明日は私は仕事。
散ドラは、学校公開日で活動はお休み。
横中は多摩大会への敗者復活戦の第3試合です。
予報では、9時まで雨。その後も時々雨みたいな予報です。いっそのこと流れてくれていいかな、という感じです。まあ、日曜日も雨かもしれないので、横中の試合を見られる保証はないのですが、チャンスはあるわけです。
明日は雨でもいいか、です。
明日は私は仕事。
散ドラは、学校公開日で活動はお休み。
横中は多摩大会への敗者復活戦の第3試合です。
予報では、9時まで雨。その後も時々雨みたいな予報です。いっそのこと流れてくれていいかな、という感じです。まあ、日曜日も雨かもしれないので、横中の試合を見られる保証はないのですが、チャンスはあるわけです。
明日は雨でもいいか、です。
大相撲の理事選挙の時にも相撲協会の改革の必要性について書きました(「守るべき伝統と改革すべき因習」)。今回、どういう経緯か知りませんが、野球賭博疑惑が表沙汰になり、大きな問題となっています。ちょっと前には、暴力団関係者に砂かぶり席を融通していたことが問題となり、木瀬部屋が閉鎖となったばかりですが、外野では改革の必要性が叫ばれながら、内部はぬくぬくとしていた相撲界も今回ばかりは、かつてない危機を迎えていると思います。というより、企業に例えれば、倒産寸前と言ってもいいのではないかと思います。
本業の土俵においても、2003年に引退した貴乃花以来、日本人横綱はいません。日本人力士の優勝も2006年1月の栃東以来、4年以上遠ざかっています。朝青龍は強い横綱でしたし、白鵬は立派な横綱になりつつあります。琴欧州、日馬富士、把瑠都なども、立派な力士であり、外国人力士がダメだというつもりはありません。しかし、日本人力士が活躍できない状況では相撲が国技などとは到底言えません。
かつて、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花など、類まれな名横綱を生んだわけですから、日本人だからダメだというわけではありません。しかし、元々裾野が広くはない相撲が、今のシステムでラグビー、柔道、野球など他のスポーツと争って選手を獲得できる状況にはありません。力士暴行事件に象徴されるような古い育成方法、今の若い子には耐えられないプライベートがない生活、短い選手生活(しかも潰しが効かない)など、リスクが大きい割に報酬は横綱でも正規の給与・手当は5,000万円弱と人生を賭けるには値しないものです(タニマチなどからの「ごっちゃんです」は含まれません)。その上、暴行事件、暴力団への便宜供与、野球賭博と「伝統」「国技」などととても胸を張れない世界に、15歳の息子を入れようという親はいないでしょう。
それに加えて、古い因習の中で社会常識も身につけられず、組織運営や人材育成などの知識もないまま、親方、協会役員、理事となっていく相撲協会の旧く硬直的なシステムがいよいよどうにもならないところまで来ているのが現在の状況でしょう。政治の世界と一緒だと思います。本当に今回の件をただの処分で終わらせずに、協会の改革につなげられるかどうかに相撲界の存続がかかっていると思います。しかし、現実に協会の理事会にはそれだけの自浄能力も、改革のための専門能力もないと思いますので、財団法人としての相撲協会を所管する文部科学省や強制力は持たないでしょうが横綱審議会など、外部から改革を促すことが必要だと思います。
まずは、不透明な財団法人の組織改革、親方株の解消(財産権があるなら、一定ルールで買い上げて償却するなど)、部屋・一門制度の改革(指導者育成制度の確立を含め)、育成制度(社会人としての育成も含め)、引退後の生活保障・キャリア援助制度、お茶屋制度改革、裾野拡大対策など、守るべき「伝統」と改革すべき「因習」を徹底的に事業仕分することが必要でしょうね!
今本当に改革しなければ、相撲という稀有なスポーツが消滅してもおかしくはありません。相撲の火を消さないためにも、志ある人に今立ち上がってほしいですね。
今日のジョグ
夕方~夜は強雨との予報だったのに、駅に着くとやんでいました。走りに出て、家に着く100mくらい前くらいから、強雨が降ってきました。危なかった。
5.2km 28分31秒
100mを9秒5で走ったり、小さなゴルフボールを正確に300ヤード先に飛ばしたり、160km/hの剛速球を投げたりすることは、確かにすごいことですし、見ている方も胸躍るものです。人間の能力の極限を見るのはスポーツの醍醐味です。しかし、そうしたスポーツの能力と何百億円という報酬が結びつき得るのか、結びつくとしてもそれによってスポーツそのものが変節してしまわないのかという疑問が起きます。
北京五輪ハンマー投げでは、2位・3位に入ったベラルーシの2選手がドーピング違反で失格となり、室伏広治が3位に繰り上がりました。室伏選手はアテネ五輪でも1位選手の失格で繰り上げ金メダルとなりました。さぞや複雑な心境だったと思います。これだけでも「スポーツって一体何なのだ?」と疑問に思うに十分ですが、先日、スポーツ仲裁裁判所が、ドーピング検査の手続き不備を理由に失格とメダルはく奪を覆す裁定を下し、室伏選手が今度はメダルをはく奪される事態となりました。室伏選手自体は何も変わっていないのに、周囲の問題で3位となったり、5位となったり、スポーツってそういう相対的なものだったのでしょうか。また、スポーツ仲裁裁判所も、違反薬物の使用は認めながらも、手続き不備で失格処分を取り消すなど、「スポーツ」よりも「裁判所」の方に重心がかかっているように思います。
国際オリンピック委員会もいかに手続き不備とはいえ、薬物を使用したと認定している選手にメダルを与える不名誉を避けるために、予備検体を使って再検査をする意向との記事が今日出ていました。それはそれでいいですが、室伏選手の銅メダルの行方というよりも、これ以上、真剣に自分の肉体と向き合い、スポーツに取り組んでいる選手たちを愚弄するような事態にならないことを祈るばかりです。
しかし、スポーツが巨大なビジネスと結びついてしまった現在では、どんなに検査を厳重にしてもいたちごっこでしょうし、法律と同じで刑罰などの外圧だけでは抑止力となり得ないでしょう。完全にこうしたことがなくならないとしても、トップ選手が、アスリートとしての能力だけでなく、高い倫理観を持って自らを律し範を示すことで、子どもたちに夢を与え、尊敬される存在になってほしいものです。スポーツ選手がただのお金持ちではさみしすぎます!