夏目漱石や森鴎外、芥川龍之介などはけっこう若読みで、中学生の頃から高校生にかけて一通りを読んだことになっている。しかし、こういう「著名なものはひと通り」という教養主義に根ざす読書、とくにその若読みはあまり勧められたものではない。
これといった下地がないままのこういう読書は、ストーリー展開を追うのみで、そこに書かれていた肝心なことを読み取れてはいない。
朝日新聞が復刻連載をしている夏目漱石のものを読み返していると、それを痛感する。ここにはこんなことが書かれていたのかといまさらながら気づくことがどれほど多いことか。
『三四郎』に続いて、今は『それから』が掲載されているが、1909(明治42)年、「東京朝日新聞」連載だから、106年ぶりの再連載となる。ちなみに私の父は1908年の生まれだから、今生きていれば107歳になる。
この連載を見て、まず思うのは、漱石を始め当時の連載作家の旺盛ぶりである。というのは、往時の連載は、現今の新聞連載小説のボリュームをはるかに超えて、およそその3倍分を毎日書いていたことになる。それでいて、文章の荒れや乱れはない。
その内容もそうである。殊に漱石の場合は、ストーリー展開の間に挟む独語のような主人公の自己省察のなかに、極めて深い含蓄がある。例えば、この23日の第58回(連載時の「東京朝日」では8月23日分)では、ほとんどが主人公の自己洞察による独白が占めていて、その内容が面白い。
連載の予告
「彼の考えによると、人間はある目的を以(も)って生まれたものではなかった。これと反対に、生まれた人間にはじめてある目的がでてくるのである。最初から客観的にある目的を拵(こしら)えて、それを人間に附着するのは、その人間の自由な活動を、すでに生まれる時に奪ったと同じことになる」
この叙述は主人公の独白だが、ここでは、人間は生まれながらにしてある本質をもち、その本質が指し示すところに添って生きねばならないという形而上学的な人生観があからさまに否定されている。ようするに、人間においては本質が先行するのではなく、実存が先行していて、その本質は事後的に見出されるという主張である。これは、人間の生においての自由の問題を考える際には決定的な分岐点である。なぜなら、予め与えられた本質に添って生きるということのなかには人間の自由の余地などはないからだ。
それに続く箇所で漱石はいう。
「だから、人間の目的は、生まれた本人が、本人自身に作ったものでなければならない。けれども、如何(いか)な本人も、これを随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経過が、既にこれを天下に向かって発表したと同様だからである」
ここでは、人間の目的を自分で作るといっても、それは無からではなくて、常に既に存在している「自己存在の経過」を参照すべきだとしている。これはハイデガーやサルトルの用語からすると「被投性」つまり、人間は気づいた時に既にしてこの世界へと投げ出されているのであり、その投げ出され方を前提とする事なく、その目的などを決められないということになる。
次に続く部分はこうである。
「この根本義から出立した代助(主人公の名前)は、自己本来の活動を、自己本来の目的としていた」
ここは少しわかりにくいが、自分の活動を何かのために、例えば経済的な利益のためにとか、生物学的な必要に迫られたものではなく、自由な自己選択の結果としての自己の活動、やはりそれをハイデガーやサルトル的な用語でいえば「投企」、ようするに自己を何ものかに向かって投げ企てることとして語られている。さらにはここには、ハイデガー流の世人の日常性という惰性やおしゃべりから離脱した「本来性」への希求もみてとれる。
続く一節には次のようにある。
「・・・・・自己の活動以外に一種の目的を立てて、活動するのは活動の堕落になる。従って自己全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、自ら自己存在の目的を破壊したも同然である」
このくだりは、人間のありようはその自由な活動にあり、その自由な活動とは、経済的な必然性などから解き放たれた活動そのものを目指すべきだとしたハンナ・アーレントの「活動」概念に通じるものがある。
以上に引用した極めて限られた範囲のなかで、漱石がハイデガー的、サルトル的「実存概念」を展開するばかりか、それらの限界を越えて自由な人間の自由な活動の場を模索したアーレントの域にまで到達しているのはとても興味のあるところである。
これは48回分の一部
こうした代助=漱石の思考が、当時の高級都市遊民においてのみ可能であったという批判は成り立つだろう。しかし、人間がその複数的なありようの中において、その単独性を保ちつつ生きようとするこの「活動」への希求は、100年以上を経過した今もとても新鮮であるように思う。
こうしたハイデガーもサルトルもアーレントも知られていない時代、それらのビッグネームに依存することなく生み出された漱石の思考は、とても深くて広がりをもつものだとあらためて思った次第である。
これといった下地がないままのこういう読書は、ストーリー展開を追うのみで、そこに書かれていた肝心なことを読み取れてはいない。
朝日新聞が復刻連載をしている夏目漱石のものを読み返していると、それを痛感する。ここにはこんなことが書かれていたのかといまさらながら気づくことがどれほど多いことか。
『三四郎』に続いて、今は『それから』が掲載されているが、1909(明治42)年、「東京朝日新聞」連載だから、106年ぶりの再連載となる。ちなみに私の父は1908年の生まれだから、今生きていれば107歳になる。
この連載を見て、まず思うのは、漱石を始め当時の連載作家の旺盛ぶりである。というのは、往時の連載は、現今の新聞連載小説のボリュームをはるかに超えて、およそその3倍分を毎日書いていたことになる。それでいて、文章の荒れや乱れはない。
その内容もそうである。殊に漱石の場合は、ストーリー展開の間に挟む独語のような主人公の自己省察のなかに、極めて深い含蓄がある。例えば、この23日の第58回(連載時の「東京朝日」では8月23日分)では、ほとんどが主人公の自己洞察による独白が占めていて、その内容が面白い。
連載の予告
「彼の考えによると、人間はある目的を以(も)って生まれたものではなかった。これと反対に、生まれた人間にはじめてある目的がでてくるのである。最初から客観的にある目的を拵(こしら)えて、それを人間に附着するのは、その人間の自由な活動を、すでに生まれる時に奪ったと同じことになる」
この叙述は主人公の独白だが、ここでは、人間は生まれながらにしてある本質をもち、その本質が指し示すところに添って生きねばならないという形而上学的な人生観があからさまに否定されている。ようするに、人間においては本質が先行するのではなく、実存が先行していて、その本質は事後的に見出されるという主張である。これは、人間の生においての自由の問題を考える際には決定的な分岐点である。なぜなら、予め与えられた本質に添って生きるということのなかには人間の自由の余地などはないからだ。
それに続く箇所で漱石はいう。
「だから、人間の目的は、生まれた本人が、本人自身に作ったものでなければならない。けれども、如何(いか)な本人も、これを随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経過が、既にこれを天下に向かって発表したと同様だからである」
ここでは、人間の目的を自分で作るといっても、それは無からではなくて、常に既に存在している「自己存在の経過」を参照すべきだとしている。これはハイデガーやサルトルの用語からすると「被投性」つまり、人間は気づいた時に既にしてこの世界へと投げ出されているのであり、その投げ出され方を前提とする事なく、その目的などを決められないということになる。
次に続く部分はこうである。
「この根本義から出立した代助(主人公の名前)は、自己本来の活動を、自己本来の目的としていた」
ここは少しわかりにくいが、自分の活動を何かのために、例えば経済的な利益のためにとか、生物学的な必要に迫られたものではなく、自由な自己選択の結果としての自己の活動、やはりそれをハイデガーやサルトル的な用語でいえば「投企」、ようするに自己を何ものかに向かって投げ企てることとして語られている。さらにはここには、ハイデガー流の世人の日常性という惰性やおしゃべりから離脱した「本来性」への希求もみてとれる。
続く一節には次のようにある。
「・・・・・自己の活動以外に一種の目的を立てて、活動するのは活動の堕落になる。従って自己全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、自ら自己存在の目的を破壊したも同然である」
このくだりは、人間のありようはその自由な活動にあり、その自由な活動とは、経済的な必然性などから解き放たれた活動そのものを目指すべきだとしたハンナ・アーレントの「活動」概念に通じるものがある。
以上に引用した極めて限られた範囲のなかで、漱石がハイデガー的、サルトル的「実存概念」を展開するばかりか、それらの限界を越えて自由な人間の自由な活動の場を模索したアーレントの域にまで到達しているのはとても興味のあるところである。
これは48回分の一部
こうした代助=漱石の思考が、当時の高級都市遊民においてのみ可能であったという批判は成り立つだろう。しかし、人間がその複数的なありようの中において、その単独性を保ちつつ生きようとするこの「活動」への希求は、100年以上を経過した今もとても新鮮であるように思う。
こうしたハイデガーもサルトルもアーレントも知られていない時代、それらのビッグネームに依存することなく生み出された漱石の思考は、とても深くて広がりをもつものだとあらためて思った次第である。