細川忠利の正室は、小笠原秀政の女千代姫である。千代姫の生母は徳川家康の嫡男信康の女であるから、千代姫は家康にとっては孫娘、故に息秀忠の養女として忠利に嫁がせた。輿入れにお供したのが、武田信玄の孫にあたる武田六兵衛であり細川家臣となった。後の「岩間家」である。かって訪ねた本妙寺横の広大な花園墓苑の中に岩間家のお墓がある。2メートルを超える大きな墓石が、真四角にお互い向かい合うように立ち並んでいるのは壮観である。六兵衛の父(信玄の嫡男)義信は、正室が今川義元の女であることから、信玄に疎んじられ死に至る。武田家の没落に伴い、幼い六兵衛は母親とともに落ち延び、小笠原家の援助を受ける。家名「岩間」の所以は、武田家家臣岩間大蔵左兵衛正頼の養子となっていたからであるが、この岩間大蔵については面白い話がある。合戦に出ると怯えて癪を起こすという随分な臆病者であったようだ。信玄は「人は使いようだ」と、大蔵を「隠し目付け」とした。大蔵は家中の万事に心配りして信玄に報告したという。由緒ある家は明治にいたり、家名を旧に復する事があったが、岩間家は「武田」を名乗ることはされなかったようだ。しかし、お墓の家紋「武田菱」は誇らしげに見えた。
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