正社員を経験せずに働きだして、世の中
が不景気に沈むと職を失い、それでもバイトで食いつないでよいよ
そのバイトも歳のせいで勤めづらくなると収入の道を見つけられず
飢え死にしてしまったという人生をテレビで紹介していました。
一方、無職で収入がないため親が死んでも火葬にすらできず遺体を
山中に放置し死体遺棄で捕まった男のニュースにも触れました。
最近の人間は、なんと無力で弱弱しくできているのでしょう。
無知で生き抜くという根本の能力以前に生存の意思が薄弱なのかと
思ってしまいます。
金子光晴が巴里まで行き、男娼以外は何でもやったという赤裸々な
旅の記録は、そんな現代にきっと喝を与えることでしょう。
競争力導入とセィフティネットの完備で活力ある社会を築くはずが
小泉改革は、落ちこぼれていく人々を大量発生させ何も改革や
硬直する社会制度を正せてはいないことを露呈して、政権交代という
耳ぎこえのいい転落の後、ばら撒きだらけのぐだぐだで何も決められない
政府に取って代わられました。
あの一番じゃなきゃだめなんですかという蓮舫議員の言葉の衝撃も
ありましたが、飢えで死んじゃう若い男もいる世の中なんだぞ、
そろそろ本気で世の中変えないと国民新党の亀井氏ではないが
日本が沈んでしまいそうです。
この本の中には、はっとするような出来事とかぞっとするような
出来事も出てきます。
羅生門の中のような出来事も今の世の中これから出てくるかも
しれません。
ベルギーの安食堂の料理がウサギの頭でなく猫の頭を使っていた
というのもかなり衝撃的でした。
当時国によっては猫売りがいたという金子の回想も強烈です。
もちろん猫の肉を売っていたそうです。
その時に思ったのは、『1Q84』の中に出てくる猫の国に行く話し。
小説の中に出てくる小説の話というのは技巧的には、よくみんなが
知っている話を使うものです。
猫の国と言えば萩原朔太郎の猫町であり、ガロに載っていた猫の
銀河鉄道の漫画です。
それらを十分意識したであろうはずの彼の書く小説というのが
まったくの架空のものです。
現実の物を連想させる新興宗教や自分殺しや首都高にある階段とか
あの本には虚実入れ乱れた世界が書かれていました。
ヤナーチェクの曲などこれまた虚構かと思えばこれはちゃんと実在
のもので、クラッシックにかなり専門的な知識があるのかと
思われる選曲です。
現代では、ベルギーでも猫の頭を使った料理屋などあろうはずも
なく、それでも人々はもっとひどい物を食べさせられているかも
知れないという現実を知り、したたかに生きていくことを思考
するべきかもしれません。
それほど回りには助けの手も富の約束もないのですから。
よいよパリに向かう金子光晴。
彼の口上は益々絶好調です。
そもそもこの本が書かれたのは、実際の巴里に旅をした頃から
はるか後のことらしいです。
それも戦前の巴里であり、書かれたのは昭和後期ということ
ですから、何もいまさらということになるのですが、それが
実にみずみずしい文化論になっているから今も読まれている
のでしょう。
先日、『骸骨ビルの庭』をやっとの思いで読み終わりましたが、
私には、箪笥の奥にある古い出し物をつなげてまた一儲けのような
古臭く陳腐な物語に思えてなりませんでした。
それが世の中的には、何かの賞などをとっていてこれはかつて
ベストセラー作家とか大出版社の大作家ともなるとただ単行本を
出したということにならずにとにかく何でも売れるうちに売って
しまうという身も蓋もないことが今でも起きているんだなあという
感じを受けました。
この本のようになんの脈絡もなくいまだに本の魅力と文化として
残る例もありますが、こういう貴重な体験と世間を見る見本として
必要な物のような気がしてなりませんでした。
最近は、学校を卒業し一度も正社員を経験せずに働きだして、世の中
が不景気に沈むと職を失い、それでもバイトで食いつないでよいよ
そのバイトも歳のせいで勤めづらくなると収入の道を見つけられず
飢え死にしてしまったという人生をテレビで紹介していました。
一方、無職で収入がないため親が死んでも火葬にすらできず遺体を
山中に放置し死体遺棄で捕まった男のニュースにも触れました。
最近の人間は、なんと無力で弱弱しくできているのでしょう。
無知で生き抜くという根本の能力以前に生存の意思が薄弱なのかと
思ってしまいます。
金子光晴が巴里まで行き、男娼以外は何でもやったという赤裸々な
旅の記録は、そんな現代にきっと喝を与えることでしょう。
競争力導入とセィフティネットの完備で活力ある社会を築くはずが
小泉改革は、落ちこぼれていく人々を大量発生させ何も改革や
硬直する社会制度を正せてはいないことを露呈して、政権交代という
耳ぎこえのいい転落の後、ばら撒きだらけのぐだぐだで何も決められない
政府に取って代わられました。
あの一番じゃなきゃだめなんですかという蓮舫議員の言葉の衝撃も
ありましたが、飢えで死んじゃう若い男もいる世の中なんだぞ、
そろそろ本気で世の中変えないと国民新党の亀井氏ではないが
日本が沈んでしまいそうです。
この本の中には、はっとするような出来事とかぞっとするような
出来事も出てきます。
羅生門の中のような出来事も今の世の中これから出てくるかも
しれません。
ベルギーの安食堂の料理がウサギの頭でなく猫の頭を使っていた
というのもかなり衝撃的でした。
当時国によっては猫売りがいたという金子の回想も強烈です。
もちろん猫の肉を売っていたそうです。
その時に思ったのは、『1Q84』の中に出てくる猫の国に行く話し。
小説の中に出てくる小説の話というのは技巧的には、よくみんなが
知っている話を使うものです。
猫の国と言えば萩原朔太郎の猫町であり、ガロに載っていた猫の
銀河鉄道の漫画です。
それらを十分意識したであろうはずの彼の書く小説というのが
まったくの架空のものです。
現実の物を連想させる新興宗教や自分殺しや首都高にある階段とか
あの本には虚実入れ乱れた世界が書かれていました。
ヤナーチェクの曲などこれまた虚構かと思えばこれはちゃんと実在
のもので、クラッシックにかなり専門的な知識があるのかと
思われる選曲です。
現代では、ベルギーでも猫の頭を使った料理屋などあろうはずも
なく、それでも人々はもっとひどい物を食べさせられているかも
知れないという現実を知り、したたかに生きていくことを思考
するべきかもしれません。
それほど回りには助けの手も富の約束もないのですから。