トンテキ弁当~~
最近、kekeは気に入らないおかずが入ってると残してくるんだよ。お弁当のおかずももっと開拓しなきゃなぁと思うんだけど。
最近は寒いからお弁当は事務所で食べて、残りの時間はお散歩することにした。
さざんか公園はまだ花がついている。もうだいぶ散ってしまったけど。さざんかって長く見れるんだね。
30分近く歩いているとポカポカしてくる。太陽光線ってすごいなと思う。
歩いているうちに気がついたことは、アスファルトの照り返しが目にきついこと。車のガラスで反射した光が目に飛び込んでくるのもきつい。土や芝だと目にも優しい。アスファルトもガラスも最近作り出されてきた人工的なもの。
自然は心にも体にも優しいんだな、と分かる。だから年を重ねるにつれ、自然なものに心惹かれていくのだろうか。
今日は色つきメガネで散歩してみた。
何するでもなく歩いていると、いろんなことが心をよぎる。
聖子ちゃんのことを考えて、G子のことを思い出した。
G子も一人娘だったから。
T子ちゃんにはあれから会えたのかな。会えるようになっているといいなと思う。
結局、世界はG子の言っていた通りだった。
まだ私は暑い盛りの頃、G子の家に行ってみたのだった。妹に香典帳を探してもらって住所を教えてもらった。
前にも1度行ったことがあったけれど、ゆっくり歩いてみると幼稚園や公園も近くにあって、改めて「いいところだな」と思ったりした。
会えなかったんだけどね。(^_^;)そりゃ休日の日中、家でおとなしくしているような人じゃないからな~
kekeがT子ちゃんから借りたままだった本と手紙をポストに入れておいた。「大変な時代になっちゃったね」って書いて「お互いに元気でいられたらいいね」と書いた。連絡先は書かなかった。
全て消去しているなら、もうそれがG子の気持ちなんだから、と思った。ただG子が言っていた世界は本当だったと、教えてくれてありがとうと、今は分かったよと言いたかったんだ。
親1人子1人というのは、また特別だと思う。
私、kekeがこの世からいなくなったら・・・という世界を想像できない。
すごく辛いと思う。ましてや母と娘だったら、そうだと思う。
昔を振り返るなんて、ほとんどしないある種の冷酷さを持つ私だけど、G子のことは時々思い出すのはなぜだろう?
たぶん似たもの同士だからじゃないかと思う。
そこから子がいなくなる・・・
想像できません ごめんなさい。
でも子供が何人いようとも失う悲しみと苦しさは同じだと思います。
だってその子は1人しか存在しないのですから。
逆縁だけはお断り!と娘息子には言っている私です。
私も何が一番悲しい事かと言えば子供に先立たれることだと思います。
そう言えばクラス会で息子さんを事故で亡くした友人がいました。どれだけ悲しい事だったか想像できませんよね。
ニュースを見ても、そういう悲しみもこの世にはあることを思います。
子供が何人いても失う悲しみは同じ・・そうですよね。
聖子ちゃん、紅白に出場するそうですね。でも何か気持ちがまぎれることがあった方がいいと思います。することが無いと、そのことばかり考えてしまいそうだから。。。