
二日間、続けてこの映画祭に通い、四本の作品(うち一本は2時間45分)、三つのトークショウや討論に参加し、さすがに疲れました。
私は、映画の感想などよく書きますが、あまり、これは観るべきだというような書き方は致しません。書物についても同様です。
ある特殊な分野で、限定された知識を得ようとするならばとにかく、必読とか、必見なんてものはないと思っているからです。
人はどこからでも思考を始めることが出来ます。
熊谷博子監督の「三池---終わらない炭鉱(やま)の物語」は、日本の石炭総生産量のうち、四分の一を産出していたという三井三池炭鉱が1997年に閉山するまでの物語です。

熊谷博子監督です。フラッシュを炊けなかったのでやや暗い。
ドキュメンタリーですが、極めて物語性の高い映画で、まるで大河小説を読むような感じがします。
物語は大きくいって三つに別れます。
ひとつは戦前の囚人労働、強制連行労働、捕虜(白人も当然含む)の頃の話です。私どもが知らなかった興味ある事実が続々と出てきます。

第二は、1960年頃の、千何百人かの指名解雇に端を発する労働争議の模様です。「総労働対総資本の戦い」といわれたこの争議は、まさに日本の労働史上最大のものでした。
長引く闘争、当時の金額にして220億(現在に換算して約3,000億)をつぎ込んだ会社の争議切り崩し工作、そして誕生する第二組合、労働者同士の激しい肉弾戦。加えて、日本中の半分を集めたという機動隊、右翼の戦闘集団、暴力団などによる日常茶飯事の激突。その中で暴力団に刺されて死亡する労働者。
映画は、それらの事態を、当時の実写と、関連した人達との証言で綴って行きます。そこには、第一労組、第二労組、会社側の人の証言も生々しく記録されています。

第三は、その争議の三年後の、炭鉱史上最大の犠牲を出した三川坑炭じん爆発事故で、死者458人を数えるに至りました。一説には、先の争議の結果としての徹底した合理化による保安対策の弱体化によるとするものもあります。
この事故のもうひとつの問題は、一酸化炭素中毒患者839人を生み出したということです。彼らの症状はまちまちですが、完全な脳死状態のもの、記憶喪失、幼児化、ときおり訪れる激しい発作などなど、40年以上経過した今もなお、それに苦しむ多くの人たちがいます。

大牟田市は、今や炭鉱の街から脱皮する道を模索しています。炭鉱節をアレンジした若い人達の「さのよい」踊りが、鉱山の遺物の間にこだまします。
以上は映画の骨組みに過ぎません。内容はそこに映像化された事象そのものであり、それを語り継ぐ人々に刻み込まれた歴史そのものの記憶であり、流れ来たったものの排除しがたい重みです。
あいち国際女性映画祭のエントリーだけあって、出てくる女性たちが皆元気です。深刻な話も、彼女たちの語り口を通じると、それを敢然と受け止めた者の力強さのようなものがひしひしと伝わります。
さて、この映画ですが、その背景には、戦前戦後の日本の繁栄を支えた石炭産業が、石油エネルギーに取って代わられようとする、いわゆるエネルギー革命
の歴史があります。
今日、その石油エネルギー自身が、地球温暖化などの元凶として問題視されているのは歴史の皮肉というほありません。
冒頭に、「これを観よ!」などとおこがましいことは言わないと書きました。
しかし、私たちのこの時代が、どんなものを経由して現代に至ったのか、それを確認する試みに興味のある方、とりわけ若い方には観ておいて損はない映画だと思います。
映像の持つ表現力に改めて感服いたしました。
*東京での再上演の他、順次各地で上演の予定。
名古屋地区は10月下旬、シネマスコーレにて。