肥後細川藩には、家紋が書き込まれた「肥陽諸士鑑」「家紋入り侍帳」と
いう二つの侍帳が存在する。出自を辿る上で貴重な史料である。
わが「新・肥後細川藩侍帳」に於ても、家紋を表示しようと試みたが、紋帳
に記載無いものが沢山あり、一部表示してお茶を濁している。
当方の家紋にしてからが紋帳には記載がない。隅入り角紋に立鼓(りゅうこ)
が合わされている、「隅入り角・立鼓紋」とでも言うのだろうか。
かって、妻が三つ紋の着物を作るとき呉服屋さんから家紋を聞かれたが、紋
帳にないので、方眼紙に書いて手渡した。簡単な紋だから出来たことだが、
複雑な家紋であればそうはいかない。古い木製の家紋印判が残されていた
のが幸いした。しかし妻がその着物に袖を通した事をしらない。祝儀、不祝
儀が洋式化してしまって、着付けを必要とする着物は敬遠されてしまった。
家紋はお墓だけのものになってしまうのだろうか。
お墓に於ても、「格好がいいから」とご先祖には全く関係ない家紋を依頼す
る人が多くなったと聞く。 嘆かわしいことだ。
しかし「肥陽諸士鑑」や「家紋入り侍帳」を見ても、本家を慮ってか本家紋
にいろいろ手を加えたものが多いのに気がつく。それを思うと現代に於ては
仕方ないことかもしれない。そのうちには西欧のエンブレムがお墓に登場す
るかもしれないなー。
今度の正月には着物を引っ張り出して、袖を通してみようか。
いう二つの侍帳が存在する。出自を辿る上で貴重な史料である。
わが「新・肥後細川藩侍帳」に於ても、家紋を表示しようと試みたが、紋帳
に記載無いものが沢山あり、一部表示してお茶を濁している。
当方の家紋にしてからが紋帳には記載がない。隅入り角紋に立鼓(りゅうこ)
が合わされている、「隅入り角・立鼓紋」とでも言うのだろうか。
かって、妻が三つ紋の着物を作るとき呉服屋さんから家紋を聞かれたが、紋
帳にないので、方眼紙に書いて手渡した。簡単な紋だから出来たことだが、
複雑な家紋であればそうはいかない。古い木製の家紋印判が残されていた
のが幸いした。しかし妻がその着物に袖を通した事をしらない。祝儀、不祝
儀が洋式化してしまって、着付けを必要とする着物は敬遠されてしまった。
家紋はお墓だけのものになってしまうのだろうか。
お墓に於ても、「格好がいいから」とご先祖には全く関係ない家紋を依頼す
る人が多くなったと聞く。 嘆かわしいことだ。
しかし「肥陽諸士鑑」や「家紋入り侍帳」を見ても、本家を慮ってか本家紋
にいろいろ手を加えたものが多いのに気がつく。それを思うと現代に於ては
仕方ないことかもしれない。そのうちには西欧のエンブレムがお墓に登場す
るかもしれないなー。
今度の正月には着物を引っ張り出して、袖を通してみようか。