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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

1月8日にゲットした宝物たち 「こいつは春から・・・」

2016-01-09 11:58:21 | 日記
 今年はじめての名古屋行き。
 まずは初映画で『美術館を手玉にとった男』。
 これは全米、20州以上、数十箇所の美術館へ、自らの描いた贋作をを送り込んだ男についてのドキュメンタリー。
 これだけの所業にもかかわらず、彼は一切、罪に問われることはない。なぜか?彼はそれを、母の遺品、姉の遺品と偽って持ち込みながらも、その対価を一銭も受け取ることはなく、全て寄贈だったからである。
 
 彼の作品に一度は騙された学芸員が、その他の作品を追跡調査するなかで、奇妙な縁が生まれる。
 そしてついには彼の贋作を集めた個展の開催に至る。この会場で、二人は恩讐を超えて改めて出合うシーンが面白い。

         
 映画館の隣の料亭が取り壊されて、駐車場になっていた。その横、ビルの谷間にこんな風景が取り残されていた。懐かしい村里の風景。
 
 彼の贋作は、確かに学芸員を欺くだけのデッサン力、技術力を持ち合わせている。だから少なからずの人たちが、彼に自分の作品をと勧める。しかし彼は、自分はアーティストではないといって頑なにそれに従うことはしない。

 彼にとっては、贋作を描き、それを美術館へ寄贈して歩く一連の行為すべてが、いわばひとつの美的な生き方、つまりはアートなのである。贋作の傍ら、彼が牧師に扮して、人々の悩みを聴くというパフォーマンスをしていることにも、その役を演じるという衝動を満たす演劇的な所作を感じさせるところである。

 この国でも、佐村河内氏のゴーストライター問題や、東京五輪のエンブレム問題などかしましい折から、芸術における模倣(ミメーシス)の問題、オリジナリティとは何かの問題、はたまた、問題を広げてAI=人工知能にアートは創造できるのかといった問題にも関連付けて考えることができそうである。

 映画の後は、今池の友人Cさんが営む音楽媒体やDVDなどの中古屋さんに顔を出す。
 あいにくCさんは不在だったが、その相方と挨拶を交わすことができた。
 CDの掘り出し物が二枚あった。
 ひとつは、バッハの『平均律クラヴィーア曲集1・2』(Pf:ウィルヘルム・ケンプ)、もう一枚は、ヘンデルとA・スカルラッティ(息子のドメニコの方ではなく、父のアレッサンドロの方)のそれぞれ数曲のトッカータのオルガン演奏集(Or:ダニエル・カルカグノ)。後者は、曲自体が初収録(first recordinng)とある。ともに300円。

 その後、栄で中国在住の旧知のNさん、同人誌でもお馴染みの幼馴染(?)Yさんと夕食をともにしながら懇談。この三人は、Nさんが帰国するたびに年、二回ほど逢っているが、実に楽しく、話題が尽きることはない。
 とくに、山西省の山村で頑張っているNさんにはいつも元気をもらっている。

 今回彼女は、日中戦争中の経験者、約300名の中国の人々の証言集の第2集をほぼ編纂し終えて、晴れやかな顔つきをしていた。一見、地味な仕事だが、東洋文庫に入れられたそれは、東アジアのあの時代の歴史を実証的に伝える貴重な記録であると思う。

         
 8日にゲットしたものの全て。12年もののブラックニッカ、バロックのCD2枚、それに、山西省の山村の香りがする乾燥ナツメ。昨年は不作だったとのこと。

 この集いで、心弾む対話以外にも思わぬ福徳があった。
 ひとつは、Nさん持参の、あの懐かしい山西省は賀家湾村の乾燥ナツメの実をもらったことである。もう一つは、YさんがNさんのために持ってきた「ブラックニッカ」の12年もので、ラベルには「誕生40周年記念限定製造」とあるのだが、これがひょんな拍子で、私が持ち帰ることとなった。
 YさんにもNさんにも、申し訳ないことしきりである。

 しかしながら、この乾燥ナツメをつまみに、レアなウィスキーを飲みながら、バッハやヘンデル、スカルラッティを聴けたら、これにまさる幸せはないではないか。
 ゆっくりできる機会に、ぜひこの桃源郷を味わいつくしたい。

 Nさん、Yさん、ほんとうに楽しい時を、そしていいものをありがとう。
 
コメント
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