ミッシェル・フーコーの「ヘテロトピア」という哲学的エセー(これは「ユートピア的身体」というエセーと対になっている)を読んでいたら、お墓の話が出てきて面白いことが書いてあった。
これを読んでいて、なるほどと膝を叩いて納得したのは、映画『アマディウス』の後半で、モーツァルトの死体が袋に詰められたまま、掘られた穴に無造作に投げ込まれるシーンを思い出したからである。
ちなみに、モーツァルトの墓はない。
ウィーン中央墓地には、音楽家たちの墓が連なる一隅があり、中央にモーツァルトの石像があり、その左にはベートーヴェン、そして右にはシューベルトの墓がある。しかし、中央のモーツァルトの石像は、自分の死後、その墓はモーツァルトの傍らにしてほしいという後代の作曲家の希望に基づき、建立された記念碑に過ぎない。
だからその像も、音楽の女神、ミューズのそれで、支柱の中ほどにモーツァルトの横顔のレリーフが施されている。
ちなみに私は、1991年、モーツァルト没後200年の晩夏にこの地を訪れたが、その折には、この静謐な一角にビッグネームの作曲家たちの墓が集中し、それらの墓石の周りを、リスたちが戯れながら駆け回っているのを見て、そのスケールと環境とに感動した覚えがある。
余談だが、その後訪れたザルツブルグで迷い込んでしまった日本でいうならば団地のような集合住宅でも、ゆったりと取られた樹間の緑地の中で、リスたちが戯れていた。
さて、モーツァルトの話に戻ると、なぜそんなことが起こったのかという謎をフーコーの「ヘテロトピア」論は解き明かしている。
それを述べる前に、「ヘテロトピア」とは何かということだが、一般的には「異空間」などと訳されるこの言葉を、フーコーは「ユートピア」と対比させながら概略、次のように規定している。
人の社会は「反場所」ともいうべき場所を持つが、それはユートピアが「非在郷」であるのに対し、ヘテロトピアは「異在郷」だというのである。
ユートピアが日本語で「桃源郷」などといわれ、「ありえない=非」場所であるのに対し、ヘテロトピアは文字通り「異なる」空間だというわけである。
で、どう異なるかというと、その場所は、現実から忌避されて遠ざけられているか、あるいは聖なる空間として自らを現実とは切断しているかなどであるが、それを具体的にどこと指し示すことが出来ないのは、どこをヘテロトピアとするのかによってその社会を分類できるほどそれは歴史的かつ地域的なものだからだという。
とはいえ、フーコーはその時代に即していくつかの例を出している。
例えば、19世紀までの売春宿、徴兵制における軍隊、精神病院、監獄、などなどがそれだが、その一例として出てくるのが墓地なのである。
その墓地は、「今は絶対的に他なる場所であるがかつて西洋では荘厳な印象を与える場所ではなかった」という。そして「特別な存在以外は個人の亡骸への敬意はなく死体置き場に投げ込まれるのみ」であったとする。そしてそれが西洋文化においては一般的で、まさに、モーツァルトが死を迎えた18世紀末まではそれが普通であったというのだ。
そして19世紀を迎え、「西洋文明が無神論的になったとき亡骸が個人化されることとなった」というのであるがそれはまさに皮肉な現象といわざるをえない。そして、「各人は自らのささやかな箱(=棺)への、自らのささやかな腐敗への権利を得たのだ」というわけだ。
だからモーツァルトは、「ささやかな箱」や「ささやかな腐敗」への権利を持ち得なかったというわけである。
フーコーは続けていう。それまでは墓地は各教会のもとにあり、市街に満ち溢れていたが、それらはやがて「脇へと避けられ、都市と郊外の境界に置かれることとなった」と。
この過程は、日本でも全く同じである。
かつて死者は、生きた者とともに共同体のなかにいたのだが、その死が個別化されるとともに、共同体の周辺へと追いやられ、「異在郷」としてのヘテロトピアに位置することになったのである。
無造作に埋められたモーツァルトと、異空間のヘテロトピアに麗々しく墓石をしつらえられたモーツァルトと、どちらが彼を象徴しているかは、それぞれの判断に任せるほかはないだろう。
これを読んでいて、なるほどと膝を叩いて納得したのは、映画『アマディウス』の後半で、モーツァルトの死体が袋に詰められたまま、掘られた穴に無造作に投げ込まれるシーンを思い出したからである。
ちなみに、モーツァルトの墓はない。
ウィーン中央墓地には、音楽家たちの墓が連なる一隅があり、中央にモーツァルトの石像があり、その左にはベートーヴェン、そして右にはシューベルトの墓がある。しかし、中央のモーツァルトの石像は、自分の死後、その墓はモーツァルトの傍らにしてほしいという後代の作曲家の希望に基づき、建立された記念碑に過ぎない。
だからその像も、音楽の女神、ミューズのそれで、支柱の中ほどにモーツァルトの横顔のレリーフが施されている。
ちなみに私は、1991年、モーツァルト没後200年の晩夏にこの地を訪れたが、その折には、この静謐な一角にビッグネームの作曲家たちの墓が集中し、それらの墓石の周りを、リスたちが戯れながら駆け回っているのを見て、そのスケールと環境とに感動した覚えがある。
余談だが、その後訪れたザルツブルグで迷い込んでしまった日本でいうならば団地のような集合住宅でも、ゆったりと取られた樹間の緑地の中で、リスたちが戯れていた。
さて、モーツァルトの話に戻ると、なぜそんなことが起こったのかという謎をフーコーの「ヘテロトピア」論は解き明かしている。
それを述べる前に、「ヘテロトピア」とは何かということだが、一般的には「異空間」などと訳されるこの言葉を、フーコーは「ユートピア」と対比させながら概略、次のように規定している。
人の社会は「反場所」ともいうべき場所を持つが、それはユートピアが「非在郷」であるのに対し、ヘテロトピアは「異在郷」だというのである。
ユートピアが日本語で「桃源郷」などといわれ、「ありえない=非」場所であるのに対し、ヘテロトピアは文字通り「異なる」空間だというわけである。
で、どう異なるかというと、その場所は、現実から忌避されて遠ざけられているか、あるいは聖なる空間として自らを現実とは切断しているかなどであるが、それを具体的にどこと指し示すことが出来ないのは、どこをヘテロトピアとするのかによってその社会を分類できるほどそれは歴史的かつ地域的なものだからだという。
とはいえ、フーコーはその時代に即していくつかの例を出している。
例えば、19世紀までの売春宿、徴兵制における軍隊、精神病院、監獄、などなどがそれだが、その一例として出てくるのが墓地なのである。
その墓地は、「今は絶対的に他なる場所であるがかつて西洋では荘厳な印象を与える場所ではなかった」という。そして「特別な存在以外は個人の亡骸への敬意はなく死体置き場に投げ込まれるのみ」であったとする。そしてそれが西洋文化においては一般的で、まさに、モーツァルトが死を迎えた18世紀末まではそれが普通であったというのだ。
そして19世紀を迎え、「西洋文明が無神論的になったとき亡骸が個人化されることとなった」というのであるがそれはまさに皮肉な現象といわざるをえない。そして、「各人は自らのささやかな箱(=棺)への、自らのささやかな腐敗への権利を得たのだ」というわけだ。
だからモーツァルトは、「ささやかな箱」や「ささやかな腐敗」への権利を持ち得なかったというわけである。
フーコーは続けていう。それまでは墓地は各教会のもとにあり、市街に満ち溢れていたが、それらはやがて「脇へと避けられ、都市と郊外の境界に置かれることとなった」と。
この過程は、日本でも全く同じである。
かつて死者は、生きた者とともに共同体のなかにいたのだが、その死が個別化されるとともに、共同体の周辺へと追いやられ、「異在郷」としてのヘテロトピアに位置することになったのである。
無造作に埋められたモーツァルトと、異空間のヘテロトピアに麗々しく墓石をしつらえられたモーツァルトと、どちらが彼を象徴しているかは、それぞれの判断に任せるほかはないだろう。