津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

根本家臣の出自

2005-12-16 18:36:52 | 歴史
 細川家の家臣団は、知行取約1000家、切米・扶持米取3000~4000家と
云われる。その根本家臣は「青龍寺以来」「丹後以来」と称する家である。
ある資料によると、「青龍寺以来」は27氏・59家、「丹後以来」は74氏・126
家とされている。その出自は丹後・若狭等を主とし、その周辺各地に及んで
いる。その出自を辿ろうとすると、熊本における資料ではその詳細にはたど
り着けない。資料不足だー。
夢・・金と時間を作って丹後・若狭・越前に関する資料閲覧の旅をしたいなー。
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姉妹都市

2005-12-16 18:17:48 | 熊本
 熊本市の姉妹都市は福井市。細川家の勇姫が松平春嶽に嫁ついでいるし、
春嶽が肥後藩士横井小楠を福井藩に招聘している。どういうレベルで、どの
ような交流が行われているのか、恥ずかしながら知らない。
細川藩を調べる人間としては、福井の勉強はしっかりしなければならない。

 山鹿市の姉妹都市は、赤穂義士つながりで赤穂市である。
赤穂義士を預かった細川藩に於て、世話役を務めた堀内傳右衛門の菩提寺日
輪寺がここにある。「傳右衛門覚書」は、赤穂義士にかんする研究には欠か
せない。知行地が山鹿であったらしいが、日輪寺境内はつつじの頃花見客で
賑わいを見せる。義士祭りなども行われている。

 県南人吉地方と隣り合わせの宮崎県西米良町が、菊池市の姉妹都市。
菊池義武の時菊池氏は断絶するが、傍流重為の孫(?)が西米良に逃れ後米
良氏を名乗った。相良藩に仕えた米良氏は「交代寄合」という家格をもって
参勤している。
(何故だか不思議・・「KUBOの家系城郭研究所-寄合交代」で勉強しました)
明治になって菊池氏に復姓し男爵となった。西米良や椎葉などは明治初期の
一時期人吉県に取り込まれたこともある。菊池氏つながりの姉妹都市である。

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