昔の二枚目俳優田宮二郎が35歳の時に演じたコマーシャルを、現在35歳のSUMAP稲垣吾郎がをそっくり同じ演出でコマーシャルを撮ったとテレビでやっていました(既にオンエア中です。「酒はぁ~〇〇、心意気~」と歌っているCMです)。確かに、コマ割などは昔とまったく同じですが、演者の「貫禄」がまったく違います。別に稲垣吾郎だけがそうだとは言いませんが、今の大人(が何歳かも議論があるかと思いますが)はよく言えば若々しく、悪く言えば大人としての風格、重みに欠けます。
「同じ歳でも昔の人の方が貫録があるよなあ」とカミさんに言うと、「昔の人の方がおじさんなんだよ」と身も蓋もない答えが返ってきました。しかし、そんな単純な問題ではないと思います(何て言っているから、いつもカミさんから理屈っぽいと言われるのですが)。
一般論としては、ひたすらに坂の上の雲を目指した明治、危険がすぐ目の前にあった戦前戦後、再び世界へのキャッチアップを目指して邁進した高度成長期などと、飽食の時代を経てうつむきながら下り坂を下っているかのような現在では、人の顔を作る時代背景が自ずと違うということがありますが、それだけでもないと思います。
一つには、寿命が延びて高齢化していることがあります。織田信長の時代は人生50年でしたし、終戦後も平均余命は男50歳代、女性60歳代でした。管理人が生まれた昭和40年でも男67歳、女74歳と今より10歳以上も短かったわけです。会社の定年も50歳とか、55歳とかで、60歳以降は「余生」だったわけです。当然、30歳以降は人生の折り返しを過ぎているのですから、しっかりとした「大人」になっていたわけです。
もう一つは、人口動態(人口構成)の変化があります。昔は生まれる人の数と死ぬ人の数のバランスがとれており、人口動態はピラミッド型になっていました。ですから、人は年を重ねるにつれて、自然にそれなりのポジションに位置づけられて、大人にならざるを得なかったわけです。ところが、今は少子高齢化で人口動態がいびつになり、上に行くほど人口が多く、若い人ほど人口が少ないわけです。いつまで経っても上の年齢にたくさんいますから、どうしたって上から押さえつけられて貫禄はつきません(社会の縮図である会社でも同じことが起きています。昔は40歳をすぎたら堂々たるものでしたが、今ではペーペーみたいなものです)。
最後は、責任感というか、腹のくくり方の違いだと思いますが、これとて、時代の変化と無関係ではありません。昔は頑張れば報われると信じることが出来たからこそ、しっかり腹をくくって、いろんなことに責任を持てたのだと思います。しかし、今の時代、残念ながら、子どもたちに向かって頑張れば必ず報われるとは言えない時代です。大人自身が自信を持てない時代ですから、どうしても顔に貫録が出てきません。
何か顔に自信が持てない自分たちの世代の言い訳をしているようですが、いずれは自分の顔に責任を持てるようになりたいですね(私は昔から老けていると言われていますが、老けているからと言って、「大人の顔」というわけではないですからね…)。
そして、子どもたちに向かっては、頑張れば必ず報われるとは言えなくとも、「野球」だけは頑張れば絶対にうまくなると強く言いたいと思います!
今日のジョグ
5km 27分13秒