八王子市散田町在住のスポーツ好き親父の戯言!

八王子市の学童野球チーム散田ドラゴンズ元管理人(2007年3月~2016年2月)のブログです。

鳩山首相辞任表明…

2010年06月02日 18時59分31秒 | 管理人のこと、雑感

昨夜、小沢幹事長との会談後に親指を立てた鳩山首相ですが、今日辞任を表明し、併せて小沢幹事長にも辞任を求め、鳩山・小沢体制が終わることになりました。

 

マスコミは早くも後継者は誰だということと、党内で最大派閥を率いる小沢一郎氏の影響力がどうなるかを中心に報道しています。相も変わらずの「政局」話です。

 

しかし、衆院選で自民党に圧勝し政権交代を果たし、自民党自体もまったく次の展望が描けない体たらくで、自らミスしない限り、どう転んでも今夏の参議院選も負けるはずはない状況だったにも関わらず、こうした状況に陥ったことは真摯に反省すべきでしょうね。

 

小沢幹事長の政治資金規制法に関する問題はやや作られた事件の気味があり、気の毒な感があります。しかし、本人にその意図がなかったとしても、結果的に民主党政権が政府と党の二頭体制になり、意思決定が迷走したことについては、第一義的には鳩山首相の責任ですが、小沢幹事長にも同様に責任があります。

 

その意味で、鳩山首相と小沢幹事長が同時に辞任することは当然のことだと思いますが、問題は、今後の体制を巡って、党内の最大勢力の小沢グループと反小沢という軸で争いを起こすと、また同じことが起きるということです。

 

小沢氏は今夏の参院選に全精力を注いでおり、ここで過半数をとり、政権交代を完全なものにすることを政治的な最終目標にしていたように伺われます。であるならば、ここで自らのグループに対して、妙な影響力を発揮しないのが、賢明です。

 

一方、「小沢氏と距離を置くグループ」という枕詞で紹介される人たちも、いい加減こういう存在感のなさを示す枕詞から卒業した方がいいですね。アンチ巨人は結局巨人がなければ存在意義がないと言われるのと一緒です。反小沢ではなく、「親国民」を貫けば自然と党内での存在感ももっとますのではないでしょうか。

 

そして、小沢チルドレンを筆頭に経験の少ない議員もたくさんいますが、1回生であろうと、10回生だろうと国民の負託を受けているという点では同等です。誰々に選挙で世話になったからとか、誰々を応援した方が得だからということではなく、次の体制を選択することが必要です。

 

そして、何よりもそういうことが組織的に継続していくような仕組みに出来るかどうかが民主党に問われているでしょうね。国民が民主党、というよりは、政権交代に期待したのはそういうことですからね。そこを勘違いしてはいけないですね。正直なところ、まだ全然過去を総括できていない自民党に政権を戻すには早すぎます。しっかりと立て直してくれることを期待します。

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大垂水峠!

2010年06月02日 12時29分36秒 | Jog&Walk,Health

先日高尾山の番組を見て以来、やはり地元のことを知らなくてはと、少し勉強をしています。といっても、高尾山のHPやウィキペディアを見るくらいなものですが。現代人は横着になっていけませんね。今、「旅する巨人」と言われた民俗学者宮本常一を描いた佐野眞一のノンフィクションを読んでいますが、宮本常一という人は、アカデミズムの世界でのいわゆる「偉い」学者ではないそうですが、自分の足で実地に日本各地を歩いて集めた情報は他を寄せ付けない圧倒的なものであるそうです。人間の生活、人間そのものを見るには、実地に歩いて、見ることが何よりも大切という信念の人だったようです。現代人はネットという便利な道具を手に入れ、私自身も活用しており否定をするつもりはありませんが、実際に見なければ分からないことも確かにありますね。

 

ということで、前置きが長くなりましたが、地元八王子を実地に知るために(?)、走りに行きました。甲州街道の並木町からスタートです。

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5kmほど進むと、いつも折り返す高尾山口ですが、今日はそのまま甲州街道を進みます。

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少し行くと圏央道のインターチェンジの工事をやっています。私としては群馬の実家に行くにに便利になる反面、こうした巨大な構築物が高尾山のすぐ裏側の山あいに現れると、少し胸が痛みますね。さらに進むと、ホテルや産廃処理場などあまり情緒的とも言えない、猥雑な光景が続き、自動車もビュンビュンと通っていきます。

しかし、それを抜けると、急に緑が濃くなり、陽射しも届かなくなり、薄暗くなります。おまけに道の脇を浅川の支流の案内川が流れ、下から冷気が湧き出してきて、体がぞくぞくっとします。登りもきつくなり、なかなか前に進みません。

現在の甲州街道は明治以降の道筋ですが、道が狭く険しかった旧道などはもっと寂しく鬱蒼としていたのではないかと思います。昔の旅人の峠越えというのはさぞ心細かったんでしょうね。それとも結構旅も盛んだったとも言いますから、意外と賑やかだったのでしょうか。

そうこうしながら、さらに登ると、大垂水と書かれたバス停が現れ、暫くするとぽっかりと口を空けた光とともに、漸く大垂水峠の看板です。ここまででほぼ10kmです。

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標高392mとあります。大垂水峠という大仰な名前ですが、この峠に道が通ったのは明治に入ってからのことです。旧道は中央本線や中央高速と並行して走り小仏峠を越える道です(「甲州街道、甲州街道旧道を往く」)。江戸幕府は江戸の守りを固めるために、わざと急峻な小仏峠を通るルートを定め、関所を置きましたが、明治政府は自動車が通れない旧道を廃し、現在の大垂水峠を通るルートにしたそうです。明治21年のことだそうです。

以前、小仏トンネル付近の南浅川の水源地までは行きましたが、南浅川の支流の案内川の水源は、上の写真にあるように、たぶん大垂水峠の横付近と思われます(向こう側だと相模湖の方に流れていってしまいますから)。

 

 

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大垂水峠ではチョロチョロだった案内川も高尾山口まで来ると、これだけの流量になります。

 

 

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そして、南浅川と合流し、高尾駅をすぎたあたりでは、このように川幅を広げます。実は、高尾駅前に来る前に南浅川は北に大きく迂回するような形をしていますが、これは実際に治水のために江戸時代に迂回させたものだそうです。それまでは、現在の両界橋より前で東に急転し甲州街道の南側を流れていたのだそうです。しかし、急に曲がっていることに加え、山から下っていることもあって、大雨が降って増水すると氾濫し、今の西浅川町川原宿一帯を水浸しにしていたそうです。そこで、地元の郷士格の設楽杢左衛門が私財を投げ打ち、七年の月日を費やし、北へ迂回させたのだそうです。今も「設楽」姓は近辺に多いですが、偉い人が先祖にいたのですね。

ちなみに上の写真は陵南公園近くの人・自転車用の小さな橋から撮ったのですが、そこに「旧鎌倉街道」と書かれたパネルが架かっていました。これは知りませんでしたし、一体どこからどこへ通じているのかも謎です。今度調べてみなければ。

 

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南浅川橋で浅川からあがり多摩御陵の参道から甲州街道に向かいます。そして、上の写真の中央付近、参道を真っ直ぐ進み甲州街道を渡った突き当たりに、かつて中央線「東浅川駅」があったそうです。多摩御陵に参拝する皇室専用駅として、昭和2年(1927年)に開設され、昭和35年(1960年)に廃しされるまであったそうです。

参道から甲州街道を渡って不自然な凹みになっているのを、引っ越してからすぐ不思議に思っていましたが、誰かから皇室専用駅があったと聞いて、なるほどと納得したものです。駅が廃止されてからは、駅舎は八王子市に下賜され「陵南会館」として使用されていたそうですが、平成2年(1990年)に過激派の放火で焼失してしまったそうです。私が八王子に越してくる前のことですが、その頃はきっと大騒ぎだったんでしょうね。

ということで、陵南会館跡地横の陵南こ線橋を登り中央線を越え、戻ってきました。

 

今日のジョグ

 21.1km  2時間3分42秒

 

 

 

 

 

 

 

 

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