六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ノンフィクション的フィクション『クレムリンの魔術師』を読む

2023-05-10 01:24:41 | 書評
 小説である。が、冒頭にはこう述べられている。
「作者は、 事実や実在の人物をもとに自身の体験や創造を交えてこの小説を執筆した。とはいえ、これは紛れもないロシア史である。」

 ようするに、ノンフィクション的フィクションといっていいのだろうか。歴史的人物は殆ど実名で出てくるし、実在の人物はロシアの現実に詳しい人にはすぐそれと特定できるほどの名前で登場する。

         

 「魔術師」はプーチンその人ではない。プーチンをプーチンであらしめた側近の助言者である。失脚してゆく前任者なども出てくるが、 ここでの主人公バディウム・バラノフのモデルは、副首相、大統領府副長官、補佐官などを歴任したウラジスラフ・スルコフらしい。
 2020年にはクレムリンを去って、その後は軟禁状態などの説もあるがよくわからない。

 彼の功績は、ソ連体制崩壊後混乱していたロシアに、国益優先の「主権民主主義」なるイデオロギーを持ち込み、それをもとにプーチン政権を支え、その政権長期化に寄与したことにあるという。
 とりわけ2022年に再開されたウクライナ侵攻の前史、2014年のドンパス地方での武力衝突は彼の画策に依るとされる。

 私達読者は、彼の語りに誘導されて、クレムリンの帝王の身辺で起きるさまざまな出来事、帝王自身の決断の内容などを追体験するかのような立場に立たされるのだが、それがけっして小説用に誇張されたりしたものとは思えず、なるほどとつい頷いてしまうところに彼の想像のたくましさと表現の巧みさがあるように思う。
                  
   右側が主人公バディウム・バラノフのモデルウラジスラフ・スルコフ
  
 小説は、プーチンに重用され、プーチンを支えながらも何らかの原因で突然失脚したりする人物に彩られて進むが、その終盤には22年のウクライナ侵攻を予言するかのようなシーンがでてくる。
 そこでは、主人公がウクライナを訪問し、今回の侵攻でも傭兵として活躍しているであろうバイカー集団「夜の狼」の指導者アレクサンドル・ザルドスタノフと話を交わすのだが、このアレクサンドルとプーチンが2019年に実効支配するクリミア地方で、バイクで並走する写真が残っている。
            
   左側が「夜の狼」指導者、アレクサンドル・ザルドスタノフ 右はプーチン

 ここまで読み、この写真を見るに至って、私の中にあった一つの疑問が氷解した。
 2019年の夏、私はロシア第二の都市、サンクトペテルブルクにいて、ネフスキー大通りをネヴァ河に向かって進み、エルミタージュ美術館(冬宮)の横あたりで、日本でいうなら暴走族が片側三車線ほどを完全に占拠し、疾駆するのを目撃したのだった。警察車両は出ていたが、彼らを規制するのではなく、むしろ歩行者を規制(保護)していた。その様子は下の動画に撮ってきたが、しばらくのデモンストレーションの後、その集団は統制が取れた仕方で去っていった。
 日本では規制の対象になる暴走族が、なぜロシアでは白昼堂々という疑問を持ったのだが、こうしたバイカーの集団疾駆は、ロシアではむしろプーチンの親衛隊として機能していたのだった。動画の途中に見えるバイクの旗は、まさに「夜の狼」のそれであった。

 https://www.youtube.com/watch?v=QgHgdrBMdOY

 話を小説に戻そう。主人公は、その「夜の狼」のリーダー、アレクサンドル・ザルドスタノフにいう。
「( 我々がウクライナで戦う)目的は征服ではなくカオスだ。つまり、オレンジ革命が原因でウクライナは無政府状態になったと理解させることだ。西側諸国に身を委ねると言う過ちを犯した国の末路を認知させる必要がある。すなわちすぐに見捨てられ、荒廃した国を自分たちだけで再建しなければならないと言う現実だ」
「 この戦争が行われているのは、現実ではなく人々の頭の中においてだ。君たちの戦場での活躍は、君たちが制圧した都市の数ではなく征服した脳の数で評価される。征服すべき脳があるのはここではなく、モスクワ、キエフ、ベルリンだ。君たちのおかげで、ロシアの同胞は人生や善悪の闘いに関する勇壮な意義を見いだすことができた。そして彼らはウクライナのナチスや西側諸国の衰退からロシアの価値観を守る人物として皇帝を崇拝するようになった。というのも、祖国に安定と偉大さをもたらしたのはプーチンだと言うことを1990年代のカオスを知らないロシアの若者世代に知らしめる必要があったからだ。」

 ウクライナを離れて彼の言明は続く。
「 ロシアは西側諸国の悪夢だ。19世紀末、西側諸国のインテリは革命を夢見た。だが、彼らは共産主義を語っただけであり、これを実現したのはロシアだった。そしてロシア人は70年間、共産主義社会で暮らしてきた。次に、資本主義の時代がやってきた。資本主義においてもロシアは西側諸国よりもはるかに先進的だった。 1990年代、ロシアほど規制を緩和し、民営化を断行し、起業家の活躍できる余地を確保した国はなかった。こうして規制と制限が撤廃されたロシアでは、無から世界最大の富が築かれた。そしてロシアは西側諸国から与えられた処方箋におとなしく従ったがロシア社会は良くならなかった。」
 ようするに。こうした経由から西洋資本主義とはまた違う道を選んだのがプーチンでありロシアだというのだ。

 私はあえてこれに何かを言おうとは思わない。しかしここには単純な進歩史観や西洋民主主義崇拝のリベラルには見えていないひとつのリアルな歴史があるといっておこう。
 中国も含め、これまでの歴史観や政治観では消化しきれない現実に21世紀は差し掛かりつつあるのだ。

著者 ジュリアーノ・ダ・エンポリ(Giuliano da Empoli)
1973年、イタリア人の父親とスイス人の母親との間にパリで生まれる。ローマ・ラ・サピエンツァ大学を卒業し、パリ政治学院にて政治学で修士号を取得。フィレンツェ市の副市長、そしてイタリア首相のアドバイザーを務めた後、現在はパリ政治学院にて教鞭をとる。

 『クレムリンの魔術師』 ジュリアーノ・ダ・エンポリ:著 林 昌宏:訳 白水社

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

G7とやらにに世界を任せるわけにはゆかない

2023-05-09 00:48:12 | フォトエッセイ

 G7という国際協議の機関があって、今年はその議長国が日本だというので、岸田あたりがはしゃぎまわている。
 G7の7カ国というのは、米、英、仏、独、伊、加、日で、世界の人たちが選んだわけでもない全く恣意的な集まりにすぎないのだが、まるで世界の行方を自分たちが決めるかのように振る舞っている。

 しかし、これらのなかには、ロシアを始め、人口においては両者合わせると30億人に近い中国やインドも入っていない。また、地理的に見れば、南米、アフリカ大陸、中近東諸国などなどもすべて蚊帳の外である。

 いってみればこれらの7カ国は、20世紀中頃まで世界を支配した植民地宗主国がほとんどであり、その後の冷戦時代の西側諸国にすぎず、軍事的にはNATOの代表に過ぎない(日本は日米安保を通じて、NATOに間接的につながっている)。


 これら伝統的に世界を牛耳ってきた連中に、今もこの21世紀の世界を支配するかのように振る舞わせていいのか。欧米などでは、これらの会議には決まってアゲインストの激しい抗議活動が展開される。日本の臣民はおとなしいから、その会議が日本で開催されることの損得勘定=経済効果などの計算に忙しい始末だ。

 これら7カ国のうちには、とてもリーダーシップをとるのにはふさわしくない国も混じっている。
 ジェンダーギャップ(男女の格差を示す指標)が世界で116位という国、7カ国のうち同性婚を認めない唯一の国、一人あたりのGDPがもっとも低い国、石炭火力発電最高の国、高齢化率がもっとも高い国、報道の自由度が68位という惨めな国、それがしたり顔でG7に潜り込んでいるのだ。その国の名は日本!

 さて、それでもG7は世界を代表する国々といえるのだろうか?
 もちろん一定の影響をもつことは否定しない。
 しかし、それでいいのか?というのが私の問いである。
 私はむしろ、G7の会合には反対である。そして彼らの決定に縛られることを拒否する。
 そしてG7などとは関わりない多くの地域の人々と、ともに在りたいと思う。

今回のG7の目玉は広島での開催とのこと。しかし、7カ国のうち、米英仏の3カ国のみで6,000発の核爆発物をもつという。彼らが、シレッ~とした顔で広島に集うというだけで、G7の正体が知れようというものだ。ようするに、力で自分たちの都合がいいように世界をねじ伏せようとすることこそが彼らの願望なのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今季桜桃の終焉と左党が食らうケーキの味

2023-05-05 02:55:01 | 写真とおしゃべり
 今年は豊作であった。収穫は四度に及び、その一度一度の量も多かった。また、その粒も例年よりやや大きかったように思う。そのそれぞれは、娘が勤務する学童保育の子どもたちのおやつになった。
 収穫時期も明らかに早かった。かつては連休明けからの収穫だったが、今年はこの三日をもってもう終了だ。厳密にいえば、むろん多少は残っている。しかしこれらは、これまでぶら下げていた鳥よけの10枚以上CDを取り除いて、鳥たちの食に供したいと思っている。



 ところで今年は、その終焉にあたってひとつの物語があった。4回目の収穫をしていたら、近くのケーキ屋のオーナーパテシエが通りかかった。このケーキ屋、評判が良くて岐阜市内で2軒目を営み、X’masには顧客の車で渋滞するので、警備員が出たりする。
 
 このオーナーパティシエ、私より年下だが、自宅が近く、かねてより顔見知りで、また、彼の趣味が植物いじりとあってけっこう話が弾む。



 「ところで、お宅なんかでも桜桃をお使いになるでしょうが、佐藤錦のような高級なもので、こんなのは使えないでしょう」
 というと、
「いえいえ、とんでもない、こんな可愛い実をポチンと乗せたら魅力的なケーキができるなぁと思っているところですよ」
 との返事が。
「そうなんですか、じゃあ残りもので悪いですが、まだ実がついている分全部差し上げますからどうぞお穫りになってください」
「いいんですか。じゃあ、遠慮なく頂いて、若い衆に穫りにこさせますが」
「どうぞどうぞ」



 その後、表の方でゴソゴソしている気配はあったが、私が顔をを出すと指図がましくなるので敢えて控えていた。その気配が収まってから出てみると、熟したものはほとんど穫られていたが、まだ残っているものもけっこうあった。
 しかしその段階で、人間のための収穫はこれでおしまいと、上に書いたように、鳥たちに任せるようにしたわけだ。



 その日の陽が落ちてからのことだった。玄関のチャイムが鳴る。誰がこんな時間にと思ったら、若い女性がにこやかに立っている。
「ご用件は何でしょう」
 と訊くと、あのケーキ屋からとのことで、
「先ほどはありがとうございました。社長がお礼の印にこれをお持ちしろとのことで・・・・」
 と、ケーキが入った箱を置いていった。



 私は左党だから、ケーキなど自家消費用に買ったこともなければ口にしたこともほとんどない。その箱の中で知っている唯一のケーキ、ショートケーキを何十年ぶりかで味わった。あえて合わせるなら白ワインかななどと考えるのだから、やはり左党健在というところか。

 かくて、わが家の桜桃の今季は終了に至った。
 樹の勢力は今が全盛期、来年も同様の豊作が期待される。
 唯一の難点は、この私が健在でいられるかだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする