朝、早くに目が覚めて(でも、今日は予定がなかったんだっけ)と思いながら、伊藤比呂美さんの「たそがれゆく子さん」を読む。
こんなに活字がたくさんあって読みきれるかなぁと思いながら、瞬く間に6割方読んでしまった。ついつい指が次のページをめくってしまう。これだけ惹かれるのは、伊藤さんが正直で自分の生体験をリアルに綴っているからなのだと思う。
この「たそがれゆく子さん」の前半は、伊藤さんは60歳で、旦那さんが息を引き取るまでの介護生活、そして亡くなってからの無性の寂寥感、そしてその後の生活が綴られている。
周りの女友達が旦那が亡くなって(それまではそれほどでもなかったのに)寂しい寂しいと言っていたが、本当にそのとおりだった、という内容がある。私の数少ない女友達も、今はいろいろ言っているが(何故ならこの年代は旦那さんがもう定年退職していることもあり、お荷物になりつつあるようなのだ)、やがてこの道を進むに違いない。大変そうだ。。。
私も離婚した時は大変だったよ。。。特にkekeの父親の方は嫌いで離婚した訳じゃないし、子供のためにも形だけでも居た方がいいと希望していたので、あれは大変だった。振り返られないために写真も7~8割は破いて捨ててしまったし、せめて、思い出を思い出させてくれるような別れ方をしたかった。
でも別れはみんな大変なのかもしれない。私は妹に、友人達に、そういう別れが来たらどうすればいいのだろう?
分かりません。分かり得ません。何も言えません。
ただ立ちすくむしかできません。
それと衝撃的だったのが、伊藤さんがもう残り少ないと思われるご主人に(今まで母の時も父の時もどうしても訊けなかった)質問をするシーンがある。「まだ生きていたいのか?楽になりたいのか?」という内容の質問だけど、ご主人は「ノー!(生きていたい!!)」と言い、「オレが戦っているのは不自由な自分の体で、死とは戦っていない!まだ絵も描きたい!!」と答えるシーンである。(原文どおりではなく私の解釈ぎみな言葉ですみません、もう読み返す時間がなくて・・)
え!!@@
ということは、私も今はこんな風に生も死もどうでもいい風でいますが、いざそうなったら、死にたくなくなるのか??
できれば子供に迷惑を掛けたくない等とほざいているのも、所詮未経験のたわ言なのだろうか。。。
今、周りにいる女友達の旦那感や、自分の生死に対する雑念、みんな亡くなったことを想像しない戯言なのかもしれません。
思い知らされる訳です。
今ある命も、生きていける、自由に動ける喜びも、もっと感じていなければいけないようです。
伊藤さんの本は、いつも影響力が大きくて読んだ後必ず何か書きたくなりますね。