吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

緊急事態宣言2回目

2021年01月13日 06時00分16秒 | 日記
 さて2回目の緊急事態宣言がでた。繁華街では人出の減少はあまりない。2~3割減くらいだろうか。あいかわらず若者の「たいしたことない、風邪程度のものだから」という該当コメントも多い。自民党の森山国対委員長にいたっては「会食は4人までならOK」とか言い出しているし、「桜を観る会」を徹底追及している野党ですらその会食人数制限に追随しようとしていた。幸い日医会長が「とんでもない勘違い」とコメントを出してようやく収まった。
 しかも、すでに夏ごろには「このままいくと指数関数的に増えて年末には1日感染者が1000人を超える」って統計学者が言っていたにもかかわらず、専門家委員会も「想定外の増加」などと無責任なことを言っている。
 なるべくしてなったこの惨事。政治家が範を示さないので繁華街で遊んでいる国民も従うわけはない。当地域の商店街も、この1月の連休中は少なくはなったが、でもhigh-riskな高齢者がかなりたくさん出ていた。怖くないのかな? 若者と訳が違うんだし。

放射線被ばく その2

2021年01月12日 06時02分09秒 | 日記
 ICRPの勧告では被ばく限度を年間20mSV/年としている。これは単純計算で胸部X線検査400回分である。区の健診で胸部X線をたった1枚とるメリットとデメリットを秤にかけて判断してほしい。検査を受けて何か病気が早期に見つかったというメリットと、「胸部X線検査は被ばくするからやらない」ということで病気が見逃された場合のデメリットとどちらがいいのであろうか?
 誤解されているなら悲しいことではあるが、あまりに固辞される方には面倒くさいのでこちらもそこまでX線をお勧めしない。きちんと説明はしているのであるが、最初から受ける気のない人に無理に勧めると「無理強いしている」とか「検査ばかりする」とか嫌がられるのである。
 でも、そういう場合に限って何か病気が発見されると「なんでおたくにずっと通院しているのに見つけられなかったんですか? 検査の必要性をきちんと本人に話したんですか?」って普段来院したことのない家族に言われるんだよなぁ~(嘆)
 「は? だって自己責任でしょう」と言いたのであるが、そうも言えないし・・・。(嘆)

放射線被ばく その1

2021年01月09日 06時20分03秒 | 日記
 放射線被ばくの件でX線検査を拒否される方は、東日本大震災のあとは結構多かったが最近では少なくなってきていた。しかしここのところ健診でまた2~3人「あ 被ばくするからいらないです」って言う患者さんがいたので被ばく量の再度おさらい。
 胸部X線検査1回:0.05mSV/回である。これは東京NY間の飛行機に1回乗った場合の自然被ばく量に相当する。つまり東京とニューヨークを往復すれば胸部レントゲン撮影2回受けたことと同じである。日本人1年間における自然被ばく量(大地、宇宙、食品などから自然に被ばくする線量のこと)は2.1mSv/年であり、これは胸部X線検査42回分である。つまり何もしなくても胸部X線検査を年間42回受けていることになる。
 医療放射線を受けなくてもすでに毎年胸部レントゲン換算で42回受けているという事実を知ったうえで、肺がんを見逃すリスクのほうを重要視するのはいかがなものであろうか。

教室で男児が心肺停止 先生とクラスメートの15分間 その6

2021年01月08日 05時53分42秒 | 日記
 ちなみに大昔、大学の救命センター勤務時代に消防から感謝状をもらう羽目になった。上司から「今度はお前の番だ」って言われた。ああ消防からの感謝状って持ち回りでもらうもんなんだなと思ったとたん力が抜けた。すぐに「僕いりません、消防から感謝状もらうようなこと何もしてないのでもらう理由がありません。辞退します」と言った。しかし「頼む、うちの救命センターの顔をつぶさないでくれ」と言われたので頂くことにしたが、でも面白くないので帰る途中で捨ててきた。それを飾る額縁までもらったが、それは捨てる場所がなかったので持って帰った。「吐きそうになるくらい」とても気分が爽やかだった。
 そして後日、大学の広報から毎回お馴染みの「お手盛り取材」がきた。「消防からの感謝状もらって一言お願いします」って言われたので、「とても光栄です。吐きそうになるぐらい」と言ったら、学内報には後半の文言は削除されていた。

教室で男児が心肺停止 先生とクラスメートの15分間 その5

2021年01月07日 05時43分02秒 | 日記
 それにつけても、噂で時々聞くのは行政がだす感謝状の類はなんだか胡散臭い。ときに地元の諸団体に「今年の感謝状の推薦者はいませんか?」と聞いてくるようである。地元の人たちがお手盛りで互助会的に「今年は○○さん」とか推薦すれば、なんだか持ち回り的に皆が感謝状をもらえるようなそんなシステムもあるようなのである。
 何だか行政が上から目線で「感謝状あげるよ」といった感覚や、あるいは行政組織の中で「今年度の贈呈数ノルマ」でもあるんじゃないかと思ってしまう。つまり感謝状という名前の陳腐なご褒美が持ち回りで出されたりするとも思えるのだ。こんな裏があるのかもしれないと思うとがっかりする。自分のなしてきたことが正当に評価されて出されるものではないようである。

教室で男児が心肺停止 先生とクラスメートの15分間 その4

2021年01月06日 06時29分09秒 | 日記
 感謝状をおくることでこれらのことを特別扱いしてほしくない。こんなもの贈るからいつまでも当たり前のことが当たり前の世の中にならないのである。
 昔、どこかのネットでそう書いたら「素人」の人から「呆れる意見だ。我々は倒れている人がいたらどうしようか、常に勇気を必要とするのである。それが『普通の感覚で行う当たり前のことだ』とは現場を知らなさすぎる」と怒られた。結構である。「ど素人」の方には感謝状でもなんでも差し上げる。どうぞ勇気をもって参加して下さいと言いたい。
 ただし心肺蘇生は講習をうけて学ばないとできない。まずはこれを受けて体得して、現場では周囲の通行人と連携で行えるようになってほしい。この一連の流れの中には医学的知識は必要としない。フローチャート通りの動きをすることになる。つまりこれら判断や動作には勇気はいらないし素人でも医療従事者でも同じなのである。まずはこの流れを体得していただきたい。そうしないといつまでも心肺蘇生が普通のことにはならない。いまだに一般人が行う心肺蘇生というものが「勇気がないとできない」という感覚のままだと普及は難しいのである。

教室で男児が心肺停止 先生とクラスメートの15分間 その3

2021年01月05日 06時23分22秒 | 日記
 まあ、そうは言われたもの世の中徐々に変わってきて、ようやくボチボチ教員が心肺蘇生などの救護をするような世の中になってきたのである。しかしこの期に及んで市が感謝状を出す・・・というのは違和感がある。救護義務のある者が義務を遂行して感謝状・・・やっぱり変である。一昔前は、通行人の看護師が救命に参加して救命しえて感謝状が消防から出されることがあった。違うだろうと当時同僚に話したら、同僚は「くれるんならもらっといていいんじゃないの?」とはいったが、我々医療従事者は「救護義務」があるのである。それを頂くということは出す方も出される方も心肺蘇生に参加することが「特別なこと」だという色眼鏡の見方になっているのである。まず義務であるのでもらうほうは辞退すべきであり、出す方も特別視しないほうがよい。そうしないと救助に参加することがいつまでも「当たり前」の世の中にならないのである。さすがに最近では看護師には感謝状は出してないですよね?