King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

憲法のエチュードとスニーキーピート

2019年07月12日 09時11分30秒 | 珈琲

昨日は雨の中四日目の雨降りランニングとなりました。

普通は二日続けて雨に濡れるのは嫌なのでジムに行ったり、

走休日にしたりします。

 

ところが、朝の天候で今日はジムに行こうと決めていても午後の仕事の都合で

夜走る以外に選択肢がなくなったりと今の雨の降り方はそんな追い詰めるような

降ったりやんだり突然降ってきたりというものです。

 

当店は駐車場が少し離れているため、雨が降ると極端に遠のき、勘違いしている人や

知らない人は、わざわざ市役所に止めて歩いてくる人もいて、すっかり不便な店と

思われているのです。

 

そんな客待ち的な時間に本を読んだり溜まったビデオを見たりしますが、最近は選挙もあり

憲法について気になったことを調べようと『憲法のエチュード』を開きました。

これは私が行政書士の受験の時によく参考図書として出てきた本ですが、基本書として読むより

憲法は過去問と判例で対処して読んだのはずっと後でした。いつも話題になるのは政教分離で

出る判例で津市の地鎮祭訴訟が出てきますが、もはや古い感じで今では平成天皇の時に諸々の

裁判を取り上げ、日本の特異なところを議論して歴史認識と政治と法律との関係を考えるとき

なのではと思います。

 

自民党は憲法改正をこの選挙で争点として挙げていますが、自身の政府で閣議決定して

集団自衛権を憲法解釈の変更で実行できることに変えるという決断をしているのなら

自衛隊が違憲という前にもっと正すべきことがあるのではないかというのは当然に

あるわけでそれをへたな言い訳のように肩身の狭い子供の思いなどを創出して改憲すると

いいだしたのはなんともその先が読めるような展開です。

 

憲法のエチュードは憲法の中の問題と課題を示しているのですが、判決により進化してきた

部分の解説とか成果とかも触れてほしいところです。自由と平等、基本的人権と人類が確立

してきた権利と享受がこの先どの方向に向かうのかも考えないといけません。

 

amazonのビデオでスキニーピートも最近お気に入りです。

 

主役のジョヴァンニ・リビシはよく見る俳優ながらまさか主役というのが驚きで、その演技の幅や

存在感からいったら格下とか顔じゃない感じなのですが、かえって個性の強いアクのある俳優より

その場を読んで信用を創出するというのを見せるためには仕方ない物なのかという諦めもひとつの

必須項目のように見せているよう思われてきて足りないものがまた楽しい感じになってきました。

 

製作陣の考え方としては世の中の人を殺してしまうような悪人は救うべくもない完全悪でそれには

かかわらず巨悪に対しては騙してもよく、それは当然の債で世の中の善悪はその立場により変わると

いう現実的な正義感をみせ、主人公は人を騙す詐欺師ながらそれは詐欺師や極悪人から騙すので

世のためになっているというスタイルで視聴者の賛を得ようとしています。

 

これは日本の虚構にもたびたび現れるもので昔は義賊だとか単純にあくどい商人から盗んで貧しい人に

分けるという勧善懲悪的描き方でしたが、世の中が複雑になり詐欺というものがテーマとなり、騙す

という最後は善人は誰も困らないという終わり方をして良しというスタイルのものが生まれたのです。

 

漫画などではクロサギとか同様の物があります。

 

映画などではワイルドスピードやTaxiですが、詐欺だとスティングといった昔からのものがあります。

 

まあ物語ならでわなのか現実にもあるかとかいえば日本でも昔からM資金詐欺とかニュースに

でますので、現実にも騙す人はいるのです。

 

人間の脳もそもそも騙されるようにできていたり、幸福感とは他人に施すと強くあらわれるという

人間の本質に基づいた物語なのかもしれません。

 

そのスキニーピートの今までにないところは主人公がどんどんドツボにはまり込んでいく中で

解決は全て詐欺でかたを付けるという最後はやられたとみている人に思わせるところです。

 

主人公のピートだけでなく、かかわる人がみんな問題を抱え、その問題をしょい込むことになり、

それでもそれぞれの人は愛すべき善の判断で行動して決断をするけれどそれはやはり法律違反だったり

するのでまた更に問題発生で解決のためにまた違う詐欺を仕組むという物語です。

 

つまり、自分は犯罪者でもないし、悪人でもないと関係ないと見ていられない、いつの間にか自分も

いつ犯罪者となり助けになるのはピートのような人という感じになっています。すっかりその世界に

はまるのもいいですが、FBIはそんな馬鹿じゃないだろうとか今の犯罪捜査はもっと証拠とか科学的

捜査がされるだろうとか突っ込みどころは多々あり、自分はそんな馬鹿じゃないのでそんな話に

騙されないと物語の先を読むのもよいでしょう。

 

まあどちらかというとどっぷりとはまってみてああ騙されたとみるのが正解のような気もします。

あらを探したらきりがないし、そもそも主役がシビリなのですからそれに収束されそうです。

 

こんなゆったりとした時間つぶしの時にも季節の珈琲は必須で自分の予定を忘れずにいるためにも

夜のランニングに出る準備にもこの珈琲の香りと季節の味がすべて繋がり整えていきます。

 

最近閉まってしまった名店とか花輪をずらっと並べた新規開店の店とか町の変化もリビングから

見える空模様の変化も珈琲と本とビデオと全てが共有の歴史のように感じたり、それが自分の

人生とリンクしたりと幾重にも重なり毎日繰り返されるときの流れも季節というスポットライトと

珈琲の香でより豊かに深まり、より感じるようになります。

 

果たして今日は五回目の雨の中のランニングになるのかそれともジムに出かけることになるのか

また午後の様子で覆ってしまうので全く解りません。

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曇り空とユリの花

2019年07月11日 09時12分07秒 | 珈琲

ちょっと気が付いてみるともう今年も半分すぎあと数カ月でまた

雪の季節です。

なんと早いことよと危ぶむ心と朝のあわただしい時の時間の無さや

豆焙煎中の刻々と変わる釜の状況と過ぎる時間の緊張などと時々の

時間の感じ方は様々で、夜のランニングでは時間が止まっているのか

悠久の中にいるのか不確かな感じに満ちるときとか実に一日の変化も

様々であり、総じて過ぎてしまえばあっという間だったという感慨に

包まれるのです。

 

そうです。そんなのでいいのと感じるのが時の流れ方であり、決して

自由に流してしまってはいけないのです。

 

それは物事に振り回されて動いているときや他人に振り回されているときです。

 

それが一番時間の浪費につながり自分を見失い時間の流れるままにされると

気が付くべきです。

 

そんなことに気が付くのに一息つく珈琲タイムは必須であり、その時に深く自制し

もう一度どうしたらいいか考えたり、何をどう感じているか思ってみると良いのでは。

 

その時、珈琲と季節というのはその時間を測る尺度として丁度良く作用し、人との距離とか

そんな空間を測る尺度としても良い効果をもたらします。

さらに、季節を感じるための珈琲を持てばさらに効果満点です。

今の季節を感じる珈琲実況のこのブログを読むこともその使い方と実践とさらに実用的に

作用するのではないでしょうか。本格的に梅雨の最中にあり、いつ降り出すかという空は

もう四日目になり、梅雨の晴れ間もなく過ぎていますが、実は季節は確実にすすみ、夏は

深まっています。

 

今夜ランニングで外に出ると今そのままの季節を感じることができます。走り出す前は肌寒く、

パーカーなどを着ていますが、走り出す時には半袖ハーフパンツというゾクゾクと寒く感じるような

格好で走り出さねばなりません。体が温まるとずっと汗がドドドっと流れて手で拭いながら走ります。

先日、ファン付きの作業服の発明者が言っていた言葉を思い出すのですが、汗というのは蒸発して

いるうちが効果的に体を冷やし効果があり、だらだら流れるようになるともうその効果がなくなり、

汗も出なくなるという発言でした。

 

しかし、夏の体育館でバスケットの試合をしたり、炎天下の公園で二時間も走った経験がないのでは

と考えてしまいました。汗は確かに蒸発しないと効果はないのですが、冷やすために体は常に汗を流し

だらだらと滝のように流れ、汗の層ができる感覚になるのですが、一向に止まる様子もなく、やがて

シャツに真っ白に潮を吹いて体にも白い結晶が出来たりしてもまだ汗は出てきます。そこまで汗をかいて

やっと体のある部分にアクセスできる感じの回路が開通する感じがあったり、奥底にたまった毒素も

汗とともに蒸発するように感じたりします。

 

そうなると体と精神のかかわりが重要になり、ほんの少しのことが精神に及ぼす効果にびっくりしたり

改めて自然とか星とか花や木の存在に意識が行き、それらの生物や空間に自分も一部として存在している

事実に思い至ります。それが今咲いている花や季節の花々が出す香りだったり、武甲山の上に見える星

だったりします。それらがいつも自分とともにあり、宇宙の循環とともに成り立っているそれもほんの小さな

物がたまたま何かで重なりひとつの世界となり自分というものになっているとそれを実感するような時間と

なっているようです。それもその時間が珈琲とリンクしていて珈琲の香りとその季節の花も季節の星もみんな

リンクして宇宙の循環として成り立っていると確かに感じるのです。

 

今年はクチナシの香りとあちこちにある大きな花を付ける百合の花が今の時間を意識させます。

無言の植物たちもこれだけ雄弁に毎日語り掛けるのかと感じる夜のランニングです。朝の珈琲タイムは

それをまた思い出すときでもあります。おのずと今飲む珈琲の味もそれに沿ったものになります。

 

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タングラムと今後のパウダー享受の行方

2019年07月10日 18時10分26秒 | 日々のこと

八方尾根を思うとタングラムの事に触れないわけにはいきません。

今年はいつもの雪の緩む三月でなく、最盛期の二月に行ったので

行くのも大変でしたし、昨年はいかなかったのに今年はわざわざ最盛期に

いったのはその姿勢の変化です。

 

隣りの斑尾高原もマック―スから中華系の資本に売却されたという変化も

気になった事やそれによってかいつも付属するリフト券が共通リフト券が付くこと

になり、俄かに値下げしたのと同じ効果になり、でかけました。

 

そもそも、ホテルの食事などのサービスはずっと通っている身からすれば年々

悪くなっており、バイキングの品数も少なくなっていると感じていました。

さらにスキーコースまで縮小されたように感じたので昨年はいかなかったのですが、

今年はそれが一番上のリフトからキングへも降りられるし、そのレイクビューも

全て開通していることにコース上は改まりました。それを受けての最盛期に出かけると

いう行動になったのですが、雪がいい時にはこういう風になるのかという再発見もあり

それはそれなりに楽しめました。

 

ただ、やはり不満は草津のような本格温泉でないという事と食事が連泊するとさらにがっかり

度が増すということです。まあそれは違う食事をレストランを変えるなどそれなりの出費をすれば

さらにリゾート感を得るという事でいいのかもしれません。ただ、以前の食事の内容を知っている

為、せめてそのぐらいに戻ってくれたらという思いもします。

 

まあそれだけ今年のスキーは楽しめたのですが、そうすると何であれだけ人出のある斑尾をマックアースは

手放してしまったのか不思議に感じます。

 

八方尾根や志賀高原に感じるマンネリ感とそれでもビックゲレンデゆえの長期滞在で楽しむリゾート感とか

魅力は依然あるわけでただ気楽にいつ来ても空いていてその上サラサラのパウダースノーも満喫でき、

極上の温泉とうまい食事という完璧な布陣の草津は噴火によりもう望むべくもないとなると今度は

おいそれとはいけない未踏の地に計画してゲレンデスキーのような楽しみ方でなく、山に登り山を滑る

方向にしたのがいいのかとか計画の見直しも考えます。

 

それでもまた来年タングラムは行くでしょうし、今年行っていない上越へも行くかもしれません。

 

ゲレンデスキーとバカにしても自然を相手にする以上いつでもこちらの都合通りに良い雪質が

常にあるわけでもなく、風が吹けばリフトやロープウェイは止まり、高速道路も閉鎖されます。

あのお気楽に簡単に春の雪山を登ってスキーをして見せた300名山の田中陽希のように

行かないのはいろいろ経験しています。

 

しかし、温泉とスキーとパウダースノーをより楽しめる環境を自らより多くするにはと考えたら

もっと積極的に普段の生活からすべて変えて雪山に近づいた方がいいのではという気にもさせます。

ただそれがゲレンデスキーをより楽しむためならそんな意味もありませんが、降りたての誰も

いない雪原をどこまでも滑っていくようなそんなスキーならやる価値があるのではとおもったり

します。

 

この考えには今の生活の珈琲とランニングとバスケットの試合とスキーとどれかひとつかふたつは

諦めるという選択にしないとどうしても成り立たないようなそういう人生の選択を迫るようなことに

なりいつも今以上の事になるのかどうかと考えてしまうのです。しかし、年々起きる変化やここ十年で

果たしたこととか考えたらやはりさらに上の体験にするのか広く浅く長くするのかという選択も

そろそろ決めなくてはいけないと感じるこの頃なのでした。

 

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ずっと雨に変わり時間伸びる

2019年07月10日 09時36分30秒 | 珈琲

天気予報では月曜から三日間雨は降らず梅雨の晴れ間が

やってくるとなっていましたが、実は月曜からいつも雨でまったく

変わらず梅雨空なのでした。月曜も火曜も走りに行く時間に結構強く降っていて

これは濡れる覚悟で走りました。

 

通常雨に濡れた次の日はジムなどに振り替えるのですが、火曜にはジムに行くことも考えた

のですが、午後になり雨が一時止みこれで二日続けては避けられたと思ってもう走りに行くと

決めた時に急に降り出すというどうしても雨の中走らせたいかのような降り方に諦めて走り出す

という感じで、それが三日目の空を見るとこれも昨日とまるで同じでこれは夕方になればまた

降り出しそうな感じです。

 

ここでジム行を決定してしまえばいいのですが、相手はそう簡単ではありません。

 

というのもこの空模様で変わるのは私だけの予定だけでなく、当店に現れるお客様も雨が降らない

時を縫ってくるかのような様子なのです。というのも当店の駐車場から当店までの間が屋根のない

中歩かなければならず、そういうのも雨が降ると極端にお客様が少ないという現象につながって

いるものと思われます。

 

そうするとじっくりと焙煎の具合やらブレンドの具合などを調べる静かなひとりの時間に浸ると

あっという間に時間は過ぎ、このまま午後の事を考えるとお客さんの様子で一日は長くなったり

短くなったりと変に時間の変化があり、妙な疲れ方をして夕方には走りに行くという時間になり、

そこで待ってましたとばかりに雨は降り出すのがここ数日のパターンです。

 

そして、何日かしたらまた来るから何々を焼いておいてという緩やかな予約の方が増えちらちらと

人が来るというのもこの雨の降り方のような予定になり、気を抜けない感じです。

 

豆の焼き方もこの季節に合わせるのはどんな豆を好まれるのかという模索とともに困難を極め

それなのに訪れるお客様に応えるためもう最近は入ってこないような豆を使わざるを得ず、

ため込むよりは常に全力放出でいい豆、味のいい豆ほど出してしまうという停滞を嫌うスタイルに

徹することになります。

 

これは最近の眼鏡事件や人間の老いのシステムに感じたことに通じており、自ら年寄臭くする

必要がないという結論を最近得た事によります。

 

今出している豆は今しか飲めないというのは常に最善で最適を求めると自然と季節を感じ今を生きる

ということに通じてくるのだと感じるのでした。

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八方尾根のジレンマ

2019年07月09日 09時37分18秒 | 日々のこと

今年の三月四月にスキーに行けなかったのはものすごい残念な事でした。

昨年同様今年も三月に毎週のように法事とか葬式とかが重なり、スケジュール的に

厳しかったことが原因としてきましたが、それは昨年も全く同様だったのに

昨年はその間を縫い毎週のように出かけていたことを思うとこの差はなんだったのかと

思わずにはいられないのです。

 

そこで最近八方尾根のことを思い出すという展開になります。

 

スキーTVでも今年映像が流れ、昨年私が行った時にも一番上の山荘の所からさらに歩いて

登っていく人はいたのですが、帰ってからそのルートとかコースを調べてもたいして面白い

物ではなさそうだったと思ったそのコースを丸山貴雄がスキーで登って行って滑走した映像を

みたら矢鱈山岳的なコースで日本のゲレンデではないような迫力あるスキーシーンでびっくり

しました。

 

昨年裏黒菱なるコースを滑ったり今までにない面を発見をしたものの、四月の八方はもう外国人も

さり、年寄りがコブ斜面の練習に来ると言う所に変わり、入り口にダブルブラックダイヤモンドの表記が

あるものの別に大した困難も斜度もあるわけでなく、ごみが多く板が傷つくだけという感じしかしません

でした。

 

ところが丸山貴雄が滑ったシーンや300名山の田中陽希が滑ったシーンをみるとなんだかゲレンデスキーの

ばからしさをつくづく感じさせるのでした。

 

特に今の時期、ふとしたことで動画サイトを覗くとビデオのおすすめリストに並ぶのが殆どスキーシーンの

もので、特に志賀の何々コースを滑ってみたとかいう素人がヘルメットに付けたカメラで前走者を追跡した

だけの映像を見られます。

 

最初は今年は三月四月にスキーに行けなかったので、ただああいいなあという事で見ていましたが、

一つ気になることが出てきました。それは滑走者のスキー技術です。スキーTVのようなデモが滑るので

もない普通のおじさんが滑っているものは見ているうちに自分もこんな感じなのかという事をどうしても

思ってしまいます。

 

自分はこんなことをやるために毎年スキーに行くのだろうかと考えてしまうのです。

 

そして、滑っていたスキーヤーが今年で70とか80ですと紹介があり、そんなものが80万回とか再生されている

のをみると需要があるのかというまた不思議な世界に感じるのでした。

今年のスキーはいつも猛吹雪の中滑るような感じであっという間に終わり、田中陽希も年寄のユーチューバーも

実に良い天気の中山を堪能したという感じに見受けられ自分は何かつらい経験や困難な状況を味わいに出かけて

いたのかというのも感じたり、スキーは楽しいのかという事まで考え今後続けるのだろうかとかその存続まで

考える事態になったりします。

 

それはそもそも本白根が噴火して火山ロープウェイが廃止されその上のコースもあっさりと廃止となり、今まで

お気に入りのさらさらパウダーももう味わえないという事がひとつ原因になっています。

 

草津がだめでも八方尾根や志賀、斑尾、野沢温泉と雪質のいいところはあり、何もスキーがだめになったわけではない

のにこれは大きな問題です。というのは、今年の三月にも八方や志賀に行く計画をした時、その両方とも昨年も滑ったと

いう事が原因で行くのを躊躇したのです。

 

もはやパウダーの時期ではないし、ひたすらコブを滑りに高速道路を使いまた昨年と同じことをすることを良しと

思えなかったのです。

 

それがアルツ磐梯や猫魔のようにまだ行ったことがないというとまた話は別ですが、そうチャンスがこれからなくなる中で

同じことを繰り返すという気になれず、いつもならまだまだ続けるスキーに行かなかったというのは私には何か将来に

禍根を残す行動だったのです。

 

人生は短いのだから同じようなことをしていてはいけないという他人の人生訓はつい繰り返し私の中でうるさく鳴り響く

のでした。

 

何か新しいことに挑戦したり、新境地を開拓したりしなければいけないという気持ちにさせるのです。

そんな中ひとつの変化がありました。これは今年の四月に来た免許更新のはがきによりもたらされました。

私は大型免許もあるので、更新の時に深視力のテストもあります。これが年齢でクリアするのが憂鬱でした。

五年前には簡単に通過したものが次回は年齢で衰えて更新が難しいかもしれないと思ったのです。

 

ですから普通ならせっかちな性格からハガキが来たら直ぐに試験を受けに行くのに今回は先延ばしにして

ぎりぎりまで行かなかったのです。それ程加齢に敏感になったのも目が悪くなっていることや耳が聞こえにくくなっている

という自覚とそれにあがなおうとする気持ちからです。特に目は暗くなると見えづらくなったり小さい字が見えなくなり、

読書するのも苦労して読書時間も減っていました。それでも裸眼で新聞を読んだり本を読んだりしてなるべくメガネは

掛けずに老化に抵抗する気持ちでいました。

 

そうすると細かい字が何だか判時できず、文章の流れからあああの字かと推理して読むようになっていて本を読んで

直ぐ遠くをみたりするとぼやけてしばらくピントが合わないというようになりました。それでもこれで眼鏡をしたら

どんどん目が悪くなり目の筋力も使わないと衰えるとパソコンも本も眼鏡を使わずにいました。ところが、ふと眼鏡屋で

眼鏡をしたら今までより驚くほど本がくっきりと見えびっくりしたのです。テレビで宣伝している何とかルーペの値段の

十分の一の値段でそれより良く見えるのです。

 

それから読書はその眼鏡をするようになり、さらにびっくりしたのは今まで裸眼で本を読んでテレビなどの少し離れたものを見ると

ぼやけて見えてしまうという現象もなくなったのです。つまり、眼鏡で本を読み裸眼でテレビを見てもどちらもピントが合うのです。

前は本を読み続けると目が痛くなり、本を読み続けることも苦難でしたが、眼鏡はそれを解消するばかりか前と同様の速度で本も

読めるようになり眼鏡をはずして直ぐ同じにピントも合うので不便もありません。

 

裸眼で年寄りになりもう本も読めなくなっていると思ったら眼鏡をかけただけで普通に本を読んだり運転したりと全く問題ないと

なると免許更新も難なく更新でき前の時と同じように普通にパスしてまた五年後もできそうな気がしました。

一冊の本を読むのに一年もかかっていたのが二日で一冊に変わり昔と同じようにできると感じ今まで感じていたことは何だった

のだろうかと思うのでした。

 

つまり年を取ると少しづつ衰えていくというのは老化で誰も回避できないことであり、それはほんの少しづつ起こり、

自分がかつて思ったようにガクッと衰えたり年寄りだからできないという事が増えるのではなく、少しづつ終わりに向かうのだと

いうことです。これは大きな収穫でいまならまだ木に登って庭の木を切ったりできるし、昔と同様スキーもバスケットもできる

のでできるうちにやらなくてはいけないという事です。多くの同年代は既にスキーもバスケットも辞めており、すると

もう昔を思い出してまたやり出すという事もおそらくないのであり、これは能力の喪失に違いありません。

 

私の毎日10Kランももう年だからいいやとなったらもう二度と走ることはなくなってしまうのでしょう。

 

つまりスキーやバスケットやランニングを続ける以上終わりでないという事です。

 

今年感じた八方は昨年滑ったからという感覚はこれが草津の本白根だったらというのもあり、複雑な問題になりますが、

解決の方法は色々あるのです。眼鏡をかけることで解ったことです。

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朝の花火の音

2019年07月08日 09時52分19秒 | 珈琲

梅雨明けと同時に川瀬祭りが来るという今月の通例ですが、暑い中

笠鉾を引き回すのは大変です。

今朝は、花火の音で目が覚めました。

これは年に何回かあることですが、今朝のは13番のあめ薬師の縁日です。

目の神様とか目に効くとかいう事で昔から親しまれていますが、人気で

年々祭りは盛況という感じです。

 

それも西武秩父駅、お花畑駅という旧市内の主要な駅の近くにあり、夏祭りの始まり的な

浴衣を着ていく最初のお祭りとしても夏休みの予感としても人気となったので

しょう。

 

そして、私はその花火の鳴る最中やはり夢の中にあり、なぜか新宿駅でレッドアローの特急券を

買っているのですが、なかなか目指す画面にならず操作をしていると後ろに並ぶ後ろの後ろにいた

おじさんが大声で騒ぎだして喧嘩になるというリアルなものでした。

 

自動販売機の効率の悪さは今でもそのままで、なんと人間の応対のすばらしさは機械との差で

歴然です。人のいる窓口でなら新宿でも池袋発の時間を言っただけで池袋発のことを言って

いるのだと直ぐ判断してくれます。機械だといちいちひとつづつ入力してそれごとに画面が

変わり、時間がかかるのです。結構この融通の利かなさにいらいらとした経験のある方も

多いはずです。最近はスマホの変換候補が出るように機械側も予測機能を付けていますが、

なんにでも対応しようと細かい設定が多すぎて却って時間と手間がかかるというジレンマに

陥っている例を未だに見ます。

 

私は経験上この券売機の導入にかかわったことが何回かあり、仕事のメソッドとか人間が

対応した場合成される手順とか予測とかがプログラミングされたものに出会ったことはなく、

唯一手ごとにひとつのプロセスを組み入れる感性しかないエンジニアにはそれを実際に使った

シーンまで想像できないのです。

 

導入するのは経営側でコストカットを目論んでの導入なのですが、現場では余計に混乱と

仕事が増えることになり、軋轢が両者に積み残ります。

 

利用者は不便になり、一層ネット利用のチケットレスサービスに流れるように促されます。

 

たまにしか利用しない人やスマホ利用をしない人は世に忘れ去られ、変なのに絡まれたり

するのです。

 

なんで夢の中でまでそんな体験を追体験するようなものを見ているのか訝りながら朝の

花火にそうかあめ薬師かと思うとふと思ったのは慈眼寺は私の家の墓があるところでもあり、

曹洞宗のそのご本尊は薬師如来ではありません。つまり境内の中に薬師堂があり、そこの

お祭りなはずで本堂には釈迦如来がいてそちらはまた花まつりとかいろいろやっているよう

ですが、露天商が通り一杯に出てにぎやかなのはこのあめ薬師であり、私が子供の頃より

今の方が盛大になった感じすらします。とはいえそれはもっぱら人出とか出店の賑わいで

のことで参拝している人の数やお寺の収入は解りません。

 

なにかと信仰とかご利益とかいうものと別にお祭りとして楽しむように世間が流れ、世の中の

流れも本来の意味とかより盛り上がれば何でもいいような雰囲気が醸成されてしまったかのような

危うい世の中になっていませんかと思いつつ、続いた雨が上がったため来店者や注文があり

そんなお祭りを覗きに行くこともなく忙しさにまみれてしまいましたが、ふと思い出すのは

今の時期、昔は至る所にあったうどんを玉で打って売る店が13番の近くにもあったなあという

記憶でした。

 

最近では近所になくなった桑の畑と同じで、先日その桑の匂いを嗅ぎ何かいろいろとぱっと

昔の記憶がそれにより溢れたことがありました。

 

逆に農家の手伝いに行き、お昼にうどんやらおにぎりやらを食べたこともあったけれど

別に懐かしいともまた行こうとも思わないのはのはなぜなんだろうとか子供の頃に遊んだ

田んぼの周りでの出来事とか昔は人糞を撒いてそれが軍事物資の生産には欠かせないもの

だったことなど思い出されなぜ人はしれっと人糞を撒くのをやめて、有機栽培などと

言って牛や馬や鳥の糞は撒くのかとか次々に思っては消えするのでした。

 

風情がなくなっていくとは言え、お祭りに浴衣を着て出歩く人が増えたのはどんな経緯なのか

今必要な事とか秩父の文化とか実に気になるのでした。それは長年通ったレストランが突如

閉店してしまったり、地元の人が通った店が最近なくなる例が多く、余計そんなことを考え

のでしょうか。

 

レトロとか情緒でなくて本当に美味しい店がなくなって観光的な店ばかりになっていくような

危機感とやはり味で残していかなくてはいけないものがあるのではという思いを強くするこの頃

です。

 

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雨の朝に夏深まる

2019年07月04日 09時50分11秒 | 珈琲

昨日ふと目が留まったネットのつぶやきが気になり、覗いたサイトでまた

アッと思うような失敗を見るような哀れな気持ちにさせられたのでした。

 

まあ数多あるコーヒー屋さんのページなんてどこも似たようなことを書いているものですが、

書きようでその実力も透けてみえようということもあり、実のところどのあたりという

その実力を垣間見ることもあるのですが、逆に見事にその誤りを露呈しているのも見ることが

あります。

 

例えばアイスコーヒーです。私は随分この問題は長年悩んできたので、その味もどんな豆を

提供するかも深く考え現在の味になったと思います。

 

まず、自分もアイスコーヒーが好きで特に暑い時に飲む安らぎのコーヒーはそばに文藝春秋と

分厚い木のカウンター、冷たいたっぷりのアイスコーヒーに白いミルクを流しいれ、混ざって

カーキ色になった時にはガムシロを入れ冷たい甘苦い液体にして飲むという儀式のような形式があり

それは場所と時間と全ての必然の時であり、夏の当然の過ごし方だったのです。つまり日常に

アイスコーヒーを飲むという事はなく、夏の過ごし方としてアイスコーヒーと夏の喫茶店は

セットであり、過去の思い出と時間の積み重なりとセットです。

 

別にそれはゆるぎない味が介在するでもなく、飲みたい味があるでもなかったのです。

 

ところが、珈琲を知り味を知るようになり、いざまた喫茶店でアイスコーヒーを飲むと

それは唯苦い冷たい黒い水であり、ひどいことにどこでも胸焼けがするし、飲むと下痢をする

というものでした。

 

まず珈琲の味がしない。これはひたすら黒く苦いだけ。喫茶店でどうやってそれを提供している

のかを知ると益々謎が深まっていきました。まず、ほとんどの店でアイスコーヒーという出来合いの

パックの物を使っているという事実。それは大手の名のついたパックでホームセンターなどでも

売られています。さらに大手清涼飲料水メーカーの提供する豆から作るものもあり、それは

飲めないものという事もないけれど、別に珈琲の味がするわけでも飲めるというだけのもので

それでも結構高い値段で流通していたので喫茶店や専門店ではどうしているか探ると昔ながらの

大きなフラスコで水出ししている店やいつもの店で出しているものを冷やしてだしているという

店とあり、アイス用の焙煎をしているのは少なく、そもそも珈琲通はアイスを飲まないとか

珈琲専門店だとアイスがないとか否定的な展開もあり、何が需要として求められているのかという

疑問が残りました。

 

つまり、なぜ普通にでてくるアイスコーヒーは苦くて黒いのかという疑問と普通の豆をアイスにしては

いけないのかと言う所がまず問題になりました。という事で炭のように真っ黒な豆を焼いて

まずは真っ黒いアイスコーヒーを作ってみることにしました。するとあの喫茶店のような真っ黒い

アイスコーヒーは作れないという結論に達します。ここでひとつ世には炭焼きコーヒーというのが

あり、それは何なのかという疑問と世の欲求と現実とコーヒー屋さんの思惑の齟齬を知ることに

なります。

 

これはまた後で説明しますが、熱帯化していく日本で確かに冷たい珈琲の需要があるのは確かで、

ただ、黒くて苦いだけのコーヒーが作れないのであれば、自家焙煎店として私が作るとこうなるよ

というものをだすことになり、まず普通の豆を冷やしてそれが標準の味とします。さらに、それから

感じるものを何をもっと伸ばしたり残したらいいのかということで作る事にして、ただ苦いのは

やめて、黒いのも追わないことにしました。

 

まず、冷えたら余計味がシャープになるということから後味と飲んでるものが珈琲と解る香りと

味が強くならないといけないという結論になりました。

 

そして残るのは淹れ方です。コンビニでもアイスとホットでも共通でただ氷の上に落とすだけと

いう形でアイスコーヒーを提供しだしました。つまりアイス専用の液をやめたというのは大きな

変化でこれはこれでコーヒー界に衝撃を与えました。

 

そこまでお客を突き放してしまっていいのかという事もあり、私はアイス用の豆とブレンドを

それぞれ作り、夏を楽しんでもらいたいと冷たい珈琲にも理解を示したつもりです。

 

その時に水出しという手法もどのような味になるかという結論とその味の格差にお手軽に

家庭で本格的な味ができるという手法という事で大いにアピールできるものとして売って

いるけれどそうした時にアイスの説明が当然どういうものかという説明が出てきていい

のですが、昨日見たサイトのものは目を覆いたくなるものだったのです。

 

元々コーヒー屋になる人というのは文化としてなりたい人というのがいて生活感がもともと

違う上にそもそも味を気にしていない人も多く、生活の必然がない方とか脳内の人とか

勘違いの人も結構いるものです。

 

それぞれお店に客が通う要素があり、それで成り立つならそれはそれでいいという気も

しますが、私の疑問はどこのスーパーにも沢山のコーヒーコーナーがあり、豆として

コーヒーを買う人がこんなにいるのだろうかということですが、見ていると主婦の方が

1Kくらいの袋をポイっと買い物かごに入れていくのを見ると普通にコーヒーを飲む人は

沢山いるんだという事です。

 

そういう人が私と同様ある日インスタントコーヒーを飲めなくなったり、MJBが飲めなくなったり

するのかは解りませんが、現実としては町の喫茶店が自分のうちで焙煎したり、ネルで落としたり

するのをやめ、ネスプレッソなどのインスタントカプセルコーヒーになって行ってるのをみると

もっと味で対抗したり、安くて美味しい珈琲で売っていく戦略もあっていいのではと感じるので

した。

 

それにはインスタントやネスプレッソの人が本当はこういう味なんだという事に気が付いてくれる

機会を多くしていくしかないのかという感じです。

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中東緊張と日本のタンカー攻撃にOPEC減産

2019年07月03日 10時01分23秒 | 珈琲

昨日コンビニ発券事件はこの十年二十年で見た発展ということでいうと

丸で進歩していない出来事であり、なんでこんな苦労させられてるんだろうという

思いを強くしました。その反面もう一つのイベントの応対では電話で券を予約すると

券は当日渡すから開演前30分には来て券を受け取れというのです。これは今から

もう当日のごたごたが予想され無事券を受け取れないかもしれないという暗澹たる気持ちに

支配されます。

 

私も色々とイベントにかかわってきた経験から、券を売りさばく苦労からその手間も知っています。

ですから、前売り窓口を設けて手数料と前売り割引をして売りさばくのです。イベント成功はこの

券の確実な前売りで経費や資金の確保です。持続可能な公演活動には確実な黒字体質でイベント関係者

からの信頼を得る必要があるので、とにかくイベントを打てば券はあらかた売り切れるという人気の補償は

重要なのです。

 

しかし、文化活動とか政治的活動とか公的な機関がかかわるとかとかくあまり正否を問われないイベントと

なるととにかくワイワイ集まることに主眼が置かれていて券の売れ行きや採算があまり注目されていないと

なると話は違ってきます。ただ、社会的混乱というのはあり、やはりちゃんと券は前売り段階で売れて

そのやり取りでトラブルなど起きてほしくないものです。

 

そんな事を思っているのは私だけなのか、何か今回の券の件では今までと違う事ばかりなのでした。

それも未来的で新志向ならまだへえと思えるのですが、なんかバカなだけで見に行く私たちが一番割を

食らっているそんな印象なのです。

 

最近は新幹線や飛行機の券の取り方や乗り方が変わり昔のように空港のカウンターに行列ができなくなりました。

こんなのも変化としてはあるのにドラマなどに出てくる空港のシーンは結構昔のままなのもおかしいと感じることです。

 

何でもネットで予約出来てその画面を見せれば乗車OKという私鉄の特急は多く、チケットレスはすすんでいます。

 

だからイベントもそうなのだと思ったら大きな間違いです。多くの人がかかわり手作りイベントなどというとろくでもない

対応のところが多く、利用者ファーストなんて望むべくもないのです。

 

今回のイラン危機からG20を経て朝鮮の軍事境界線でキム委員長と会見などという目まぐるしいほどの世界の

動きからしたら日本のお年寄り国家でどんどん世界からおいてかれるのではないかと思うほどです。

中東の動きは今までにない動きで減産を早々に決め米の思惑を見事にかわし危機を煽り原油高という

方向は実現しませんでした。日本はイランへ首相が行くも日本のタンカーが攻撃されるなどなんの

影響力も示せずイランの硬強姿勢もくずせず何のために行ったのかトランプの友人とか米のお先棒が担ぎが

みっともないだけで独自性や平和外交の成果もなく終わったのでした。

 

トランプの動きも実績はないものの三度目のキム委員長との会談をあっという間にやってのけた事や

それが日本にいるときには何の気配もなく日本の議長国としての成果とも世間が騒ぐ間もなくすべてが

トランプの行動に釘付けとなるという見事な出来事でした。

 

しかし、北朝鮮もイランも結局米の目指すところに決着や進展はなく、何も解決してないことでは

日本の的外れ的外交でも差はないのです。

 

今回の券の時代遅れ的対応と全く同じことが現出しており、まずはそういうことなのではないかと

思わせたのでした。

パソコンやネットといった先進技術があっても利用する人が進歩しなければ古いままです。

珈琲業界もスペシャルティの豆とその魅力と進化しているのに、ユーザーは昔のように酸っぱい豆は

いやだというのです。

 

当店の豆はどれも酸っぱくないですよと試飲していただいてもそのこびりついた概念はなかなか

崩せないようでした。

それでも他店や大手チェーン店とは豆が違うという理解が段々広がり、味の違いも理解されて

来たようです。

 

それも季節ごとの飲みたい味というのも理解され楽しみにされて来店される方も増えている

のもうれしい変化です。

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チケット争奪戦

2019年07月02日 13時11分06秒 | ライブ・コンサート・展覧会

オリンピックの券で混雑と抽選というとてつもない障害があるにもかかわらず

皆さん文句もたれず従い購入した話をニュースでは見ましたが、私の周りに

申込をした人はいませんでした。

今年の夏のイベントで私はいくつかのチケットを手配しましたが、これがそれぞれの対応が

そんなので大丈夫なのかというもので肝心のイベントへの関心までなくなってしまうようなその

対応にもっと社会インフラとしてチケットの発券システムをもっと大きな機関が管理監督して

安くて確実なシステムを提供しなくてはならないのではと思いました。

忌野清志郎のコンサートにはよくぴあやソーゴーのサイトを使って発券はコンビニなどというのが

多かったと思います。

ネットのオークションなども使ったことがありますが、より多くの人が適正な価格で席を確保するには

厳正で公正な機関を民間とは違うものとして介在させてオークションなどで高値で取引できないような

システムを構築すべきなのではと思うのです。

それに今年使ったリフトの前売り券なども安いけれど使い勝手はよくなく、まだまだこのネットで券を売ると

いうシステムも問題が多いと思います。

今回私は遠隔の地なのでネット決済はカードでして券はコンビニ発券というのを初めて使いましたが、

手数料が券そのものが2000円なのに対してシステム利用料とか発券手数料とかがかかり割高なイメージに

悩まされ、さらにコンビニに行ってチケットの欄を見てもその公演はなく、その端末の使い方にもその

券を発行するやり方はないのでした。途方に暮れてネットで質問すると13桁の数字をレジで直接提示して発券

するというチケット端末を介しないものだったのでした。

そして、チケット端末から公演を探すときにあまりの多さに目的の物を探すのさえ苦労してしまう現状にもっと

簡単で発券するシステムがあるのではないかと思ってしまいます。私のコンサート経験でもチケットレス会場があり

携帯をかざすだけと言う所もありましたが、それがあるゲートが限られていたり、端末にピッとやるとレシートがでて

来て結局二回ゲートチェックを受けたりとちっとも便利でない印象もあります。

海外ではチケットレスが進んでいてクレジットカードをかざすだけだったり、体に埋めたチップで入場できたり、

とにかくこれで大丈夫なのかと心配になるくらいチケットレスになってたりしますが、日本は不効率で電話予約して

さらに券は前売りしないで会場にて引き渡しなんて非効率なイベントもありました。まあでもチケットを確保してワクワク

と待つというのもいいものです。今年の夏はそんなイベントがいくつかありよい夏になりそうです。

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ダンテ神曲的雨の中に積み重なるもの

2019年07月02日 09時10分26秒 | 珈琲

最近夢物語や明け方の啓示のような話が多いのですが、これは最近の

厳しい環境変化による雨の多さや寒暖の激しさにより睡眠環境が著しく

影響を受けていることに起因しています。

 

この夢物語にすぐ思い出されるのがダンテの神曲です。

 

詩人として神の指示により地獄めぐりをすることになるというこのお話は

文学的構成とか書かれた言語とか登場人物などから政治ゴシップ的宗教寓話で

日本のように八百万の神が住みおてんとうさまが照ってればそれでOKの国から

すればこれは受け入れられない話です。

 

しかし、自由主義、資本主義の有力国のほとんどがキリスト教系でギリシャ・ローマ

文明からその思想文化が発していることを考えるとこの地獄めぐりもただのゴシップや昔

話と割り切って読めないのです。

 

現実につい数十年前にイギリスなどでは同性愛は法律違反で取り締まりされていて

有罪となるとホルモン剤の投与などの強制更生も実施されていました。宗教と法律は

非常に近い間柄にあり、教会は文化や芸術にも深くかかわっていました。ところが

日本は政治と宗教は別物であり、宗教と科学とは無縁のものという普段は触れないもの

という観念が育ってしまいました。

 

人がどう生きるかという根本のところに日本人は神との契約というものを持たないため

国際社会でもとかく浮いた存在になるのは理解されないアイデンティティで独特の宗教観

からきています。まず、日本人が神曲を読んでとてつもない違和感を抱くのはキリスト教と

いいつつ、ギリシャ神話や哲学が色濃く反映されていて諸々の民族の古い文化や習俗が

織り交ざりそこで生き残った思想としては異教徒は罪人でありトロイの木馬のような知恵

で人をだまし討ちにするのも罪という所や聖職者でありながら金を集めたとか現在でも

つづく教会の集金力や美のために贅を尽くすことなどお前らみんな地獄行だということが

続いているわけです。

 

今では同性婚ですら合法の国も現れるなどキリスト教や聖書とはかけ離れた世界に

なっているわけですが、このダンテ神曲を思うと直ぐに漱石の抗夫も思い出されます。

 

そして夢の世界とはこの抗夫の坑道を巡るようなイメージで『騎士団長殺し』の中で

でてくる古い井戸から異界に通ずる話にも似ています。さらに、アラジンの魔法のランプや

Xファイルの古い絨毯の精の話にも似たことになっていきます。

 

昔からこの魔人が現れて三つの願い事をかなえるという話にいつの間にかできたルールと

いうのがあり、そもそも三つにしたことで物語になり、慌ててとんでもない願い事を

してしまい、その後始末と結局元の生活に戻すために願い事が使われるというおちになって

いくのです。

 

そんな今まで的なストーリーにXファイル的な三つの願いは一番現代的で科学的アプローチだと

思いました。まず簡単に世界平和という願いが出されるのですが、何をどう具体的にしたらいいか

言ってもらわないと実現できないと言われて食糧問題とエネルギー問題に行きつき科学的には

公式ができておりそれを解放していき、現実にしていくには政治的解決となり、それはまたこまかい

願いにつながり実現できないという事になっていきます。それでモルダーが選ぶのが魔人の開放という

やり方でした。これは確かにとんでもない事件の解決としては最高の策だと感心し物語的にも有効と

思ったものの、直後私は私でもっと実現可能で有効な願い事を思いついたのです。

 

そして、さらに最近思うのはそういう願いそのものの解決です。

 

人はすぐお金をたくさんとか豪邸とかヨットとか即物的に願いを上げますが、現実には

もっと切実な願いを抱えている人がたくさんいることやそれをなるべく多く解決するには

と考えるといっそなかったことにするという事も考える人もいるのではという事です。

 

結局どんな力とお金があっても世にあふれる問題は解決不可能であり、きりがないと考えて行くと

普通はそこでそんなこと考えても仕方ないと魔人などいないし宝くじも当たらないんだからと

仕事に戻るのですが、夢の世界では違います。この夢の世界にとどまる限りどんなことも実現可能で

世界平和もどんな病人でもどんな不幸でも幸福に変えられます。それが最近の成果でしょう。

 

でも夢は醒めてしまうとなった時に自分はもうすでにその力があると知るのです。つまり、自分が

考えること、創造の世界では完璧な世の中です。それは実現できないだろうといわれればいや

そうでもないという事が夢から覚めた今解ります。実現できないかもしれないけれど書き表すこと

は可能であり、書いてある世界は自分の思い通りの世界です。つまり願いが叶った世界なのです。

 

というわけで珈琲のイメージもこういう中で出来上がり、この過酷な気象と現実に寄り添う今の

季節にあった味がつくられます。今月は青夏です。お楽しみください。

 

 

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今月の季節のブレンドは『青夏』です。

2019年07月01日 09時03分13秒 | 珈琲

また後で詳しく書くかもしれませんが、今朝の夢の中に出てきたのは

白塗りで鰓の張った悪魔キャラの人になぜNHKで素人のあなたが相撲の

解説をしているのかと文句を垂れるとあの解説は好評でやった日には

夜の営業で金貨が投げ入れられるといっていました。

そんな言い訳になるほどという相槌を打っているのでした。

 

さて、いくつかこの話に関連するつづきがあるのですがそれらはすべて省いて今月の季節の

ブレンドを発表せねばなりません。

 

早夏から今月は青夏なのですが、このイメージはまた明け方夢の中でもたらされた

のです。

 

一年でもピークの時期。人生でもそのピークを謳歌しているという感じの人も

一生懸命何かに取り組んで夢中の中、ふと気づくと一日が終わり夕方になり、さらに

夕暮れのひと時に訪れる青墨を流したような空のような一日が暮れるイメージに

どんなピークの季節にもこんな終わりの時間があるというそんな気持に寄り添う味を

イメージして作りました。

 

暑くて厳しいこれからの季節にほんのひと時の安らぎと安堵感を醸す優しい味です。

 

暑いからといって朝から冷たいものを飲むのはお勧めできません。珈琲好きは常に朝のスタートはホットで

飲む珈琲です。

 

このブレンドで季節を感じてみてください。読み方はあおかです。

 

 

 

 

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