やっと行くことができた。愛知県美術館で開催中のパウル・クレー展である。
このチケットを旧知の I さんからいただいたのはもう随分前であった。それから何度か名古屋へ出かけたが、それぞれ所定の会合などで、それと抱き合わせで観にゆくには時間が早すぎたり遅すぎたり、あるいは可能であっても窮屈な時間であったりして無理があった。
この度は、会合などとは関係なく、これを主体にしたスケジュールを組んだ。正直言うと、映画との取り合わせ(映画については別途書く予定)であったが、共にゆったりした時間の中で鑑賞することができた。

このクレーの絵画の一部については、モンドリアンのそれと同様、大胆不敵と叱られるような思いをもったことがある。どんな思いかというと、これなら俺にも描けるというまさに不遜極まりないものであった。

どんな絵についてそんな思いをもったかとうと、両者共通に画面を方形で仕切り、その方形を色彩で埋めるという絵についてである。
モンドリアンでいうと以下の絵や、クレーでいうと今回の同展のポスターに使用されたえなどについてである。ようするに、技法的に私にも可能であると思ったことがあるということである。


したがって、私がそれらしいものを描いても、模倣にしか過ぎない。

だから私にできることは、そうして対象化されたものに向き合うこと、そしてそれらに共感できるかどうか自分に問うことでしかない。もっと平たく言えば、あ、これ面白いな、とか、なんか惹かれるな、とか、これ好きだななどと呟いてみることだ。
私が上に触れたように、「これなら私でも・・・・」というのも技法的にも間違いである。そこへと至る葛藤についてはすでに述べたが、その表現の結果についても、そんなに簡単なものではないことは今回その作品を至近距離で観てじゅうぶん納得できた。
この展のポスターになっている絵も、観たところ多数の長方形の中に色を落としていったようなのだが、その色の選択や混色、そして明暗などどれひとつとして安易に塗られているだけでないことは近くで観るとよく分かる。
もちろん隣接した色との関係、そして全体での形と色の調合が計算し尽くされていることはいうまでもない。
もちろん、そうした方形に色を施すモンドリアン風の作品は限られた時期の限られた作品に過ぎない。それ以外にも多彩な作品があり、また、彼と関連が深かった画家たちの作品(カンディンスキーの作品が目立った)もあって飽きさせない。

20世紀前半の印象派以降、ヨーロッパ絵画が辿ったひとつの道がここにあるように思った。
I さん、チケットありがとうございました。お陰で良い目の保養になりました。
なお、この美術展は16日まで。
*パウル・クレーに付いてのメモ
1879~1940年 スイス生れ
芸術家風の家庭にめぐまれ、音楽や文学にも興味をもっていたが、迷った末に音楽や文学ではなく絵の道を選ぶことになる。
主にドイツで活躍 ミュンヘンなど
1933年以降ナチスによる圧迫でスイスのベルン(生まれ故郷)へ亡命
1937年にナチスによって行われた退廃芸術展には、彼の作品が15点が出展された