昨日は、洗濯をしてから父の所に行き、その後仕事も少し片付けたいし、図書館で本を返そうと、いつもの土曜日を考えていたのだけど、洗濯しただけで挫折した。
体を横たえたら起きれなくなった。
窓からの青空をぼんやり見て、それが暗くなっていく様。
今年に入ってからそんなのを何回見ただろう。
「今日一日何をしていたんだろう」と虚しくなる。
ただ、怠けているだけなのか。
体のせいにして。
そんな風にも考える。
そんなだから夜は夜でたいして眠れず、相変わらずどうしたら頭痛が治まるのか枕の位置を直したり、そんなことばかりしてて、OMさんに「枕の高さは低い方がいいのか?」と相談すると、低い事を勧められたと言うけど、どうしても慣れなくて今日だけはと高くしてみたりする。
こんな自分の体は「なるべくしてなったのだ」と恨みも悲しみも持たないけれど、今回はたまたまこれで済んだわけで、これが脳溢血みたいな病気であることもいつかはあるよね。
ある日突然、何の脈略も無く、バタッと倒れて体が半分動かなくなったり、最悪そのまま死んでしまったりする。それをリアルに考えた。
倒れてしまって体が動かなくなった私に、いまさら友達もクソも関係なくて、かえってそんな姿見てほしく無いと思って、そうなったら最後は家族ぐらいなのだと。
私たち、けっこう人間関係に苦しんでいる事もあるけど、家族以外は最後、どうでもいいんじゃん、居なくてもいいんじゃん。(だから、そんなに悩む事無いよ)
昔だったら郵送して翌日でなければ届かなかったたくさんの書類がネットで送れたりして、生活は便利になったけど、人々の要求も水準が上がったから、意外に達成感が無いね。
朝から晩までスピードを求められ、毎日くたくたで、でもそうしてないと、他に先を越されてしまうしんどさばかりで。
そしてある日何の脈略も無く、仕事がなくなったり、めっちゃ失恋したり裏切られたり、病気で倒れたり、そこに多少の理由はあったにしても大方コントロールできるものではないはずなのに、そこの所の容赦なさの底なし。
これだけの便利さと比べたひずみ。
「自分の命ってこんなにも薄っぺらだったんかぁ」と気付いた時。
大の大人でもこうなんだから、若者だったらもっと切ないかもね。
図書館にも行けなかったんだから、怠けてたわけじゃないと信じて今日こそ出かけよう。
体を横たえたら起きれなくなった。
窓からの青空をぼんやり見て、それが暗くなっていく様。
今年に入ってからそんなのを何回見ただろう。
「今日一日何をしていたんだろう」と虚しくなる。
ただ、怠けているだけなのか。
体のせいにして。
そんな風にも考える。
そんなだから夜は夜でたいして眠れず、相変わらずどうしたら頭痛が治まるのか枕の位置を直したり、そんなことばかりしてて、OMさんに「枕の高さは低い方がいいのか?」と相談すると、低い事を勧められたと言うけど、どうしても慣れなくて今日だけはと高くしてみたりする。
こんな自分の体は「なるべくしてなったのだ」と恨みも悲しみも持たないけれど、今回はたまたまこれで済んだわけで、これが脳溢血みたいな病気であることもいつかはあるよね。
ある日突然、何の脈略も無く、バタッと倒れて体が半分動かなくなったり、最悪そのまま死んでしまったりする。それをリアルに考えた。
倒れてしまって体が動かなくなった私に、いまさら友達もクソも関係なくて、かえってそんな姿見てほしく無いと思って、そうなったら最後は家族ぐらいなのだと。
私たち、けっこう人間関係に苦しんでいる事もあるけど、家族以外は最後、どうでもいいんじゃん、居なくてもいいんじゃん。(だから、そんなに悩む事無いよ)
昔だったら郵送して翌日でなければ届かなかったたくさんの書類がネットで送れたりして、生活は便利になったけど、人々の要求も水準が上がったから、意外に達成感が無いね。
朝から晩までスピードを求められ、毎日くたくたで、でもそうしてないと、他に先を越されてしまうしんどさばかりで。
そしてある日何の脈略も無く、仕事がなくなったり、めっちゃ失恋したり裏切られたり、病気で倒れたり、そこに多少の理由はあったにしても大方コントロールできるものではないはずなのに、そこの所の容赦なさの底なし。
これだけの便利さと比べたひずみ。
「自分の命ってこんなにも薄っぺらだったんかぁ」と気付いた時。
大の大人でもこうなんだから、若者だったらもっと切ないかもね。
図書館にも行けなかったんだから、怠けてたわけじゃないと信じて今日こそ出かけよう。