私の父は、子どもの頃、非常に厳しいというか、怖い人でした。こちらに言い分があっても口答えすると、即座にゲンコツが飛んできて「屁理屈言うな」と怒鳴られました。その一方、女である姉と妹には決して手を挙げたことはありませんでした(あろうことか「ハゲ親父」なんて暴言まで吐いていました。信じられな~い)。
群馬に移って、零細企業の雇われ社長という責任ばかり重くて、得ることの少ない仕事に就き、つい最近まで務めていた苦労人ですが、私が子どもの頃は仕事を開拓しながらの時期で結構貧乏だったにもかかわらず、油絵、カメラ、釣りと自分の趣味にはしっかりお金をかける人でした。一方、子どもの頃に父親と家族でどこかへ出かけたという記憶は皆無です。
子どもながらにカメラなどにも興味を持ったりしましたが、決して触らせてはもらえず、母親を通じてせがんで釣りに連れていってもらえば一言も会話がなく二度と行きたいとは思いませんでした。またある時、母親に何か言われたのか、急にキャッチボールをやるぞと公園に連れ出され、子どもには速すぎる球を無言のまま黙々と投げ込まれ、あっという間に引き上げるこということもありました(最近、父親の代わりに爺さんがキャッチボールをするCMがありますが、あの爺さんに顔が似ているんですよね…)。子どもの頃は、真剣に憎まれていると思っていました
。
それが、中学生になると、パタリと殴られなくなりました。しかし、たんなる気まぐれだろうとさして気にもしないまま、月日が過ぎ、高校受験の時期を迎えました。合格発表の日、友達数人と発表を見に行き、幸い全員合格していました。皆、すぐに家に連絡を入れましたが、私は「どうせウチは気にしてないから…」と連絡せずに、友達としゃべったり、ぐだぐだしながら、昼近くになって家に帰りました。
当時の家は、外から帰ってくると、居間が見えたのですが、何とそこに父親がスーツを着て座っているのが見えました。仕事に行かずに待っていたのだとすぐに気づきました。家に入り、父でもなく、母でもなく、合格したことを告げると、父も何も言わずに仕事に出かけていきました。この時になって初めて、父親に憎まれていたわけではないのだと気づきました。
そして、さらに自分が成長し、大学生、社会人となるにつれ、単に子どもへの接し方が不器用で、照れ屋なだけだということに気づきました。しかし、長年の習慣とはそう簡単に変えようもなく、たまに実家に帰っても二人の間にほとんど会話はありません(たぶん、生まれてこのかた父との会話は一時間もあるかないかです)。たまに酔った拍子に、ビジネスパースンとしての心得を明らかに私に向けて語ったりすることもあるのですが、何故か母親に向かって話しています。
ここまで不器用な親子もないと思いますが、父子というのは母子に比べると、こうした不器用さが多かれ少なかれあるのではないでしょうか。私も自分が親となって父の気持ちが分かるような気がします。しかし、父の偉さに敵わないと思うのは、一度も勉強しろとか、こうしろと言わなかったことです。単に照れくさくて言えなかっただけかもしれませんが、ついついいろいろ言ってしまう自分を親として「小さいなあ」と思ってしまいます。
何も言われないと、存外変なことは出来ないものです。自由は義務と責任を伴うものだからです。頭では分かるのですが、これがなかなか出来ないんですよね。父は偉かった。
今日のジョグ
今日は脳が疲れて、とても走る気になれず、よほど休もうかと思いましたが、「少しでも走ることに意義がある」ジョグをしました。
2.2km 14分03秒