
いま自宅で咲いている花では、いちばん大きなものはサツキだ。これは亡父譲りのもので、八重咲きなので珍重している。
あとは小さな花ばかりで、カタバミ、ドクダミ、ナンテン、それにマサキの花ぐらいか。

ほとんど知られた花ばかりなのだが、マサキの花はいくぶん珍しいかもしれない。
この花を毎日、眼前にしている。私の二階のデスクの前のカーテンを開けると、ぱっと一面に目に飛び込んでくるからだ。

その群生のような花々は目の前が明るくなったように華やいでいて、目を楽しませてくれる。近寄るとその点のような一つ一つがちゃんと独立していて、いままさに開こうとしている。満開になるのが待ち遠しい。

まだほとんど蕾だが中央下の方に一輪開いたものがある
小さな花といえばナンテンもそうだ。房状になってはいるが、それは小さな花々からなっていて、その一つ一つが、「ホラ、咲いてるんだよ」と自己主張をしているようだ。近くで咲いていたら、さらに近寄ってその一つ一つを見てやって欲しい。

実のところ、いろいろあっていささか疲れ、めげそうになっている。先行きへの暗い展望は逃れようもなく、自分の行動が次第に制約されてきているのをひしひしと感じる。
若いころ、そうした人事に関することを花鳥風月の風情に転化したりそこへと逃避することはすまいと思っていたが、どうやらこうしたものに慰められる齢になってきたらしい。まあ、自死まで思いつめるよりは、たとえ一時的にせよ彼らに癒される方がいいのだろう。

それに小さいながら懸命に生きている彼らの美しさをこうして人に伝えることができるのは、それらの生命と共振する自分自身の命の確認かもしれないとも思うのだ。