きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

今がピーク

2021-10-14 | 日記

今日は午後3時ごろ、銀行へお金をおろしに行った。

午後のこんな時間に外出することは珍しく、空の青さに驚いた。
そして正面に雲がプカプカ浮いていた。

ナナメになりかけた日ざしに、ススキがきらきら光っている。
夕暮れの少し前の時間帯。
この時間帯の光がこんなにきれいだったなんて。

やっぱり自然の姿は美しいのね。

今日は帰りに図書館に寄って帰るから、kekeにご飯を炊いておいてもらうことにした。
帰ると、家族がいる幸せ。
今のうちにいっぱい味わっておかなきゃ。

私の母は52歳で孫(keke)が生まれた。
今の私の年齢の頃は、もうkekeも幼稚園に通っていた。
当時の母はまだ元気で、たまに父と家に遊びにきてくれた。
ひざが痛い母だったから、エレベーターが無い5階は大変だったのではなかろうか。
でも、そんなことも言わずに。。。

それを思い出すと、今の私もまだ元気だってことだよね?
私も今が一番ピークなのかもしれない。
10年経ったら、同じことができているかどうかは分からない。

kekeは今がピークだって、分かってるのだろうか。
きっとそのうち、今の私のことを「あのころは元気だったなァ」と思い出すのだろうね。

今週末も出かけたかったけど、二日とも雨マーク。
ちょっと残念。


だから楽しまなきゃ

2021-10-14 | 巷の話題

今日もたまたま見たマドモアゼル・愛さんの動画に深くうなづいてしまいました。(^_^;)

愛先生も、今の日本は政治家が動かしているのではなく、その上に何かの存在があり、それに従っていかざるを得なくなっているのではないか?という考えをお持ちのようです。
それでは、その上にいる「彼ら」とはどんな存在なのだろう?たぶんこのような存在なのではないか・・・と語られています。

この世界は、みんなで仲良く助け合って暮らして行こうと思えば簡単にできるはず(何故ならほとんどの人はそれを望んでいるはずだから)。だけど中には「自分達だけが幸せ」でないと満足できない、自分がお金を持っているだけでは満足できず、貧乏な人がいるのを見てこそ満足できる・・・・彼らはそういうタイプなのではなかろうか。

それは一種の「神経症的」症状。それはいくら物質面を満たしても解決しない。
例えば、西洋医学は「死にたくない」がために臓器を切ったり変えたりして治してきた。それはあくまでも「物質的」な方法に過ぎない。(そこで終わっても、必ずまた死に直面することになる。)その「死にたくない」という思いを根底から克服するには、「自分はいい人生だった」とジタバタせず、その運命を受け入れることなのではないのだろうか。。。
(すみません、ちょっと私の過大解釈が入ってしまっていますネ。↑(^_^;))

そのようなお話です。ひょっとして関心をお持ちな方がいるかもしれないので、一応動画も貼っておきます。一ヶ月以上前のものになります。


この動画を見て、ちょっと感動してしまいました。(^_^;)そして納得もしました。
あぁなるほど、と。

例えば、武器を売って儲けるために戦争を起こす方々もいたそうですね。その方々も心のどこかに罪悪感があると思うんです。でも罪悪感に負けてしまうとこの先生きていけない・・・だから意地でも「戦争で金を儲けるオレたちって偉い!(騙される方が下等)」という論理にしないとならないのでしょう。そしてそれが正しいと思うから、どんどんエスカレートしてしまうのではないかしら。

私はそういう階級的にはかなり下の方で、どこでどうなるか分からない風前の灯かもしれません。でも大きな罪悪感もなく、割と正直に生きてこられて幸せだったように思います。ささいなことで楽しむこともできるのも特技だと思うんです。(必要なだけのお金があれば充分だし。)

だから、残りの人生も、精一杯楽しく過ごそうと思うんです。^^v
世界はまだまだしばらくいろんな事が起こりそうな気がしますが、あのアンネの日記のようにその日まで精一杯生きていこうかな、と。