八王子市散田町在住のスポーツ好き親父の戯言!

八王子市の学童野球チーム散田ドラゴンズ元管理人(2007年3月~2016年2月)のブログです。

土曜日は散ドラも試合…

2010年06月09日 22時49分47秒 | 散ドラの試合について

横中の試合が土曜日に入ったと思ったら散ドラの試合も土曜日になってしまったのですね…。横中が北野球場の第一試合(9時頃)、散ドラが川町グランドで第二試合(10時30分頃)と、少しずれるものの、たぶん少し重なると思われ、休みだったら休みで、これまたかなり悩んだのではないかと思います

 

散ドラは、研修連盟春季大会二部リーグでの試合は最終戦になります。相手は、4勝1敗のみなみ野ファイターズBです。5勝1敗の散ドラと2位を争う相手です。これまでの試合結果を見る限り、散ドラとほぼ同じようなレベルと想定されます。打撃は先日の試合でもなかなかいい結果が出ていますが、守備面では、本当に一人ひとりがしっかり意識し、本気でボールを呼ぶ(ことによって、一球一球に反応が出来る)、人任せではなく自分が捕るんだという執着心を持つ、ということを実行してください。打撃は水もので分かりませんので、最後はそういう守りの差が勝負を分けます。そして、何としても2位以上を確保してください!

そして、春季大会が終わると、次は秋季大会ですが、昨年の秋季大会の開会式が9月末でした。新人戦があるとはいえ、3ヶ月以上間が空きます。そして、秋季大会は、一部リーグを含めたトーナメント戦ですから、試合数をこなすのははっきり言って難しいです。

 

当面は、新人戦でどれだけ勝ち進めるかが最大の目標になりますが、その後は、来年も見据えて、より考えた野球、レベルアップした野球ができるように、腰をすえて練習ができるといいですね!

 

それにしても、土曜日の試合見たかったなあ…。

 

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1年6ヶ月記念ジョグ! 滝が原まで。

2010年06月09日 19時15分37秒 | Jog&Walk,Health

駅伝大会を前にした倅にハッパをかけるため、一昨年の12月10日に走り始めて、今日で1年6ヶ月になります。午前中は雨が降っていたので、雨があがり少し明るくなってきた13時頃から走りに出ました。

 

 

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1811年に江戸の商人の清八という人が、高尾山に銅製の五重塔を奉納した記念に追分交差点に建てた道標です。第二次世界大戦の空襲で破損し、地元町会に保管してあったものを復元したそうです。しみじみ見たことはありませんが、今日陸橋から見てみると、「あんげ道」と書いてありました。陣馬街道の旧名ですね。

 

 

  

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追分交差点から北大通りを進み、大横町の交差点で左折し、16号を北上します。浅川橋から市役所方面を望んだ風景です。この辺りでスタートから4kmくらい。

 

  

 

 

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16号を北上し、中央高速をくぐりインターチェンジ手前の村内家具に上の石碑がありました。左入城の跡地だと宣言する村内家17代目当主の石碑でした。しかし、戦国の山城が中心の八王子の城のパターンからして、ここに城があったとはあまり思えず、ネットで検索しても、左入城は位置不明なようですね。

 

 

 

 

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そして、インターチェンジを越え、滝山街道を越え、滝山の山越えにさしかかる辺りに滝山城址の看板があります。これはだいぶ前から気づいていました。戦国時代に山内上杉氏、北条氏に従い八王子を支配していた大石氏が居城としていた山城です。一度行ってみようと思いながら、機会がなく今日は行ってみようと思ったところ、ここから上がろうとすると、どう見ても人が行き来しているようには見えない、鬱蒼とした森が広がっています。下手したら、変なものを発見してしまいそうな物騒な雰囲気です。で、ここは上がるのを断念し、16号に戻ります。この辺りで7.5kmくらい。

 

 

 

  

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山を下るとすぐ多摩川にかかる拝島橋で、ここはもう昭島市です。拝島橋の手前を左折し、ずっと行くと滝が原グランドです。先日の市長杯で敗れた場所です。しかし、人のいない滝が原グランドも新鮮ですね!一人で野球をやりたくなりました。この辺りで9.5kmくらい。

 

 

 

 

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一般用8面、学童用4面ある滝が原グランドを抜け、あきる野・創価大学方面の道へ出る手前に、市指定の天然記念物である「高月のクワ」の看板と碑がありました。この前を何十回と車で通りましたが、知りませんでした。やはり、歩かないと(走らないと)分からないことってあるものです。山地に自生する山桑の一種で、推定樹齢は約400年だそうです。すごい。

 

 

 

  

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滝山城を見損なったので、「確か高月城もあったな」といううろ覚えの知識で、創価大学方面とは逆に北上し、あきる野方面に向かいました。ところが、それらしき看板は現れず、あきる野市との境である秋川まで来てしまったので、断念して引き返しました。ここで12km。この手前にホテル高月城というのがありましたが、後で調べると、ここが高月城があった場所なのだそうです…。良識を疑いますね…。大石氏は高月城から滝山城、滝山城から八王子城と移っていったそうです。

 

 

 

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で、秋川手前で引き返し、南下しますが、滝山丘陵の山越えはきつかったです。先日の大垂水峠や他の坂道よりきつかったかもしれません。その山を越えて、滝山街道に降りてくると、どっかで見たような看板が…。ここにも滝山城址の看板です。家に帰って調べると、滝山城址は、16号沿いからはるか西寄りの滝が原グランド裏あたりにあり、滝が原グランドを西に抜けたあたりからか、上の滝山街道側から上がるのが近いようでした。やれやれです。さすがに、今日はもう登る気力はありません。この辺りで14.5km。 

 

この後、創価大学横を通り、創価大学南で右折し、工学院大学横を通り、秋川街道ぶつかり左折、市役所通り、浅川沿い、甲州街道と見慣れた風景を見ながら帰ってきました。

 

今日のジョグ

偶然にも先日の大垂水峠行きと同じ距離になりました。

 21.1km  2時間7分46秒

 

 

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おやつは大切?

2010年06月09日 09時48分26秒 | 散ドラ諸君への喝!

今日はお休みですが、雨も降っていたのでジョギングにも行かずに、はなまるマーケットを見ていました。エグザイルのTAKAHIROがゲストで出演していましたが、何と書道八段だそうで、とてもきれいな字を書いていました。おまけに絵もうまかったです。歌がうまく、字も絵もうまく、空手が強く、イケメンで、エグザイルって、一体どれだけ恵まれているんだかって感じですね。

 

おっと、別に持たざる者のヒガミを言うつもりではありませんでした。視聴者からの質問コーナーで、「書道をやめたいと思ったことはないですか?」と聞かれ、「駄菓子屋さんがやっている書道教室で、終わると駄菓子をくれるので、それを楽しみにやっていました」と答えていました。

 

おっと、これは、練習後におやつを渡す散ドラと同じではないか!と思った次第です。別にだからといって、エグザイルになれるわけではありませんがやはり「おやつは継続に効果があり」なんでしょうか!たかがおやつ、されどおやつ。やめられませんね。

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2010年06月09日 08時38分54秒 | 指導・育成のうんちく

先日読んだ佐野眞一著『宮本常一が見た日本』の宮本常一という人は、多くの人に慕われ、師と仰がれているようですが、その宮本常一が師と仰いだのが、渋沢敬三だそうです。渋沢敬三は、日本資本主義の父とも言われた渋沢栄一の孫で、自身も優れた民俗学者であり、私財を投じて多くの学者を支援したパトロンでもあったそうです。

 

「ほんとうの教育者はと問われて」という新聞アンケートに対して、宮本常一は渋沢について次のように答えたそうです。

『私はこの師を持ったことを心から幸福であると思った。私などおしゃべりで、人に向かってしゃべりすぎる。しかし渋沢先生は話をきく人であった。相手の話をきくことによって相手を成長させていった。ただ聞くのではなく、聞くことの中に指導があった。見おとして来たこと、調査の方法のあやまりなどを相手に気付かせていったのである。そしてそのような指導法のあることをこの師によって教えられた』

これは今流行りのコーチングの手法そのものです。

 

渋沢敬三は、パトロンではありましたが、いわゆる大金持ちの道楽ではなく、自身も優れた学者、教育者であり、むやみやたらと金をばらまいたわけではないようです。むしろ、必要最低限の援助をしただけで、宮本常一自身もずっと経済的には厳しい生活をしたようです。いろいろ招聘の話もあったようですが、次の言葉を胸に刻んでいたからでしょうか。

 

『敬三は宮本によく言った。「君には学者になってもらいたくない。学者はたくさんいる。しかし本当の学問が育つためにはよい学問的な資料が必要だ。とくに民俗学にはその資料が乏しい。君はその発掘者になってもらいたい。そういう作業は苦労ばかり多くて報われることは少ない。しかし君はそれに耐えていける人だと思う」』

 

なかなか言えない言葉ですね。「苦労しなさい、君なら耐えられる」って、自分自身よほど身を慎み、相手の人生を受け止める覚悟がなければ言えない言葉です。また、言われた方もよほどの信頼がなければ、その通りのことはできないでしょう。この師にして、この弟子ありということでしょう。

 

『「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況をみていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落とされたもののなかにこそ大切なものがある。それを見つけていくことだ。人の喜びを自分も本当に喜べるようになることだ。人がすぐれた仕事をしているとケチをつけるものも多いが、そういうことはどんな場合にもつつしまねばならぬ。また人の邪魔をしてはいけない。自分がその場で必要を認められないときは黙ってしかも人の気にならないようにそこにいることだ」

渋沢が静かに語りかける言葉は、宮本の心に強くしみとおった。』

 

主には、学問の心得について述べているのでしょうが、人生そのものについての身の処し方についての言葉にもなっています。これを実践することはなかなか難しいことですが、こうした言葉を語りかけてくれる師を持てる人は幸せですね。

 

野球やスポーツの世界でも、本当に優れた指導者は、技術論だけではなく、このような人を育てる術にたけているように思います。学問でも、スポーツでも、専門的な技術は必要条件でありますが、人間性が伴ってはじめて必要十分条件が満たされるのでしょう

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