言葉は政治家の命と言いますが、日本の政治家が言葉を失って久しくなります。最近では、賛否はあるでしょうが、言葉に力があったのは小泉さんくらいですね。そんな中、昨日国会で党首討論が行われました。
小泉政権時代は一枚上手の小泉さんの前に民主党は歯が立たず、安倍政権以降も民主党小沢代表は口べたでなかなか攻めきれませんでした。それが昨日は、民主党鳩山代表の圧勝でした。麻生首相の自滅という面もあるのですが、ひ弱な印象があった鳩山さんが堂々たる総理候補に見えました。以前は浮世離れして聞こえた「友愛」という信条も、今の時代は説得力がありますし、語る鳩山さん自身の言葉に力がありました。
方や麻生首相は完敗でした。度重なる失言問題で、慎重な物言いが習慣になっていますが、まったく自分の言葉になっていませんし、その上、しどろもどろになったりと全く信頼が置ける「言葉」がありませんでした。ここで言っている言葉には、当然態度や表情も含まれます。
アメリカでは大統領選挙で討論会が行われますが、この出来が選挙戦の行方を左右するとして、非常に重きを置かれています。議論の内容(言葉そのもの)もそうですですが、瞬き(まばたき)が多い候補者が自信がないと見なされて落選するなど、その態度・表情も非常に重要な要素になっているのです。だから、アメリカではプロのスピーチライターがいて、原稿なしに読んでいるように見えるテレプロンプター(原稿を映し出すモニター)などが市民権を得ているのです。そういう専門家がいれば、誰でもいいじゃないかというと、やはり最後は語る人の中に「言葉(気持ち)」があるかどうかが大事な要素になります。オバマ大統領のスピーチライターも一躍有名になりましたが、オバマさんが彼の原稿を棒読みしているのではなく、オバマさんの考えを理解して、ライターが原稿を起こし、オバマさんも気持ちをこめて語ればこそ、「YES,We Can」「CHANGE」という言葉が人々の心を揺すぶったのでしょう。また、古い話ですが、スペースシャトルのチャレンジャーの事故のあと、レーガン大統領が国民に語りかけた言葉もスピーチライターの手になるものですが、あれも俳優だったレーガンが心をこめて(というより、すっかりその役になり切って)語ったから国民の心に響いたのでしょう。
ということで、麻生首相がここのところ支持率を一段と下げていますが、これは失言を防ごうと慎重になればなるほど、言葉は空疎になり、言葉の空疎さを隠すために見せる余裕を装った笑顔が虚勢と見透かされているのでしょう(本当にあの笑顔は嘘くさく、首相官邸での手をあげる姿勢も単なる格好つけで本当にいやになります。自国の総理をこんな風に思うのは残念ですが、こうした格好付けをしたいがためにだけに首相を目指してきたのではと思えてしまいます…)。
とまあ、寂しい日本の政治事情につい熱がこもってしまいましたが、本当に言いたかったことは、仕事であれ、少年野球であれ、(心のこもった)言葉が大切だということが言いたかっただけです。大統領にはスピーチライターが必要ですが、普通の人にはそんなものはいりません。うまく表現できるにこしたことはありませんが、不器用であっても、訥々とであっても、相手に伝えたいと本当に思う「言葉」があれば、それは必ず伝わります。そういう「言葉」を持ちたいものです。
今日のジョグ
5km 30分14秒