前回は、篠島をそぞろ歩きし、島を貫く山脈の尾根を越えて港へ戻ろうとして、その急峻な坂と階段の連続に、行く手を危ぶみ、逡巡するところまでを書いた。
今回はその続きだが、その前に前回、書き忘れたことを書いておこう。
河和から船に乗り、ひたすら知多半島に沿って南下して島々へ至るのだが、ふと「知○半島をめぐる船での事故」を思い出してしまった。そう、あれは知床半島、今も行方がわからない人たちがいる。こちらは知多半島、どんよりと重い雲だが波は穏やかだった。
さて、急峻な登りで逡巡する私に戻ろう。
人は迷った時どうするのだろう。慎重な人は立ち止まってじっくり考えたり、分岐点に戻って判断をし直したりするのだろう。あいにく、慎重さを欠いた私にその能力はない。エイヤッと自分の判断を貫くのみだ。会社を辞めるときも、居酒屋を閉店するときもそうだった。おかげで、惜しまれながら去るという余録にあずかることができた。
死ぬときもそうであれば御の字だが、まあ、そうは行くまい。野垂れ死には覚悟の上だ。
あれあれ、へんに脱線しちゃった。
この急峻な坂や階段の連続を前にしての私の決断は、「行くしかないっしょ」だった。亀のようなスピードで、階段を登る。道は真っ直ぐではない。しばらく登って突き当り付近で尾根に出られるかなぁと思ったりするが、事実はそれほど甘くはない。登りは左右にコースを変えながら続く。
ゆっくり歩くから、出会いも多い。生後間もない仔猫にも出会った。これ、意外と近くで撮っている。いくぶん怯え、すぐ逃げられる体勢をとりながらも、私がシャッターを押すまではじっとしていてくれた。近くにもう一匹いたが、これは草のなかに隠れるようにしていた。
今回はその続きだが、その前に前回、書き忘れたことを書いておこう。
河和から船に乗り、ひたすら知多半島に沿って南下して島々へ至るのだが、ふと「知○半島をめぐる船での事故」を思い出してしまった。そう、あれは知床半島、今も行方がわからない人たちがいる。こちらは知多半島、どんよりと重い雲だが波は穏やかだった。
さて、急峻な登りで逡巡する私に戻ろう。
人は迷った時どうするのだろう。慎重な人は立ち止まってじっくり考えたり、分岐点に戻って判断をし直したりするのだろう。あいにく、慎重さを欠いた私にその能力はない。エイヤッと自分の判断を貫くのみだ。会社を辞めるときも、居酒屋を閉店するときもそうだった。おかげで、惜しまれながら去るという余録にあずかることができた。
死ぬときもそうであれば御の字だが、まあ、そうは行くまい。野垂れ死には覚悟の上だ。
あれあれ、へんに脱線しちゃった。
この急峻な坂や階段の連続を前にしての私の決断は、「行くしかないっしょ」だった。亀のようなスピードで、階段を登る。道は真っ直ぐではない。しばらく登って突き当り付近で尾根に出られるかなぁと思ったりするが、事実はそれほど甘くはない。登りは左右にコースを変えながら続く。
ゆっくり歩くから、出会いも多い。生後間もない仔猫にも出会った。これ、意外と近くで撮っている。いくぶん怯え、すぐ逃げられる体勢をとりながらも、私がシャッターを押すまではじっとしていてくれた。近くにもう一匹いたが、これは草のなかに隠れるようにしていた。


さらに登って振り返ると、オオッ、眺望が開けて海が見えるではないか。尾根は近いのか。しかし、事態はそれほど甘くはない。それからしばらく登って、やっと尾根を走る道に出る。とはいえ、その尾根の道は決して平坦ではなく、今までほど急ではないとはいえ、それでも登りなのだ。


しばらく行くと、やっと登りが終わる。今度は港の方へ降りる道を探しながらの行程だ。せっかちな私は、これかなと下ってゆくと個人の住まいで突き当たりだったり、神社仏閣の施設であったりする。
無駄な体力の消耗つづき。しばらく行くと、尾根道の脇の小さな畑で、ペットボトルから水やり作業をしている女性を見かける。浜から登りはじめて以来、仔猫以外ではじめて出会う生き物だ(失礼)。
港方面へ下る道を尋ねる。「あ、それならすぐそこ」と指さされたのはなんとこの畑の筋向かい、確かに下へ降りる道がついている。しばらく行くと緩やかな階段になり、降りるのもとても楽だ。ただしもう疲れきっているので、軽快な足運びとはいかぬ。 階段が終わり緩やかな下り坂となる。これは楽だ。

空き地に、2メートルを遥かに超えるようなシシウドが生えていた。斜面に沿って吹き上がる海風に、頭をゆらゆらさせている。
しばらく行くと、眼下に緑色の屋根葺の立派な寺院が現れる。おそらく知多八十八箇所聖地巡りの寺のうちのひとつではなかろうか。赤い幟がそんな風情だ。

そして、船溜まりの一角が見えてきた。道はついに平地へ。曲がりくねって天にまで達するようなあの急な階段を前にして、しばし、怯え、佇んだのが随分前のように思える。

船溜まり脇の道を進む。
荒れた空き地の一角に立派なユリの群落が。
ランドセルを背負った子が通りかかる。今日はウィークディなのを改めて知る。
擦れ合うぐらいで通りかかった窓から吊るされた布袋のなか、ぬいぐるみが入ってるとばかり思いカメラを鼻先まで近づけたら、ウ~と小さく唸られた。生きてる!ちゃんと写真は撮らせてくれた。



さてこれで、島を約半周巡り、南側ビーチで地元の女性たちと触れ合い、昔ながらの漁師道を辿り、山の尾根の道にいたり、港の方へ降りるという当初から思い描いていたコースを踏破したいま、目指すは唯一つ、海なし県・岐阜では絶対に味わえない地の魚を味わうこと。
浜で二人組から教えてもらった二軒のお店を疲れた足を引きずり、探しに歩く。
その途中で、山頭火の句碑を見かける。8句が刻まれている。句に描かれた情景からしてどうやら春にこの島を訪れたようだ。

一軒目、閉まっている。現在3時半頃。あの女性たちが、あそこはラストオーダーが早いからと言っていたのを思い出す。もう一軒については、「あそこは遅くまでやっているから」と言っていたので、それを頼りにそこへ。
やっていた!
女性が顔を出し、「4時閉店ですがいいですか?」
ウ、ウ、もう30分もない。「なにかお造りはできますか?」
女性は引っ込み、「刺し身ってできる?」と板場に訊いている。
「すみません。お刺し身はもうできません」
もうひと粘りする。
「どこかこのへんで、お宅と同じように魚料理を出されるところはありませんか」
「さあ、この時間はみんな閉まってますよ。うちが一番遅いくらいですから。あ、そうそう、船着き場の中の売店ならまだなにかできるかも・・・・」
ガ~ン。「絶望!」と書かれた垂れ幕が目の前にドサッと落ちてくる。
船着き場の食堂って、着いたときにウドンを食べたセルフサービスの店じゃん。

トボトボと港へたどり着く。その過程で、スマホで当たってみたことがある。船が着く河和港の近く、名鉄の河和駅周辺の飲食店だ。
ヒット!駅のすぐ近くにお寿司屋がある。しかも結構しっかりした店のようだ。よし、ここに賭けよう!
帰途の船を待つ。この時間夕刻とあってか船の便はかなりあるのだが、師崎行きなどが多く、河和行きは40分ほどまたねばならない。
その間、師崎と行き来しているフェリーボートの車の乗降作業などを観て過ごす。走っているのを見かけた郵便車なども本土の方から来て夕刻には帰ってゆくのだ。歩いてきた尾根へ出る道のとくに階段部分は、郵便車もバイクも入れないから、やはり徒歩での集配作業なのだろうなとその労苦を偲ぶ。


やっと河和行きの船が来た。終わりよければ全てよしの逆だったから、島を懐かしく振り返る元気もない。曇り空の太陽が、船のマストと並行して落ち始めてる。

河和港着、無料送迎バスで河和駅まで。
チェックしておいた寿司屋を目で追いかける。あった!駅の真ん前。ここなら安心して飲食ができそうだ。やった~!
ん?しかし気になる点が・・・・。もう5時を回っているのに看板に灯が入っていない?ん?ん? 店頭まで来てみる。何やら張り紙が・・・・。
「本日、都合により臨時休業といたします」
が~ん、が~ん、が~ンの30乗だ! 何タルチア、惨タルチア!
定休日なら致し方ないと諦めもつく。しかし、よりによって「臨時休業」とは・・・・。
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか。)」
疲れ切った足を引きずって河和の街を飲食店探しに徘徊する元気はもうない。
岐阜へ帰るしかない。

鵜沼行急行に。神宮前で岐阜行特急に乗り換え、一路帰途へ。神宮前付近から名古屋までは名鉄とJRが並走している。
上は私が乗る岐阜行特急と左はJR岐阜方面行。
下は、岐阜に着いた電車。折返し豊橋行特急になる。


岐阜へ着く。駅近くの安い寿司屋で、造り二品ほど、白魚の磯辺揚げなどを酒二本のアテとして食らう。篠島のことは思い出さないことにしよう。
結局、篠島で使ったお金はウドン代の500円のみ。私に魚を食わせてくれたら、島ももっと潤ったのに・・・・って引かれ者の小唄か。嗚呼!

歩数計は2万歩を指していた。しかもあの急峻な登りを含んだ2万歩だ。ただし、思ったほどの疲れはない。ただ、そこはかとない悔しさが残った旅だった。
これはもはや不定愁訴ではない。ちゃんと対象をもった愁訴だ。
「旨い魚で一杯やりたかった~~~~~~~~」