きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

インフル注意報

2013-01-19 | 今の会社
Aさんが病院に行ったらインフルだったそうである。

「今日は予定がてんこ盛りだったから」と言い、「マスクはしたけど客の所にも行ってしまった」と言う。

「実は家族中インフルなんですよ、自分も感染してるかも」と客に言われたけど、「自分は今インフルですから(ご心配なく)」とはとても言えなかった。次にどこそこに行って、そこの社長にもつかまって、長々話をされて気になったけどやはり「実は自分今インフルなんです(だから危ないですよ)」とは言えなかったと言う。

でも今日はだいぶ良くなったよ、昨日は計ったら8度7分だった。早く帰ってぐっすり寝たから今日は7度8分ぐらいだから、と言う。

「最近、みんな体調悪いですよね、社長も」と私は言い、「今日は午前中全然来ませんでした、午後になって一瞬すっと来て、またどこに行くともなく居なくなりそのまま。実はまだ調子が悪いんではないでしょうか。」と言うと、「そんなことないよ」とAさんは言い、昨日飯に連れて行かれたでしょ、カレーうどん食べてたからね、腹壊した人のチョイスじゃないでしょカレーうどんって、それも七味ガバガバ入れて食べてた、ただの飲みすぎだったんだよ、と言う。

そうですよねぇ、あの人が病気になるなんて(ウィルスの方が恐れをなして逃げるだろう)と私も言うけど、でも、ラーメンでなくてうどんって言う辺りで、自信の無さを感じるような気もする。

私の首も徐々に回復しているのだろう、今日は掃除をしようと言う気になった。
さっそく暖房を入れることにした。
あちこち調子悪くなって病院に行くより、部屋を温めて元気でいた方が経済的かもしれない。

首はまだ完璧上下左右には曲がらず、たまにギックリ痛い。寝る時はまだ辛い。
それでも、掃除をしたり電車に乗って買い物に出ようと思うほど、全然普通に動けるようになったので喜んでいる。

今まで自由に手も足も首も思いのまま動いた事、何の痛みもなくゆっくり寝れたことが、どれだけありがたいことかと分かった。
これからはそれが当たり前だとは思わないだろう。

Aさんは熱を出したのは何年ぶりだろうと言い、あの病気以来だよと言う。

これからもうひとふんばり、掃除機かける。^^

まだ首が曲がらないのでうがいが奥までちゃんとできない。
でもなるべく予防したい。

今日こそは

2013-01-18 | 母子家庭だから思うこと
今日はファイルをコピーして5冊作った。

頼まれごとは雑用ばかりで、自分の経理の仕事はいつも後回し。
それで休みの日に来たり、最後に事務所を鍵を掛けて帰ったりしてるんだよね。

でも最近、そんな自分を好きになることにした。^^

私生活で旦那さんのアイロンがけや靴を磨くことのない私は、この雑用の数々がその身代わりのような気がして、それなりに自分を満たしてくれているかもしれない。

そし思ったら、ちょっとした頼まれごともありがたいような気がして
毎日楽しくなった。

こんな風に思えたら、家に居て家事をするのも楽しいかもしれない。

私は怠け者なので、楽チンなことや娯楽を「楽しい」と思いがちだけど
「楽チンになのが快感」と言う考え方を排除すれば、日々の暮らしは楽しいことの連続かもしれない。

ひとつひとつのお皿に愛着があれば、お皿洗いも楽しくなるかもしれない。
季節の野菜で料理したり、家を飾ったりすることも楽しくなるかもしれないなぁ。


「こんなに頑張ってます」「こんなに大変なんです」と言うことを
言わなくても、ちゃんと見ててくれる人が近くにいることはうれしい。
それが家族であっても、友だちであっても、行き交う人であっても。

でもそれは気づくきっかけであって、全てじゃない。

ほんとに自分を好きになって、ちょっと背筋を伸ばすことができたら
誰でもそう言う気持になれるのではないか?

人と比べることや頼ることで、自分の存在をたしかめていると
誰かが必要になってしまうけど
ちょっと背筋を伸ばしてみると毎日が楽しくなる。

そんなことをkekeに伝えたい。

仕事から帰るとくたくたで、昨日も夕飯を一緒に食べられなかった。
今日こそは。

今日の会社メモ

2013-01-17 | 今の会社
今日は会社に行くとnanuさんが居て
「オレ、これからMTの会社に図面を取りに行って、それからPを見て、それからDで検査。その後戻らないかも」
と言い残して出て行った。(今みんなそんな感じ)

昨日の午前中点滴を打つほど体調の悪くてお昼もレトルトのおかゆを食べてた社長の車が(昨日は奥さんの車で帰ったのに)無かったから、「もう(良くなって)来たんですか?」とnanuさんに尋ねると、もう復活して新しい仕事の話を聞きに行ったみたい。

お年賀の余りが2個あったうちの1個が今日消えていた。
「誰が持って帰っちゃったんだろう」と思いながら、ゴミ箱のゴミをあちこち集めていたら、秀クンのゴミ箱の隣に置いてある袋にお菓子が幾つも入っていた。その中に消えたお年賀もあった。

頼まれた領収書は印紙を買いに行かなくてはならなくて、郵便局に行って戻ってきたら、こっちに向かって来るトラックがあって、中に乗っているのがライ田さんだったから「留守にしててすみません」と言ったら、「サンプルやカタログをポストに入れておきました。」といたって奥ゆかしく真面目に話すものだから、きっと何日か前の「お尻プリプリ」を連呼してた会話は覚えていないみたい。

Aさんが「風邪ひいたみたい」と言って、「たぶん高熱になってると思う」と言って、「このあと病院に行ってくる」と言った直後、出かけてた社長が帰ってきて新しい仕事の話をどんどんしだして、「それじゃ飯食いに行こう」と二人で出て行った。(ウィルスが蔓延しませんように。)

新しい現場の事務所に部屋を借りるのに、謄本もほしいと言われて取りに行く事にした。
サイドミラーは充分見れるようになったけど、窓を開けてお尻から駐車するのにまだ振り向けるほど首が曲がらない。だから、両端が駐車している所には怖くて止められない。
2台分空いている所に安心して1度入れてから、少しづつ脇に寄せるという駐車の仕方をしてどうにか止めた。
(案ずるより産むが安しとはこの事か。)

税理士の先生から電話があって、今まで支払いは源泉10%を預かって、こちらの源泉所得税と一緒に払っていたのだけど、今月分から10.21%に値上がりするのだそうだ。
(値上がりした0.21%分は『復興特別所得税』と言う名前なのだそうだ。)
これ、個人事業主だけではなくて、サラリーマンも所得税に含まれて天引きされる。
年収500万の人で毎月100円とか200円とかそのぐらいのイメージ。年収が多い人(1000万以上クラスとか)だと毎月1000円以上加算される人もいる。全然知らなかった。

新しく水槽にやってきたネオンテトラはエサに慣れてなくて、エサをまいても古い魚しか寄ってこないのだけど、今日は賢い何匹かが気がついて上に上がってきてた。
他の魚の食いちぎった小さなカケラを小さくパクッと食べるテトラ、カワイイ。

雪どけ

2013-01-16 | 日記
昨日の昼まで雪も溶けてきて、今日は数日ぶりに車に乗った。
やっぱりいいなァ。
エアコンつけて、好きな曲を聴きながら、ハンドル握って思うまま目的地に着くって言うのは。
左サイドミラーも苦なく見れるようになったよ。

あとは夜だ。
昨日は初めて枕にズボッと頭が沈んだ。
「楽だなァ」と思った。それでもやはりまだ寝苦しくて目が覚めると頭の向きを探す。
早く思いのまま眠りたいです。

それでも元気になった証拠に、昨日は皮膚科に行った。
おでこがかぶれてきて、10円玉ぐらいになったので、軟膏をもらいに行った。
「過労やストレスが原因」と言われ、ビタミン剤まで処方してもらった。
ステロイドの薬はあまり長くは使えないので(かぶれはすぐに治るでしょうが)薬はしばらく飲みましょう、と言う話である。

こうして病院ばかり巡っていると、本当に年とったと思う。
元気になったら、体を動かしたいな。
思うままはねて飛んで歩いて、それから料理も作ろう。
そもそもビタミン剤でかぶれを予防するなんて邪道だよ。


連休中に、kekeが久しぶりに友達と食事に行った。
私が知る限りでは、2年ぶりぐらいになるのではないか。

若い頃は友達と呼べる誰かがいないと、世界から取り残された気がして
とても恥ずかしいような思いをしていて
誰でもいいから「友達」になってないといけないような気がして
引きずられるような無理した付き合いをしてた。

きっとそう言う若い人、多いのではないかしら。
それとも、今はネットやスマホがあるから、そこまで無理してリアルな友達を作らなくても済むのかな。

なので、kekeには「友達が多い方がいい」と言ったことがない。
少ない方がいいとも言わないけれど、「我慢」している付き合いには「我慢してる」と言う自覚があった方がいい。
それが当たり前の生活だと思いこんでいたら、自分の居場所がどこにも無くなってしまうからね。

kekeは割とそこいら辺は分かってて、無理して付き合うことをしない。
自分の基盤があって、それに合うかどうかをちゃんと判断してる。
それは良いことだと思う。


でも、私が死んでしまったらどうなるんだろう。
それは考えてしまうけど、いまさら友達は用意できないし、一人でもそうでなくても生きて行ってもらうしかないんだな。

さぁ、今日も仕事しよう。

『駅』/中森明菜

2013-01-14 | 歌謡曲・カラオケ
こちらは雪が結構つもりました。

この寒さになると中森明菜のアルバム『CRIMSON』(クリムゾン)を思い出します。
wikiによると1986年の12月24日に発売されたそうで、私は翌年1987年のこの頃行きも帰りもこのアルバムを聴いていたことになります。
アルバムは小林明子と竹内まりやが作曲を担当した、「恋にクールな大人の女性」の曲を静かに語るように明菜が歌っているのです。^^

この中で代表曲だろうと思われるのが「駅」と言う曲。
これは昔つきあっていたと思われる男性を偶然改札口で見かけてしまう場面で始まります。
思わず駆け寄ろうとするけれど、気まずい別れ(女性のほうがフラれたのだろうか)を思い出し、ハッと足を止めるところで、しかし、どうしてももう少し彼の姿が見たくて隣の車両に乗るんですね、そして彼の事を見続け、「この私の姿に気付いてくれたなら」と願うのだけど、そう言う事も無く、かつて愛されたことだけを胸にしまって後姿を見送る歌なのです。

実はね、当時家庭教師で教えてた女の子も明菜のファンで、彼女が明星だか平凡だか(?)を買っていて、それにこの『CRIMSON』全曲歌詞が載ってて、アルバムを聴く前に歌詞を全部読ませてもらったんですよ。^^
それで楽しみに楽しみにしててのレンタルだったのです。

そして「駅」の続きなのですが、この後に一波乱ありまして、(ここから先はあくまで噂でありますよ)、作詞作曲した竹内まりやとその旦那:山下達郎が「これはあんなボソボソ歌うような歌じゃない!」「この名曲をなぜシングルにしないのか!」と言い出して、自分でシングルで売り出したのが、皆さんご存知大ヒットした竹内まりやの「駅」なのだそうです。

私は明菜のCRIMSONの「駅」を先に聴いていたので、レコード屋で竹内まりや版の「駅」を聞いた時に「え!なんでこんなあけっぴろげな歌になっちゃったの?!」とビックリしたのを覚えています。
サビをグッとこらえて静かに歌う明菜の捉え方が、何とも切なく私は好きでした。^^

この翌年に明菜は加藤登紀子作詞作曲で「難破船」言うシングルを出すのですが、その曲は失恋するだろう恋をキッと振り切って必死に前に進もうとする女性の曲なのですが、この曲ではサビを「あなたも一緒に海に沈めたい」と壮大に盛り上げていくんですね。
それを思うと、やはりこの「駅」の静かな歌い方は、明菜の歌詞からの解釈、それからアルバム『CRIMSON』のコンセプトがあったからこそなのだと思うんですよね。(^o^)

気になる方はぜひ、「youtube 中森明菜 駅」で探してみてください。


他にもこのアルバムには、竹内まりやもアルバムに入れている「OH NO, OH YES!」、それからカラオケで歌うと「誰の歌?」と必ず訊かれる「ミックジャガーに微笑を」(同じ明菜ファンの友達談)、私が真似した買って履いた「赤のエナメル」いろいろあるのですが、それはまたの機会に。。。

ある日突然何の脈略も無く

2013-01-13 | 日記
昨日は、洗濯をしてから父の所に行き、その後仕事も少し片付けたいし、図書館で本を返そうと、いつもの土曜日を考えていたのだけど、洗濯しただけで挫折した。

体を横たえたら起きれなくなった。

窓からの青空をぼんやり見て、それが暗くなっていく様。
今年に入ってからそんなのを何回見ただろう。
「今日一日何をしていたんだろう」と虚しくなる。

ただ、怠けているだけなのか。
体のせいにして。
そんな風にも考える。

そんなだから夜は夜でたいして眠れず、相変わらずどうしたら頭痛が治まるのか枕の位置を直したり、そんなことばかりしてて、OMさんに「枕の高さは低い方がいいのか?」と相談すると、低い事を勧められたと言うけど、どうしても慣れなくて今日だけはと高くしてみたりする。

こんな自分の体は「なるべくしてなったのだ」と恨みも悲しみも持たないけれど、今回はたまたまこれで済んだわけで、これが脳溢血みたいな病気であることもいつかはあるよね。

ある日突然、何の脈略も無く、バタッと倒れて体が半分動かなくなったり、最悪そのまま死んでしまったりする。それをリアルに考えた。

倒れてしまって体が動かなくなった私に、いまさら友達もクソも関係なくて、かえってそんな姿見てほしく無いと思って、そうなったら最後は家族ぐらいなのだと。
私たち、けっこう人間関係に苦しんでいる事もあるけど、家族以外は最後、どうでもいいんじゃん、居なくてもいいんじゃん。(だから、そんなに悩む事無いよ)


昔だったら郵送して翌日でなければ届かなかったたくさんの書類がネットで送れたりして、生活は便利になったけど、人々の要求も水準が上がったから、意外に達成感が無いね。
朝から晩までスピードを求められ、毎日くたくたで、でもそうしてないと、他に先を越されてしまうしんどさばかりで。

そしてある日何の脈略も無く、仕事がなくなったり、めっちゃ失恋したり裏切られたり、病気で倒れたり、そこに多少の理由はあったにしても大方コントロールできるものではないはずなのに、そこの所の容赦なさの底なし。
これだけの便利さと比べたひずみ。

「自分の命ってこんなにも薄っぺらだったんかぁ」と気付いた時。
大の大人でもこうなんだから、若者だったらもっと切ないかもね。


図書館にも行けなかったんだから、怠けてたわけじゃないと信じて今日こそ出かけよう。

人生いろいろさ!

2013-01-12 | 今の会社
新年会の受付を終え席についてみると、今年はライ田さんの隣の席が空いていた。

ライ田さんとはSのフォーティエイト生まれ(詳しくはココに)で小さな会社の社長さんでもある。
普段は真面目でおとなしくてイイ人なのだが、酒を飲むと豹変すると言う噂もある。

「sakeさん、ステキなスカーフですね。」と言うので、「あ、首がムチウチになってしまったの隠しているのです。」と言うと、ライ田さんは「ムチですか」と言い、「そう言うプレイも好きなんです、ムチにスチュワーデス(薔薇巻きのこと)なんて最高です。」と下ネタから始まるのであった。

すると課長が「ライ田クンの所もカミさんが若いんだよね」と言うネタを押してきて、ここで二人は共通して13歳年下妻をもらっていることが判明した。
「やっぱり若い奥さんは良いですか。」とつぶやくと、二人は「若い方がいい!」と強く断言して、ライ田さんは「お尻がプリプリしてるんです。」と言う。「若いと同じことをされても可愛いんですよ」と言う。

「お子さんはいらっしゃるんですか?」と尋ねると、「今1歳半です。前の奥さんの所には高3と高1の男がいます。」と言う。

「高校生になると金が掛かって養育費も大変です。」と言うので、養育費!!と私がつぶやいたのは、このブログも開設当初は養育費無しには語れないほどの、養育費ブログだったからである。

「養育費!!幾ら払っているんですか」
「1人7万で月14万です。それ以外にも修学旅行やイベントのたびにお金を。」
「そんなに送ってるんですか!」

私の月4万であれだけもらうのに大変だったのに、月に14万プラスアルファとは。
と思っていると、「それが大変だったのです。」とライ田さんは話を続けた。


今はこうして会社が軌道に乗ってきましたが、独立当初はまだ苦しい時期があったのです。
たしかにその頃払えないことがたびたびありました。
そしたら前の奥さん、何をしてきたと思いますか?
公正役場で証文と言うのを作るんですけどね、離婚の時に二人で作るんですよ、
そう言うのがあるんですけどね、それで差し押さえにしたのです。

そうすると、銀行口座も全て凍結してしまうんですよ。
社員に給料が払えないじゃないですか。
金をかき集めて、慌てふためいて払ったのです。

「あの時は【お前なんぞ死んじまえ】と言う勢いでした。」とライ田さんは言うので、私はブッと吹きながら、たぶんそうでしょうねぇ、と心の中で同意した。

「しかし、【お前なんぞ死んじまえ】と言う勢い、ただならぬ離婚ではありませんね?何か恨まれごとでも?」と突っ込むと、ライ田さんはしばらくすっとぼけていたが、やがて「奥さんがどうしてもキライになってしまったのです」と言い、「そして好きな女もできました。」と吐露した。


 「好き」なものはキライになれないし、「キライ」なものは好きにはなれない。

 それを表面に出さないようにごまかして暮らしている人もいるし
 表に出して別れる人もいる。それだけのこと。

 本当はだから、キライにならないようにしなきゃいけなかったんだよね。
 毎日毎日を同じ歩幅で、お互いに相手を思い合って。

 でもそれって、簡単なようで難しい。
 私の頚椎のようにたまにゆがむことがある。


ライ田さんはいよいよ酒が回ってきたのか(そんなに飲んでいるようには見えなかったが)、「sakeさん、実は好みのタイプなんです」と言うので、ライ田さんが独身でしたら良かったのに、と見え透いたお世辞を述べながら「アナタは13歳年下の奥さんがいるじゃありませんか」と言うと、「お尻がプリプリしてるだけですから。」と言う。(でもアタシはお尻さえプリプリしてないよ。)


そしてこの私の貫禄。
一昔前だったら、怒り爆発、戦争勃発寸前のこの地雷(男の暴言)の数々。
一つとて私を怒らせはしなかった。
私はここで15年生き、男を見続け、やっと「男とはこう言う動物(モノ)なのだ」と言う悟りを開いたのだろうか。(たぶんそうだと思うヨ)

エレベーターの前でnanuさんに「私はこれで帰ります、トイレに寄りますので先に行ってください。」と言った。
アイヨそれじゃな、とnanuさんは言った。

私が居なければ、この後キャバクラでもどんな店でも行きやすいだろうと気を利かせて、1人帰路につく私だった。楽しんでこいよ、男達。

あこがれの薔薇巻き

2013-01-11 | 健康とか病院とか
昨夜は初めて熟睡したような気がする。
気分爽快。

やっとスーパーにも買い物に行く気になった。

今日は新年会なのでバスで会社に行くことにした。
20分ぐらい歩いてみた。
この10日ぐらいほとんど歩いていなかったので、それだけで筋肉痛っぽくなった。

一昨日はビールを久しぶりに飲んでみた。
それでゆっくり寝れるかと思ったら、夜中に痛みで目が覚め(首と言うより頭痛の方が近い)、それからまた七転八倒、あちこちの向きに寝返っても、枕の高さを変えても痛くて痛くてたまらなかった。

ビールのせいではないのだろうが、ビールと条件反射してしまい、もうしばらくビールを飲む気になれない。
それでも昨夜は寝れたし今日はここまで歩けた。
それだけで何も言うことは無い。

包帯の首が痛々しいので、今日の新年会はスカーフを持ってきた。

私なりに考えて、スカーフで包帯を隠そうと言うアイデアである。
あの、キャビンアテンダント、つまりスチュワーデスさんのスカーフのように結びたいと思い、ANAのHPで「スカーフの結び方(薔薇巻き)」と言うのを一昨日から練習していると言う念の入りようだ。

よし、これでいこう!と鏡の前で決めてみるが、ブッと吹き出してしまう。

と言うのも私は首がかなり短くて、ぞうのようなのだ。
だから、とっくりセーターも嫌いだし、スカーフなんて一生縁がないものだと思っていた。

う~ん、首がつまって薔薇がもがいてて何とも似合わない。
アハハハハ!

しかし包帯を隠すためだと思えば自他ともに許せる。
それにこの薔薇巻き、ひそかに憧れていたんだよね。^^
こう言う機会がなければ、CAの薔薇巻きとも一生縁がなかっただろう。
(※ちなみにこの「薔薇巻き」二日間も練習する様な難しいものではありません。)

包帯も明日からははずそうと思うし、あとはカラオケだな!


この一週間あまり、kekeには毎日買い物に行ってもらい、夕飯の用意をしてもらった。
一昨日は豚丼を作ってくれた。肩もみまでしてもらった。

これから元気になったら、おいしいものをたくさん作るんだ。

薔薇巻き・・誰か褒めてくれる人いるかなぁ。(^○^)
楽しみ。



新しい魚たち

2013-01-10 | 今の会社
ZENさんが魚を買ってきた。
ネオンテトラとコリドラスである。

コリドラスも掃除系の魚らしい。
プレコが1匹になってしまったので私が「これから次々死ぬと心配だからもっと買ってきて下さい」と頼んだのである。
プレコのように吸盤で地面や壁面にくっつくのではなく、普通に泳いでいる。
そして底に沈んだエサを吸い取ったりしているようだ。
表情はひげがあって、ドジョウのようでもある。

ZENさんはそれらを入れ終わると「ほら、エンゼルが追いかけまわしてるだろ」と言うので、見てみると確かにエンゼルフィッシュにネオンテトラは追いかけ回されていた。
(この前言った通り)死刑だな」と言うので私はえぇーと言うと、殺すのは可哀想ですよぉ・・と言うけど、ZENさんはこのままだとみんな食われちまうぞと言う。

「水槽に敷居とかどうでしょうかねぇ」
「かっこ悪いでしょ」

そして私の目の前では殺すのも忍びないと思ったのか、「全部食われたらsakeさんのせいだから」と捨て台詞を残して去って行こうとするので、「えっいいですよーZENさんに任せますよう~」と言うけれど、「60匹で1800円だったから」とブツブツ言いながら去って行った。
しかも「ハイこれ」と魚をすくう網を残していった。←私が死刑にしろと?!

私は夕方、心配になって水槽を見てみると、目の前でテトラがパクリと頭をもぎ取られていた。

あーほんとに食べられてるー
秀くんやnanuさんに食べられてますよと言うと、だろ?と言う。

「ここまで大きくしたエンゼルを殺すとは」と言うと、「食べられる魚の命だって同じだ、食われる方の身になってみろ」と言い、いっしょに飼うのは無理なんだからと言う。
Aさんも「それを提案したのはオレ」と言い、「今の水槽では客に見せられない、きれいじゃないでしょ」「それならsakeさんが家で飼えば」と痛い所をついてきた。


そんなことなら、最初から飼わなければいいのに!

と言いたいのはやまやまだが、飼い始めたのは他でもない、社長なのだ。
そして今回の一連の生死騒ぎの蚊帳の外にいるのだ。


翌朝、おそるおそる水槽を除くと、テトラは半分程度になっていた。
(900円が水槽の泡のごとく消えた模様。)

もう水槽や魚にはあまり関わらず傍観者(エサをまくだけの人)に徹しよう。

運転開始!

2013-01-09 | 健康とか病院とか
昨日から見切り発車的に運転開始。

不幸中の幸いは、会社の駐車場も自分トコも、頭ツッコミ入れで後ろにあまり人が通らないことだ。
これが前からよく見てないと出られないような駐車場だったら、車では行けなかった。
(窓開けて後ろを見ないと駐車できないから。)
出す時は充分注意してゆっくり出して、さぁ出発だ。

ここで気がついたのは、左サイドミラーを見るためには首を曲げなければならないこと。
昨日はおそるおそる首を少し曲げてみた。
どうにか大丈夫そうだ。
(今現在はさらに曲がるようになっている。)

右サイドミラーは全然見られるが、左は首を曲げないとミラーが見られない。
炎症が右側だから右はもっと曲がらないのだが運転席が右なので助かったのだ。
これが首の左側の炎症だったら大変だった。

左のサイドミラーをあまり見たくないので、左車線の変更はできれば避けたいのだが、どうしても3箇所しなければならない箇所がある。
なので、バックミラーで後ろの様子を常に気にしながら、しっかり空いているのを確認して、サイドミラーでもう一度見て、早めにチカチカして、車線変更。

ふー。

左折・右折も死角もあるから、ほんとにゆっくり「今から曲がりますよー」と歩行者と自転車によく見えるようにアピールしながら曲がる。
特に左折では、ピューとスピードあげて渡ろうとする自転車は左側の視覚に入るのがいつもより遅いから、とにかくゆっくり曲がる。

それから、常に急がない。
バイク1台を抜かすのも怖いので抜かさない。
右へ左へ車線変更するのが嫌だからだ。
遅くていい。バス停はバスが発車してからでいい。


こうして慎重に慎重に運転してみて、気がついた。
昔はこうして運転していたではないか。
こう言う教習所で教わる安全運転をすることが自分の誇りだったではないか。
そもそも「バックミラーで後ろの様子を常に気にしながら・・・」って、当たり前のことではないか。

それが今では「バスは遅いから、ここで抜かしちゃおう」とか、「あの車が遅いから抜かしてやれ」とか、右車線の方がすいているから右車線のまま右折して(二車線同時に右折箇所)右折してから強引に左車線に入るとか、何をやいわんや。

そしてゆっくりゆっくり運転していると当時の事を思い出し、あの頃毎日車に乗るのが楽しみでワクワクしていたことも思いだして、とても満たされた気持になっていく。。。。


しかし、あまりゆっくりしていると後ろがつながってしまうようなので、ほどほどにしよう。